第六十話 魔王軍が二つに割れたので、戦争を止めることにした
避難所の設営から二日後、魔王城で緊急会議が開かれた。
「強制調律計画を中止する」
魔王が宣言すると、会議室がざわめいた。
軍の将軍たちが一斉に立ち上がる。
「陛下! それでは世界の崩壊を止められません!」
「新しい方法を探す」
「探している間に国が消えます!」
魔王は静かに答えた。
「それでも、民の意思を奪う方法は採らぬ」
俺は思わず魔王を見た。
「……本当に決めたんですね」
「ああ。お前との議論で、ようやく間違いを認めた」
そのとき、軍服の男が前へ出た。
黒い鎧に、赤い肩章。
「陛下は、勇者に惑わされた」
男の名はグラディウス。魔王軍の大将軍だった。
「国を守るために犠牲が必要なら、私は犠牲を選ぶ」
ゲイルの表情が変わった。
「……あいつは、研究所へ命令を出していた男だ」
グラディウスは俺たちを見回した。
「人間の勇者が、魔族の未来を決めるのか?」
「決めないよ」
俺は答えた。
「だから、魔族の人たちにも聞こうって言ってるんだ」
「愚かな」
グラディウスは剣を抜かなかった。
代わりに、軍の印章を机へ置いた。
「私は独自に行動する。従う者は来い」
数人の将軍が立ち上がり、彼に続いた。
魔王は止めなかった。
「……行くのか」
「陛下が世界を見捨てるなら、私が救う」
扉が閉まった。
会議室には重い沈黙が残った。
「これ、内乱じゃないですか?」
俺が言うと、ユウマは頷いた。
「かなり危険な状況ですね」
元王子は地図を広げた。
「グラディウスが率いるのは北方方面軍。兵は二万。調律装置の予備も持っているはずだ」
「そんなに!?」
レイグが立ち上がった。
「追うぞ」
「待って」
俺は言った。
「まず、戦わずに止める方法を考えよう」
魔王は俺を見た。
「軍の半分が命令に背いた。説得だけでは難しい」
「それでも、最初に話すくらいはできるだろ」
ユウマが通信石を取り出した。
「グラディウス軍にいる兵士の家族へ連絡できます。彼らの居場所を知らせて、帰還を呼びかけましょう」
元王子が頷く。
「食料補給路も分けよう。武器を置いて戻る兵には安全を保証する」
ゲイルは低く言った。
「命令核で動かされている者もいるかもしれない」
俺はしゃもじを握った。
「なら、助けに行く理由が増えた」
グラディウスの離反を知ったとき、避難所の兵士たちは動揺した。
「どちらの命令を聞けばいいんだ」
「魔王陛下は、もう戦わないのか」
俺は一人の若い兵士に声をかけた。
「君はどうしたい?」
「……分かりません。入隊してから、命令を聞くことしかしていません」
「じゃあ、まず自分の家族のことを考えてみて」
兵士は胸元から小さな写真を出した。
角の短い少女が、笑っている。
「妹です。北の町に住んでいます」
「会いたい?」
「……はい」
「なら、その気持ちも大事にしよう」
兵士は目を伏せた。
「軍人が、そんな理由で動いていいんでしょうか」
「俺には、いいか悪いか決められない。でも、妹さんを大事にしたい気持ちは、悪くないと思う」
元王子が会話を聞いていた。
「帰還兵を罰しないと、王国と魔王領の双方で公表する。家族へ戻る道を作ろう」
魔王は頷いた。
「その布告には、私が署名する」
翌朝、城門には兵士たちが並んだ。
武器を置く者。
まだ部隊へ戻る者。
迷って立ち尽くす者。
俺は誰も責められなかった。
レイグが言う。
「戦わない選択にも、勇気がいるんだな」
「そうだな」
ユウマは戻った兵士たちの名を帳簿へ記していた。
「これで、家族へ連絡できます」
「名前、大事だな」
俺が呟くと、ゲイルが小さく頷いた。
「番号だけでは、誰が帰ったか分からない」
その一言に、俺たちは黙った。
グラディウスは、きっと自分を正しいと思っている。
でも、彼の軍にいる全員が同じ気持ちとは限らない。
俺は手紙の袋を持ち上げた。
「……重いな」
元王子が言った。
「紙の重さじゃない」
「うん。分かってる」
それぞれの手紙に、帰ってほしい人がいる。
だからこそ、届けなければならなかった。
魔王は俺たちへ、グラディウスの過去を話した。
「彼は、世界の異常で故郷を失った」
「……だから、怖いんだな」
「そうだ。私以上に」
ゲイルは首を振った。
「恐怖は理由になる。だが、他人を縛る権利にはならない」
俺は頷いた。
「うん。そこは譲れない」
レイグは剣の手入れをしながら言った。
「説得に失敗したら?」
「止める」
「どうやって」
「……それを考えてる」
ユウマが笑った。
「勇者の計画は、いつも途中から始まりますね」
「うるさいな!」
元王子が戻ってきた。
「兵士の家族から手紙を集めた。戦場に届ける」
袋には何百通もの手紙が入っていた。
『帰ってきて』
『畑は私たちで守っている』
『生きているだけでいい』
俺は一通ずつ見つめた。
戦う理由がある人も、戦いたくない人もいる。
その全部を、一つの命令でまとめることなんてできない。
「……届けよう」
レイグが頷いた。
「剣より先にな」
同じ日の夕方、北方の街道から数百人の兵士が戻ってきた。
彼らは武器を置き、避難所の作業を手伝い始めた。
でも、グラディウスの本隊は止まらなかった。
彼らの進む先には、世界の魔力が集中する『北の要石』があった。
戻ってきた兵士の一人が、俺へ頭を下げた。
「命令に従って、王国の城壁を攻めました。今さら帰っていいんでしょうか」
俺はすぐには答えられなかった。
傷つけられた人がいる。
許すかどうかは、その人たちが決めることだ。
「でも、これから何をするかは選べるよ」
兵士は長く黙り、やがて避難所の荷車を押し始めた。
翌朝、街道の途中に白い旗を立てた。
魔王軍の使者と王国の元王子が、同じ机を囲む。
それだけで、兵士たちは驚いていた。
「敵同士なのに、何を話すんです?」
若い魔族の兵士が尋ねた。
俺は答えた。
「敵同士だから、話すんだよ」
使者は返事を持ち帰った。
だが、その夜、北の要石から赤い光が上がった。
グラディウスは交渉を待たず、装置の起動準備を始めたのだ。




