第六十四話 古代魔族が目覚めたので、魔王まで驚いた
国境の測定器を設置している最中、地面が大きく揺れた。
山の奥から、低い鐘のような音が響く。
「……何だ?」
俺が顔を上げると、ゲイルが剣に手をかけた。
「魔力が、地下から上がってくる」
ユウマの測定器が一斉に赤く光った。
「異常値です! 北の要石のさらに下から反応があります!」
通信石が鳴った。
魔王の声だった。
『カイ、そこを離れろ!』
「どうしたんですか!」
『古い封印が破られた。
あれは……目覚めさせてはならないものだ』
山の斜面が割れた。
黒い石の扉が地中から現れる。
扉の上には、図書塔で見たものと同じ紋章が刻まれていた。
その中央に、巨大な目が開く。
「……うわっ!」
俺は思わず後ずさった。
扉が内側から押し開かれる。
現れたのは、黒い鎧をまとった巨人だった。
角は二本。
背には古い鎖。
手には、折れた槍を握っている。
巨人は空を見上げた。
『……まだ、世界は残っていたか』
声が、地面そのものを震わせた。
レイグが剣を抜く。
「名を名乗れ!」
巨人は俺たちを見下ろした。
『我はヴァルザード。
原初の調律を拒んだ者』
「拒んだ?」
俺は首をかしげた。
『世界は混沌へ戻るべきだ。
形あるものは、いつか壊れる』
「そんなこと言われても困る!」
ヴァルザードは槍を振った。
風圧だけで岩が砕ける。
ゲイルが俺を引っ張り、レイグが前へ出た。
「下がれ!」
剣と槍がぶつかった。
金属音が山に響く。
だが、レイグの足元が沈んだ。
「……重い!」
姫が横から蹴りを入れる。
「レイグ、離れて!」
巨人の腕がわずかに揺れた。
それだけだった。
「……硬すぎるわね」
ユウマが測定器を見た。
「この人、魔力の流れが普通と違います!」
「どう違う?」
「流れを持っていないんです。周囲の魔力を、全部ほどいてしまう」
俺は息を呑んだ。
「……整える相手がいない?」
ヴァルザードが笑った。
『調律器を持つ者よ。
道具はどこだ』
俺は折れた柄を握った。
「……今は、これだけ」
巨人の目が細くなる。
『折れたか。
ならば、世界はほどける』
彼は槍を地面へ突き立てた。
空の亀裂が大きく広がる。
遠くの森が、薄い霧のように揺れ始めた。
魔王の声が通信石から響いた。
『全軍、退避! あれと正面から戦うな!』
俺は叫んだ。
「じゃあ、どう止めるんだ!」
『……私にも、まだ分からぬ』
魔王の声が震えていた。
初めて聞く、恐怖の混じった声だった。
俺は仲間たちを見回した。
「……とにかく、みんなを逃がそう」
レイグが頷いた。
「それならできる」
ヴァルザードの足元では、草が色を失っていた。
枯れるのとは違う。
緑だったものが、最初から何もなかったかのように薄くなる。
「……あれ、触れたらどうなる?」
俺が尋ねると、ユウマは首を振った。
「試したくありません」
「俺もだよ!」
ゲイルは地面に落ちた小石を拾い、遠くへ投げた。
小石は巨人の周囲で、音もなく砂へ変わった。
「……近づくな」
ゲイルが言った。
「剣も、魔法も、あそこでは形を保てない」
姫は避難する村人たちへ叫んだ。
「荷物は最低限! 子どもと老人を先に!」
元王子は荷車を並べ、道を二つに分けた。
「東へ向かう者は右! 南へ向かう者は左!」
俺はスラたちを集めた。
「近づくなよ。今日は橋を支えるだけだ」
ぷるん。
スライムたちは川の浅瀬に広がり、足場を作った。
「よし、渡って!」
村人が次々に渡る。
そのとき、後ろから子どもの泣き声がした。
「お母さんがいない!」
俺は振り返った。
家の前で、一人の女性が倒れていた。
「レイグ!」
「分かった!」
レイグが走り、女性を抱え上げた。
ゲイルが瓦礫を払い、姫が子どもを受け取る。
家族が再会した瞬間、子どもが大声で泣いた。
俺は息を吐いた。
「……間に合った」
でも、遠くではまた地面が消えかけている。
助けられる人を助ける。
それしか、今はできなかった。
ヴァルザードが現れた山には、古い石碑があった。
魔王が送ってきた記録によれば、原初の時代に世界の境界を支えた場所らしい。
「……なんで封印されてたんだ?」
俺が尋ねると、オルドが通信石越しに答えた。
『世界が形を持つことを、拒み続けたからです』
「拒んだだけで?」
『拒むだけなら問題ありません。
ですが、彼は周囲の形までほどこうとしました』
俺は石碑を見た。
文字の半分は削れている。
『異なるものを認めよ』
読めたのは、その一文だけだった。
「……これ、ヴァルザードに向けた言葉かな」
ユウマが頷いた。
「そうかもしれません」
ゲイルは石碑へ手を伸ばしかけ、止めた。
「触れないほうがいい」
「うん。今は調べるだけにしよう」
俺たちは石碑の周囲へ縄を張った。
近づく者がいないようにするためだ。
その作業中、王国の工兵が言った。
「こんな古いもの、初めて見た」
魔族の研究者が答える。
「我々もだ。記録は残っていたが、場所が分からなかった」
二人は同じ石碑を見つめた。
「……一緒に調べたら、何か分かるかもしれんな」
工兵が言う。
研究者は頷いた。
「ぜひ」
俺はそのやり取りを聞いて、少し笑った。
世界が壊れそうでも、こうして新しい協力が生まれる。
「……悪いことばかりじゃないな」
レイグが言った。
「だからこそ、守るんだろ」
俺は頷いた。
遠くでは、ヴァルザードの足音が響いていた。
一歩ごとに、地面の色が薄くなる。
「……時間はないな」
ユウマが測定器を確認する。
「避難完了まで、あと十五分」
「じゃあ、十五分稼ごう」
俺は折れた柄を握った。
「倒せなくても、時間なら作れる」
魔王から再び通信が入った。
『古い記録を調べる。
時間を稼いでくれ』
「時間なら、みんなで作る!」
俺は答えた。
折れたしゃもじの柄が、手の中でかすかに温かくなった。
俺たちは巨人を倒すのではなく、村人を避難させるために動き始めた。
山の向こうで鐘が鳴った。
避難完了の合図だった。
俺は胸を撫で下ろす。
「よかった」だが、ヴァルザードはまだ立っている。
今日の勝利は、あいつを倒すことじゃない。
生きて帰った人がいることだ。
そう思って、俺は次の避難路へ走った。




