第六十二話 しゃもじが折れたので、勇者をやめかけた
要石の地下へ向かう前、俺はグラディウスの部隊から戻ってきた兵士に話を聞いた。
「装置を止める方法はないのか?」
「あります。でも、外側の輪を一つずつ解除しないと危険です」
「一気に壊したら?」
兵士は顔を青くした。
「要石が反発します。山ごと崩れるかもしれません」
ユウマが頷いた。
「やはり慎重に進めるしかありませんね」
俺はしゃもじを握った。
傷は、前より少し深くなっている。
「……持つかな」
レイグが横から見た。
「無理なら、使うな」
「でも、命令核を外すには必要だろ」
「だからこそ、俺たちが守る」
ゲイルも頷いた。
「お前だけに背負わせない」
俺は笑った。
「……頼りにしてる」
そのころ、地上では姫が正面部隊を率いていた。
通信石から声が聞こえる。
『敵が門を閉じた。
こちらは予定どおり注意を引くわ』
「無理するなよ!」
『それ、あなたが言う?』
「……言い返せない!」
レイグが笑った。
『こっちは任せろ。
必ず合流する』
俺は通信石を握りしめた。
帰る約束。
それが、戦う理由だった。
水路の出口を抜けると、魔法陣の熱気が肌を刺した。
兵士たちの目は虚ろだった。
命令核がある者は、痛みさえ感じていないように見える。
「……こんなの、もう終わりにしよう」
ゲイルが呟いた。
俺は頷いた。
「うん」
そのとき、床の向こうからグラディウスの声が聞こえた。
「遅かったな、勇者」
俺はしゃもじを構えた。
「遅くても、来たぞ」
彼は笑わなかった。
目の奥にあるのは、怒りよりも恐怖だった。
それが、俺には分かった。
世界を失うのが怖い。
だから、何でも犠牲にできると思っている。
「……俺たちは、別の道を選ぶ」
俺は言った。
「誰も縛らない道を」
北の要石の地下には、巨大な魔法陣が描かれていた。
その中心で、グラディウスが待っていた。
「やはり来たか、しゃもじの勇者」
「その呼び方、そろそろ慣れてきたよ」
俺はしゃもじを構えた。
グラディウスの後ろでは、黒い輪をつけられた魔物たちが装置を回している。
ゲイルが歯を食いしばった。
「……また同じことを」
「必要な犠牲だ」
グラディウスは言い切った。
「この要石を固定すれば、北方の崩壊は止まる」
「ほかの場所が壊れるんだろ!」
俺が叫ぶ。
「それでも、今ここで消える命は救える」
彼の声には迷いがなかった。
だからこそ怖かった。
ユウマが装置を調べる。
「流れがすでに限界です! 止めるには外側から順に解除する必要があります!」
元王子は兵士たちへ叫んだ。
「装置から離れろ! ここに残れば巻き込まれる!」
だが、兵士たちは動かない。
命令核が埋め込まれていた。
俺はしゃもじを掲げた。
「……まず、みんなを自由にする」
白い光が広がり、黒い輪が震える。
一人、また一人と兵士が膝をついた。
「俺は……何をしていた?」
「逃げろ!」
俺は叫んだ。
そのとき、グラディウスが装置の中央へ剣を突き立てた。
「停止は許さぬ!」
魔法陣が赤く燃え上がる。
足元の地面が裂けた。
ゲイルが兵士を抱えて跳び、元王子が退路を開く。
ユウマは装置の制御盤へ走った。
「カイさん! 今なら一瞬だけ流れを分けられます!」
「分かった!」
俺はしゃもじを握り、赤い光の中心へ踏み込んだ。
きぃん。
いつもの音がした。
けれど、今日は少し違う。
白い光に、細い亀裂が混じっていた。
「……おい、頼むぞ」
しゃもじへ声をかける。
世界の魔力が、俺の腕を引っ張る。
強すぎる。
一人では支えきれない。
「カイ、離れろ!」
ゲイルが叫んだ。
「もう少し!」
俺はしゃもじを回した。
次の瞬間。
ぱきん。
乾いた音が響いた。
しゃもじが、真ん中から折れた。
「…………え?」
白い光が消えた。
俺の手には、柄だけが残っている。
折れた先端は、赤い光の中へ落ちていった。
「……嘘だろ」
足が動かない。
これがなければ、俺は何ができる?
魔物を整えられない。
命令核も外せない。
世界を救うこともできない。
「カイ!」
レイグの声が通信石から響いた。
俺は答えられなかった。
そのとき、ゲイルが俺の肩を掴んだ。
「逃げるぞ」
「でも、しゃもじが」
「お前の命のほうが大事だ!」
彼の声に、俺は顔を上げた。
ゲイルが、俺を引っ張っていた。
かつて俺が助けた男が、今度は俺を助けている。
「……ごめん」
「謝るな。歩け」
俺たちは崩れる地下通路を走った。
背後で要石が大きく震えた。
地上へ出たとき、空の亀裂がさらに広がっていた。
俺は折れた柄を見つめた。
「……勇者、失格かな」
誰もすぐには答えなかった。
避難所に戻ると、俺は誰とも話したくなかった。
折れた柄を机に置く。
ただの木の棒に見えた。
「……こんなに小さかったっけ」
スラが机に登ってきた。
ぷるん。
「ごめんな。もう、お前を整えてやれないかもしれない」
スラは返事の代わりに、柄へ身体を寄せた。
俺は目を伏せた。
そこへ姫が入ってきた。
「カイ」
「……怒りに来た?」
「いいえ」
彼女は椅子に座った。
「失敗したと聞いたわ」
「失敗どころじゃない。しゃもじが折れた」
「見れば分かる」
「……俺、何もできなくなった」
姫はしばらく黙っていた。
「北方城塞で、スライムを配置したのは誰?」
「俺だけど」
「水路を使う作戦を考えたのは?」
「みんなだよ」
「避難所を作ったのは?」
「……みんな」
姫は頷いた。
「そう。あなたは、最初から一人で何かをしていたわけじゃない」
俺は柄を見た。
「でも、これは俺の武器だった」
「武器がなくなったら、仲間も消えるの?」
俺は顔を上げた。
スラがぷるんと跳ねる。
外ではレイグとゲイルが見張りを交代している。
ユウマは装置の図面を調べ、元王子は避難所の食料を数えている。
誰も、俺が勇者でなくなったからといって離れていない。
「……消えないな」
「でしょう」
姫は立ち上がった。
「明日、みんなと話しなさい」
俺は頷いた。
折れたしゃもじは戻らない。
でも、仲間はまだここにいた。




