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勇者としゃもじの冒険  作者: レモンティー


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第二十九話 ゲイルが本気を出したあと、山が壊れ始めた

山の風が戻ってきた。

ついさっきまで魔王軍幹部が立っていた岩場には、砕けた石と深い亀裂だけが残っている。

「……で、どうするんだよ」

俺はしゃもじを肩に乗せ、仲間たちを見た。

レイグは剣についた砂を払っている。

ユウマは周囲を調べ、元王子は負傷したゲイルの肩を支えていた。

ゲイルだけが、妙に静かだった。

「下山する。今すぐだ」

「そんなに急ぐ必要あるか?」

「ある」

その返事が終わるより早く、地面の下で何かが鳴った。

ごごご、と腹に響く音。

「……地震?」

「違う」

ゲイルの顔色が変わる。

「奴が死んだことで、封じていたものが動き始めた」

「死んだあとまで迷惑かける幹部って何!?」

足元の小石が跳ねる。

岩壁の裂け目から、黒い霧が細く噴き出した。

ユウマがしゃがんで霧を観察する。

「魔力の流れが、山の内側へ集まっていますね。まるで排水口です」

「嫌な例えだな」

「例えじゃなくて、構造が似てるんです」

黒い霧が触れた草が、一瞬で灰色になった。

レイグが俺の前に出る。

「近づくな。何が起こるか分からん」

「分からないものに近づくのは俺の仕事じゃない。スラの仕事だ」

「人任せならぬ魔物任せか」

「適材適所!」

スライムを一匹だけ送り出す。

ぷるん、と頼もしく跳ねたスラは霧に触れた途端、体の半分が黒く濁った。

「おい、戻れ!」

しゃもじを差し出すと、スラが必死に柄へ飛びつく。

混ぜるようにゆっくり回す。

白と黒の渦が生まれ、黒い部分が小さな粒になって分離した。

粒は地面に落ち、石のように固まった。

「……整えられる」

俺は息を吐く。

「でも、いつもより重い。こいつはただの汚れじゃない」

ゲイルがその粒を見て、初めて怯えたように後ずさった。

「それを捨てろ」

「え?」

「触るな。絶対に」

直後、黒い粒がひとりでに震え、細い糸を伸ばした。

糸は近くの石に絡みつき、石をひび割れさせる。

レイグが剣の腹で粒を弾き飛ばした。

崖の向こうで、かすかな破裂音。

「説明しろ、ゲイル」

「……できない」

「さっきもそう言ったな」

「話せば、お前たちを巻き込む」

元王子が静かに口を開いた。

「もう巻き込まれてるよ。俺たち、ここに全員いるだろ」

ゲイルは答えなかった。

そのとき、遠くの森で悲鳴が上がった。

見下ろすと、山道を登ってきた荷馬車が黒い霧に囲まれている。

馬は暴れ、御者が車輪の下敷きになりかけていた。

「議論はあと!」

俺は走り出した。

「カイ、待て!」

「待ったらあの人が潰れる!」

スライムたちを斜面へ流す。

ぬるぬると広がった体が柔らかな滑り台になり、俺はそこを滑り降りた。

「うわあああ! 速度調整できないの!?」

下でピカウルフが受け止める。

助かった。

毛並みは今日も異様にふかふかだ。

御者の足元にスライムを差し込み、荷馬車を持ち上げる。

ユウマが手綱を取り、レイグが暴れる馬を落ち着かせた。

元王子は積み荷を下ろして重心を移す。

「今だ!」

「せーの!」

馬車が元の位置に戻った。

御者は涙目で礼を言ったが、黒い霧はまだ迫っていた。

俺はしゃもじを握り直す。

「スラ、全員集合。霧を一か所に集めろ。だけど触れすぎるな!」

スライムが輪を作り、霧の外側をゆっくり押す。

俺は輪の中央へしゃもじを差し込んだ。

混ぜる。

ただ回すのではない。

濁りと透明な部分を分け、濁りだけを端へ寄せる。

「……こういうの、料理でもあるよな」

「料理中に毒霧は出ないだろ!」

レイグのツッコミが飛ぶ。

霧は小さな黒い塊になり、スライムの中へ閉じ込められた。

「できた!」

だがゲイルは笑わない。

「それは封じただけだ。山の奥には、もっと大きなものがある」

御者が震える声で言った。

「山の北側に、昔から立入禁止の谷があるんです。昨夜、谷の方から青い光が……」

ゲイルが顔を上げる。

「青い光?」

「ああ。空に柱みたいに立っていました」

ゲイルの指が剣の柄を強く握った。

「……遅かったか」

俺は顔をしかめる。

「今度は何が遅いんだよ。説明不足選手権なら優勝だぞ、お前」

ゲイルはしばらく俺を見ていた。

そして、絞り出すように言う。

「俺を作った場所がある」

風が止まった気がした。

「その場所が、また動き始めた」

俺はしゃもじを見た。

さっきまで白かった先端に、細い銀色の線が浮かんでいた。

「……おい」

思わず呟く。

「俺のしゃもじまで、なんか反応してるんだけど」

ゲイルはその線を見て、息を呑んだ。

「なぜ、それがお前の手にある……?」

誰も答えられなかった。

ただ、山の奥から二度目の地鳴りが響いた。

谷の入り口には、崩れた道標があった。

文字はほとんど読めなかったが、下の方に小さな矢印が残っている。

「北の谷へ向かう道か」

元王子が指でなぞる。

「昔は普通の道だったのかな」

「たぶんな」

俺はしゃもじを握った。

人が歩いていた道が、いつの間にか秘密の施設へ続く道になっている。

誰かが道を隠し、誰かが通れなくした。

「……こういうのも、整えられたらいいのにな」

レイグが俺を見る。

「道か?」

「うん。必要な人が通れるようにするって意味で」

「お前は本当に、戦う以外のことを考えるな」

「だって、戦いって終わったあとが大変だろ」

レイグは少しだけ笑った。

「……その通りだ」

ゲイルはその会話を黙って聞いていた。

その目はまだ暗かったが、歩幅だけは俺たちに合わせてくれた。

岩場を離れる前、俺は黒い粒を包んだスライムをそっと持ち上げた。

「これ、持っていくのか?」

ユウマが尋ねる。

「捨てたらまた誰かが踏むかもしれない。安全な場所を探す」

「危険物の保管まで始めたんですね」

「勇者って業務範囲広すぎない?」

ゲイルはしばらく考え、腰の小袋を差し出した。

内側に銀色の薄い布が縫い込まれている。

「魔力を遮る袋だ。これなら少しは持つ」

「持ってたなら最初から出してよ!」

「……使うとは思わなかった」

黒い粒を袋に入れると、しゃもじの銀線がわずかに暗くなった。

俺はゲイルを見た。

「お前の秘密、今すぐ全部言えとは言わない。でも、危ないものがあるなら教えてくれ」

ゲイルはゆっくり頷いた。

「……努力する」

「じゃあ、一つだけ聞かせてくれ」

俺は黒い粒を収めた袋を示した。

「これを封じていた幹部は、誰を守ろうとしていた?」

ゲイルは目を伏せた。

「……施設を守っていた。人間も魔物も、そこでは材料だった」

「なら、俺たちが守るものとは違うな」

返事はなかった。

でも、ゲイルは初めて袋から目を逸らさなかった。

「努力目標かよ」

レイグが苦笑する。

「お前たち、似てきたな」

「どこが!?」

山道には、まだ薄い霧が残っていた。

俺たちは互いの姿を見失わないように歩いた。

誰かが転べば手を貸し、疲れた者がいれば足を止める。

さっきまで敵か味方か分からなかったゲイルも、今は同じ列の中にいた。

それが妙に嬉しかった。

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