第五十八話 しゃもじで世界を混ぜたら、逆に壊れ始めた
実験場は、魔王城の地下にあった。
広い円形の部屋。
床には複雑な魔法陣。
中央には、しゃもじを置くための台座がある。
「……なんか、嫌な予感がする」
俺が言うと、ユウマが頷いた。
「僕もです」
「お前が頷くと余計に怖い!」
魔王は研究者たちへ指示を出していた。
「出力は最小限。異常があれば、すぐに停止しろ」
元王子は記録係。
レイグとゲイルは護衛。
スラたちは部屋の隅で待機している。
「じゃあ、始めます」
実験の直前、スラが台座の前で動かなくなった。
ぷるん。
「どうした?」
俺が尋ねても、近づこうとしない。
ユウマが魔法陣を見つめた。
「……嫌がっていますね」
「怖いのか?」
ぷるん。
俺はしゃがみ込んだ。
「無理しなくていいぞ。危なくなったら逃げろ」
スラはしばらく揺れていたが、やがて俺の手のひらへ乗った。
「一緒に来たいのか?」
ぷるん。
「分かった。でも、無理は絶対にするな」
レイグが隣で腕を組んだ。
「お前は、自分にも同じことを言え」
「……善処します」
「信用できん」
元王子は実験の中止条件を紙に書き出していた。
『出力が予定値を超えた場合』
『魔力流が逆転した場合』
『参加者に異常が出た場合』
「一つでも該当したら止める」
元王子が言う。
「分かった」
俺は頷いた。
ユウマが小さな鐘を用意した。
「異常を見つけた人は、これを鳴らしてください」
「なんで鐘?」
「大声だと聞こえないかもしれないので」
「なるほど」
ゲイルは扉の近くに立った。
「退路は俺が確保する」
魔王は研究者たちを見回した。
「今回は、誰にも無理をさせるな」
その言葉に、研究者の一人が驚いた顔をした。
魔王は気づいて、少し苦い顔をした。
「……今までの私なら、そう命じなかったか」
誰も答えなかった。
俺はしゃもじを台座へ置く前に、深呼吸した。
「成功させよう」
レイグが言う。
「成功しなくても、全員で帰るぞ」
「……そうだな」
俺は笑った。
世界を救うために、誰かを犠牲にする。
そんなやり方を変えたくて、ここまで来たんだ。
だから、最初の実験から間違えちゃいけない。
そう思っていた。
でも、世界は俺たちが考えるより、ずっと複雑だった。
魔法陣が光り始める。
小さな鐘が、まだ誰にも触れられていないのに、かすかに震えた。
俺はしゃもじを台座へ置いた。
白い光が広がる。
床の魔法陣が、ゆっくり回り始めた。
最初は順調だった。
魔力の流れが整い、乱れていた光が穏やかになる。
「成功……?」
俺が呟いた瞬間、魔法陣の一部が赤く光った。
研究者が叫ぶ。
「異常です! 東部の魔力流が逆流しています!」
「停止しろ!」
魔王が命じた。
だが、台座の光は消えない。
「……え?」
俺はしゃもじを引き抜こうとした。
動かない。
まるで、世界そのものに握られているみたいだった。
「カイ、離れろ!」
レイグが叫ぶ。
「離れられない!」
床が震えた。
天井に亀裂が走り、石の粉が降ってくる。
ユウマが装置を調べる。
「魔力が一方向に流れすぎています!」
「なんで!?」
「調律器が、乱れを一気に直そうとしているんです!」
俺は息を呑んだ。
良かれと思って、全部を整えようとした。
でも、世界にはそれぞれの流れがある。
無理に混ぜれば、かえって壊れる。
「……俺、間違えた」
しゃもじの白い表面に、細い光の亀裂が走る。
研究所で見たものより、ずっと大きい。
魔王が叫んだ。
「全員、退避しろ!」
元王子が研究者たちを出口へ誘導する。
ゲイルは落ちてきた石を斬り、レイグは俺の腕を掴んだ。
「カイ!」
「待って! これを止めないと!」
「お前が死んだら意味がない!」
その言葉に、俺は一瞬だけ手を緩めた。
でも、しゃもじは動かない。
スラが飛び出してきた。
ぷるん!
「スラ、危ない!」
小さな身体が台座へ貼りつく。
次の瞬間、光の流れが少しだけ弱まった。
「……え?」
ユウマが叫ぶ。
「スライムが魔力を分散しています!」
「分散?」
「一つに集めすぎた流れを、別の方向へ逃がしているんです!」
俺は思い出した。
図書塔の記録。
『ひとりの意思では、世界を整えられない』
「……そういうことか」
俺はしゃもじを握り直した。
「スラ! 全部受け止めるな! 少しずつ、みんなへ渡せ!」
ぷるん!
スライムたちが次々に集まり、光の流れを分けていく。
ゲイルが魔力を抑え、レイグが台座を支える。
元王子は研究者たちへ指示を出し、ユウマは装置の回路を切り替えた。
魔王も両手を広げ、暴走する魔力を受け止める。
「……私も、手伝おう」
「最初からそうしてくれ!」
俺は叫んだ。
魔王が苦笑した。
「まったくだ」
やがて、光が弱まった。
しゃもじが台座から外れる。
俺はその場に座り込んだ。
「……死ぬかと思った」
レイグが怒鳴る。
「本当に死ぬところだった!」
「ごめん!」
ユウマは記録を見つめていた。
「……でも、分かりました」
「何が?」
「一人で世界を整えようとすると、流れが偏る。でも、複数で分ければ、安定する」
元王子が頷く。
「つまり、必要なのは出力の大きさではなく、協力する相手の数か」
魔王は静かに言った。
「……世界中の意思が必要だというのか」
俺はしゃもじを見下ろした。
白い表面には、まだ細い光の亀裂が残っている。
「たぶん、そうだ」
そのとき、地下の奥から低い音が響いた。
ごごご……。
魔王の顔色が変わる。
「……まずい」
「何が?」
「今の実験で、世界の境界に刺激を与えた」
遠くの空に、黒い亀裂が走る映像が水晶に映った。
俺は息を呑んだ。
「……悪化した?」
魔王は頷いた。
「ああ。崩壊が早まった」
俺はしゃもじを握りしめた。
世界を救おうとして、逆に壊しかけた。
でも、諦めるわけにはいかない。
「……じゃあ、次は間違えないようにしよう」
レイグが俺を見る。
「次があると思うなよ」
「あるさ」
俺はみんなを見回した。
「今度は、一人でやらない」
魔王は静かに頷いた。
世界を救う方法が、ようやく見え始めていた。




