第三十話 最強の剣士にも、しゃもじは効くらしい
「なぜ、それがお前の手にある」
ゲイルの問いに、俺はしゃもじを持ち上げた。
「王様にもらった」
「……それだけか」
「それだけだよ。領収書もない」
レイグが眉を寄せる。
「ふざけている場合か」
「ふざけてない。支給品の出所は大事だろ」
しゃもじの先端に浮かんだ銀の線は、消えそうで消えなかった。
ゲイルが近づくと、線は脈打つように明るくなる。
彼は一歩退いた。
「離れろ」
「お前が近づいたんだろ!?」
「俺の中のものが反応する」
その言葉が終わった瞬間、ゲイルの右腕に黒い筋が浮かんだ。
元王子が駆け寄る。
「怪我か?」
「違う。……抑えきれない」
ゲイルの呼吸が荒くなる。
周囲の砂がふわりと持ち上がり、剣の鞘が小さく鳴った。
レイグが全員に下がるよう指示する。
「ゲイル、剣を置け」
「置けば……制御が……」
ゲイルの手が勝手に動いた。
剣が抜ける。
速い。
俺には光の筋しか見えなかった。
レイグが受け止めたが、足元の岩が砕けた。
「くっ……!」
「俺から離れろ!」
ゲイル自身が叫んだ。
「止められない!」
次の一撃がレイグを弾き飛ばす。
ユウマはゲイルの背後に回り、元王子は俺を引っ張った。
「カイ、下がって!」
「下がるけど、逃げない!」
俺はしゃもじを構えた。
「スラ、輪を作れ! ゲイルを傷つけずに囲む!」
スライムたちが一斉に飛び出す。
しかしゲイルの足元に近づいた一匹が、黒い光に弾かれた。
「ぷるっ!」
「スラ!」
俺は地面を蹴る。
飛ばされたスラを受け止め、しゃもじで軽く混ぜると震えが収まった。
「……なるほど」
ユウマが横にしゃがむ。
「何が分かった?」
「ゲイルが暴れてるんじゃない。中に変な流れがある。それが周りを押し返してる」
「どうする?」
「外から無理に整えたら、余計に壊れるかもしれない」
俺は考えた。
スライムを整えたとき、最初にやったのは力を加えることじゃなかった。
混ぜた結果、何がどう変わるかを見た。
ならば。
「スラ、一匹だけ来てくれ。今度は押さえ込むな」
手のひらに乗ったスラが、ぷるんと応える。
「俺のしゃもじとゲイルの間に入って、流れだけ伝えてくれ」
「危険すぎる」
レイグが血のにじむ腕を押さえながら言った。
「分かってる。でも、このままじゃゲイルが自分で自分を壊す」
俺はスラをしゃもじの先端に乗せた。
ゲイルがこちらを向く。
瞳から、いつもの光が消えていた。
「……来るな」
声だけは、ゲイルのものだった。
「お前が言っただろ。借りを返すって」
一歩、近づく。
「返し終わる前に壊れるなよ」
ゲイルの剣が上がる。
レイグが横から飛び込み、その一撃を受け止めた。
「三秒だ!」
「十分!」
ユウマがゲイルの足元へ小石を投げ、体勢をずらす。
元王子が背後から鞘を押さえる。
俺はしゃもじを伸ばした。
ぺちっ。
「……軽っ!」
自分で言ってしまった。
だが、スラがゲイルの腕に触れた瞬間、世界が奇妙に静かになった。
黒い流れが見える。
血管じゃない。
筋肉でもない。
体の奥を巡る、細い道。
その道の一部だけが、異常な速さで回っていた。
「お前、ずっとこれを抱えてたのか……」
俺はしゃもじを小さく回す。
混ぜるのではなく、速すぎる流れを遅い流れへ少しずつ分ける。
スライムが震える。
俺の腕も痺れた。
「カイ!」
「まだ!」
銀の線が眩しく光る。
しゃもじの先端が熱くなり、手のひらに汗がにじむ。
「俺は剣士じゃない。魔法使いでもない。だから難しいことは知らん!」
もう一度回す。
「でも、お前が苦しいのは分かる!」
黒い筋が薄くなった。
ゲイルの剣が地面に落ちる。
からん。
「……あ」
ゲイルの膝が折れた。
元王子が支え、レイグがようやく剣を下ろす。
「止まった……のか?」
ユウマが慎重に確かめる。
「呼吸が戻ってます。魔力の揺れも減った」
俺はしゃもじを見た。
先端の銀線は残っている。
「よかった。これ以上変形したら、しゃもじじゃなくてフォークになるところだった」
「ならねぇよ」
レイグのツッコミに、全員が少しだけ笑った。
ゲイルが顔を上げる。
「……なぜ助けた」
「仲間だから」
「俺は、お前たちを斬りかけた」
「斬られたら怒る。でも斬ってないだろ」
「それは結果論だ」
「結果は大事だよ。生きてるんだから」
ゲイルは目を伏せた。
「……すまない」
その言葉は、初めて聞くほど弱々しかった。
山の向こうで青い光が再び立ち上がる。
ゲイルはそれを見つめ、低く呟く。
「この反応を止めるには、あの施設を止めるしかない」
俺は立ち上がった。
「じゃあ行こう。今度は一人で抱えるなよ」
スライムたちが、ぷるん、と一斉に跳ねた。
「……ただし先に休憩な。俺の腕、まだしびれてる」
レイグがため息をつく。
「緊張感が続かんな」
「緊張感で腹は膨れないからな!」
そう言った途端、腹が鳴った。
最悪のタイミングだった。
俺は手の痺れを確かめるため、しゃもじを何度か握り直した。
指先はまだ少し震える。
「……次も同じことができるとは限らないな」
ユウマが頷いた。
「今回はゲイルの力が一瞬弱まったから届きました。もっと強い暴走なら、こちらが先に倒れるかもしれません」
「対策がいるな」
レイグが言う。
「まず、ゲイルが異常を感じた時点で戦闘を止める。それが第一だ」
元王子も頷く。
「それから、しゃもじの力を使う前に周囲の人を避難させよう」
「なるほど。作戦会議だ」
「ようやく気づいたか」
俺は笑った。
仲間が増えると、面倒なことも増える。
だけど、一人では思いつかない答えも増える。
「……俺、ちょっと勇者らしくなってきた?」
レイグは真顔で答えた。
「しゃもじを置けばな」
「そこは譲れない!」
休憩中、ゲイルは自分の右手を何度も開いたり閉じたりしていた。
「まだ痛むのか?」
「痛みはない。……静かすぎる」
「静か?」
「いつも頭の奥に、急げ、斬れ、勝てという声のようなものがあった。今は聞こえない」
俺はしゃもじを見た。
「それ、俺が消しちゃった?」
「分からない。だが、悪い気分じゃない」
ゲイルはそう言って、初めて空を見上げた。
「鳥の声がする」
「そりゃ山だからな」
「今までは、聞こえていなかった」
俺は返す言葉を探した。
スライムがゲイルの靴にくっついた。
彼はいつもなら無表情で振り払うところを、そっと指で触れた。
「……柔らかいな」
「今さら!?」
ユウマが笑い、元王子も肩の力を抜いた。
俺は思った。
敵を倒すより、こういう変化のほうがずっと難しいのかもしれない。




