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勇者としゃもじの冒険  作者: レモンティー


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第五十一話 幻術の世界で、しゃもじだけが本物だった

目の前には、炊きたてのご飯があった。

白くて、つやつやで、湯気が立っている。

「……うまそう」

俺は思わず呟いた。

異世界に来てから、まともな白米なんて食べていない。

一口食べれば、全部忘れられる気がした。

でも、箸を持つ手が止まった。

「……なんで、俺は一人なんだ?」

夢の中の部屋は完璧だった。

忘れていた家具も、窓の傷も、冷蔵庫の音も。

なのに、何かが足りない。

俺は炊飯器の横のしゃもじを手に取った。

その瞬間、指先にざらりとした感触があった。

白い表面に、小さな傷。

北方城塞で黒い兵士に叩きつけたときについた傷だ。

「……これ、あのしゃもじだ」

台所の景色が、わずかに揺れた。

俺はしゃもじを握り直した。

「お前まで夢の中に来たのか?」

返事はない。

当たり前だ。

しゃもじは喋らない。

……いや、最近は何が起きてもおかしくないけど。

窓の外から、かすかな声がした。

ぷるん。

「スラ?」

俺は窓を開けた。

そこには見慣れた街のはずなのに、遠くの空が薄い布のように波打っていた。

「やっぱり、変だ」

しゃもじを窓枠へ当てる。

きぃん。

研究所で聞いた音と同じだった。

空に細い線が走った。

俺は深呼吸した。

「夢なら、夢らしくしてくれよ」

しゃもじで線をなぞる。

ぱりん。

窓の外の景色が割れた。

その向こうに、白い館の廊下が見えた。

俺は一歩踏み出した。

床に着地した瞬間、炊きたてのご飯の匂いが消える。

「……惜しいことしたな」

でも、後悔はなかった。

廊下の先には、いくつもの扉が並んでいた。

一つ目を開けると、レイグが王国の広場に立っていた。

人々が『最強の勇者』と叫び、花を投げている。

「レイグ!」

声をかけても聞こえない。

俺はしゃもじを掲げた。

「お前、そんなに褒められたいのか!」

レイグが振り返った。

「……カイ?」

「俺の知ってるお前は、褒められたら絶対に照れるだろ!」

レイグは顔をしかめた。

「何を言って……」

広場の人々が一斉に同じ笑顔になった。

レイグの目が鋭くなる。

「……気味が悪いな」

彼は自分で剣を抜き、足元の花びらを斬った。

景色が崩れる。

「遅いぞ」

「お前が寝てたんだろ!」

次は元王子の夢だった。

玉座に座り、臣下から祝福を受けている。

俺が呼ぶと、彼は迷ったように立ち上がった。

「俺は……ここにいれば、誰も失望させずに済む」

「でも、そこにいるのは本当の民じゃない」

元王子は玉座を見た。

そして冠を外した。

「そうだな。俺が守りたいのは、こんな完璧な絵じゃない」

三人目はユウマ。

豪華な部屋で、山ほどの遊び道具に囲まれていた。

「帰りません?」

俺が聞くと、ユウマは笑った。

「いやあ、ここ最高なんですよ。でも、誰もツッコミを入れてくれなくて」

「それが理由!?」

「大事ですよ。遊びは相手がいてこそです」

ユウマはあっさり立ち上がった。

最後はゲイルだった。

小さな家の前で、普通の服を着て、庭に水をやっている。

俺は少し迷った。

この夢だけは、壊していいのか分からなかった。

「……ゲイル」

彼は振り向いた。

「ここでは、誰も俺を道具と呼ばない」

「うん」

「痛みもない」

「うん」

「……それでも、お前たちは外にいるのか」

俺は頷いた。

ゲイルは静かに目を閉じた。

「なら、行く」

「いいのか?」

「俺が選んだ仲間だからな」

夢が消えた。

五人で廊下に戻ると、セレーネが立っていた。

「どうして戻ったのです? あの世界なら、誰も傷つかない」

俺はしゃもじを見せた。

「傷つかない代わりに、誰とも本当に会えないだろ」

セレーネの表情が揺れた。

「あなたは、幸せを拒むのですか」

「違う。幸せになるなら、自分で選びたい」

そのとき、足元のスラが跳ねた。

ぷるん。

俺は笑った。

「ほら、こいつも待ってた」

セレーネは長く沈黙し、やがて道を開けた。

「……行きなさい。あなたたちの選択を、もう止めません」

館を出ると、ピカウルフが駆け寄ってきた。

「何の夢だ?」

ピカは尻尾を振り、俺の荷物袋を鼻でつついた。

中には乾燥肉が入っている。

俺は肉を一切れ渡した。

「ほら。夢じゃなくても食えるぞ」

ピカは嬉しそうに飛び跳ねた。

セレーネが道を開けたあと、俺はふと振り返った。

「なあ。お前自身は、どんな夢を見るんだ?」

彼女は驚いたように目を見開いた。

「……私?」

「うん。人に夢を見せてばかりだろ」

セレーネはしばらく黙った。

「昔は、争いのない世界を夢見ました」

「今は?」

「争いを避けるため、誰も目覚めなければよいと考えるようになりました」

レイグが眉をひそめた。

「それでは、生きているとは言えん」

「分かっています」

セレーネは苦笑した。

「ですが、目覚めればまた傷つくでしょう」

俺は廊下の窓を開けた。

冷たい風が吹き込み、頬を撫でる。

「痛いな」

「……え?」

「冷たいし、腹も減るし、外に出たらまた面倒がある。でも、こういうのが本物なんだろ」

スラが窓辺で震えた。

「お前は寒いのか?」

ぷるん。

俺は上着の中へ入れてやった。

セレーネはその様子を見て、小さく笑った。

「勇者とは、もっと立派な者だと思っていました」

「俺もそう思ってた」

「失望しましたか」

「いや。俺が立派じゃなくても、仲間が立派だから」

レイグが咳払いした。

「余計なことを言うな」

「照れてる!」

「照れてない!」

ユウマが笑い、元王子も口元を緩めた。

ゲイルだけは静かに外を見ていた。

「……俺の夢には、痛みがなかった」

「戻りたかったか?」

俺が聞くと、彼は少し考えた。

「少しは」

「そうか」

「でも、あの夢の俺は、お前たちを知らなかった」

ゲイルは俺を見た。

「それは、俺が望む人生じゃない」

俺は胸の奥が温かくなった。

「……いいこと言うじゃん」

「お前に褒められると、妙な気分だ」

「なんでだよ!」

セレーネは静かに目を閉じた。

「あなたたちの旅を、ここから見守ります」

俺は頷いた。

「できれば、次は普通の宿を紹介してくれ」

「……それは、難しいですね」

「最後まで四天王だった!」

館の外には、朝日が昇っていた。

俺はしゃもじを腰に差す。

「さあ、魔王城だ」

レイグが呆れたように笑った。

「まず朝飯だろ」

「そうだった! 夢の中で食べ損ねた!」

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