第四十話 敵の魔物を整えたら、魔王軍が半分になった
巨獣の背中で、黒い輪が脈打っていた。
「カイ、離れろ!」
レイグの叫びと同時に、巨獣の尾が城壁を薙いだ。
石が飛び散る。
俺はピカウルフに襟をくわえられ、ぎりぎりで転がった。
「助かった! でも運び方が雑!」
わふ。
返事だけは元気だ。
ユウマが城壁の陰から声を上げる。
「輪の発光と、敵の旗の動きが一致しています!」
「つまり旗振り係が黒幕?」
「そんな雑な肩書きじゃありません!」
俺はしゃもじを握り直した。
スラから伝わる感触を思い出す。
ぐちゃぐちゃに混ざった糸。
その中心に一本だけ、無理やり引っ張る糸がある。
「混ぜるんじゃなくて、ほどけばいいのか」
「独り言は後にしろ!」
ゲイルが巨獣の背へ跳んだ。
黒い輪の脇に剣を差し込み、固定具を切断する。
金属が跳ね、巨獣が暴れた。
「今だ」
俺はしゃもじを掲げる。
「スラ! 黒い流れだけ外せ! 体は傷つけるな!」
ぷるるん。
輪を覆ったスライムたちが薄く広がる。
黒い光が揺らぎ、一本の線になって浮き上がった。
俺はその線をしゃもじで掬い上げるように振った。
ぷつん。
何かが切れた。
巨獣が崩れ落ちる。
城壁の兵士が一斉に弓を構えた。
「撃つな!」
俺は叫んだ。
巨獣は起き上がらない。
ただ、長く息を吐いた。
背中の輪は光を失い、目から怯えが消えていく。
「……生きてる」
レイグが剣を下ろす。
「しかも、もう攻撃してこない」
巨獣は鼻先を俺に向けた。
大きすぎて、鼻息だけで髪が逆立つ。
「お、お礼は小さめで頼む」
ぶふん。
「十分でかい!」
ユウマが敵陣を指差した。
「ほかの魔物にも、同じ輪があります」
見れば、騎獣の首にも、狼型の魔物の胴にも、細い黒帯が巻かれている。
どれも同じ間隔で光っていた。
「だったら、まとめて外せるかもしれない」
「十万の敵の中でか?」
元王子が眉をひそめる。
「全部は無理だ。でも、黒い命令が同じところから来てるなら」
俺はしゃもじを見つめた。
「元をたどれる」
巨獣の輪を外した直後、俺は奇妙な感触を覚えていた。
黒い命令の奥に、怯える声のようなものがあったのだ。
言葉にはならない。
ただ、嫌だ、やめてくれ、という感覚だけが流れ込んでくる。
「カイ、顔色が悪いぞ」
レイグに言われ、俺は首を振った。
「魔物の声が聞こえた気がする」
「お前、ついにしゃもじと会話を始めたか」
「違う! いや、俺も何が違うのか分からんけど!」
ユウマは冗談を言わなかった。
「支配魔法なら、魔力の通り道を利用するはずです。そこを切れば、魔物は自分で動ける」
「でも、まとめて切ったら倒れたりしないか?」
「可能性はあります。だから一度に全部ではなく、順番に」
俺たちは三つの中継点のうち、最も弱い反応のものから試すことにした。
最初の中継点を断った瞬間、狼型の魔物が一匹倒れた。
俺は心臓が止まりそうになった。
「おい、大丈夫か!」
城壁から身を乗り出すと、その狼はゆっくり起き上がった。
そして、すぐには逃げなかった。
こちらを見つめ、何かを確かめるように鼻を動かしている。
「……選んでるんだ」
俺は気づいた。
「命令じゃなくて、自分で次の行動を決めてる」
元王子が伝令を呼んだ。
「魔物が離脱しても追撃するな。追ってくる敵兵だけを防げ」
「敵を逃がすのですか?」
若い兵士が聞く。
「敵であることをやめた者まで、敵にする必要はない」
その判断は簡単ではなかったはずだ。
城壁の向こうには、さっきまで自分たちを殺そうとしていた群れがいる。
それでも、弓兵たちは矢をつがえたまま待った。
やがて、魔物たちが少しずつ森へ向かい始める。
一匹の小さな狼が、脚を引きずっていた。
ピカウルフが城門から飛び出し、その横に並んだ。
「おい、ピカ! 戻れ!」
ピカは一度だけ振り返り、怪我をした狼が歩き出すまで待っていた。
俺はしゃもじを下ろした。
勝つことは、必ずしも倒すことじゃない。
その光景を見た城壁の兵士たちも、少しずつ武器を下ろした。
しかし敵の将軍は、そこまで見越していたのかもしれない。
解放された魔物の群れが去ったあと、地平線に現れた黒い兵士たちは、誰一人としてこちらを見ていなかった。
同じ角度で、同じ速度で、ただ進んでくる。
俺は嫌な予感を覚えた。
「……今度は、助けてって声が聞こえない」
森へ去った魔物のあとを、敵の兵士が追おうとした。
だが黒い輪を失った巨獣が一歩だけ戻り、追手の前に立ちはだかった。
「……あいつ、仲間を守ってる」
俺は呟いた。
レイグは剣を下ろした。
「敵の中にも、守りたいものがあるんだな」
ユウマは地図に敵の旗を記した。
赤い旗が三つ。
そこを中心に魔物の隊列が動いている。
「中継点ですね。あそこを断てば、一度に解放できるかもしれません」
元王子はすぐに伝令を走らせた。
弓兵は魔物ではなく旗の周囲を牽制。
ゲイルとレイグは敵の注意を引く。
俺はスラを細く伸ばし、地面の亀裂から中継装置へ近づけた。
「俺の人生、こんなに地味な大作戦ばっかりだな」
「地味で済めば上出来だ」
レイグが笑った。
一つ目の中継点が沈黙した。
前線の狼たちが一斉に足を止める。
二つ目が止まると、騎獣が首を振って兵士を振り落とした。
三つ目は敵が必死に守っていたが、ゲイルが装置の支柱だけを断った。
黒い光が、空へ散った。
魔物たちはしばらく動かなかった。
やがて、先頭の狼がゆっくり森へ歩き出す。
後ろの群れも続く。
巨獣は俺を一度振り返り、重い足取りで戦場を離れた。
「……帰っていく」
兵士の誰かが呟いた。
敵の陣形には、大きな空白ができていた。
元王子が報告を受け取る。
「魔物の戦列がほぼ崩壊。戦闘に参加していた敵の数は、実質半分以下になった」
「半分!?」
俺は自分でやっておいて驚いた。
「俺、強すぎない?」
「今のうちに自慢しておけ」
レイグが遠くを睨んだ。
敵陣の中央に、新しい黒旗が上がる。
その下には、人間に似た姿の兵士たちが並んでいた。
鎧は黒く、歩調は完全に同じ。
ユウマが低く言う。
「次は、操られている魔物じゃありません」
敵将の声が、魔法で戦場に響いた。
『しゃもじの勇者。
解放の手並みは見事だ。
では、次の問題を出そう』
俺は空を見上げた。
「……試験官までいるのかよ!」




