第6話 外出①
日曜日。
食堂で昼食をとってから、十五分ほどバスに揺られ、私鉄の駅で電車に乗り込んだ。
四方は午前中に予備校で模試の手続きをする、ということだったので、映画館の最寄り駅で待ち合わせの約束をしている。
ポケットからスマホを取り出して、メッセージアプリを開く。
城青でも、スマホの所持は認められている。ただ、使用が許可されているのは、平日と休日の自由時間だけ。
持ち出しの手続きが面倒臭いこともあって、國弘がスマホを使用するのは、親と連絡を取る時くらいだった。
連絡先一覧の一番上に『Michiya.Y』という名前が表示されている。
プロフィール画像は特に設定していないらしく、デフォルトの、人型のシルエットアイコンのままだ。
四方とは、待ち合わせの時間と場所のやりとりをもう一度確認する。
(――今から二時間後には確実に、四方先輩と二人で映画を見ている)
到底現実とは思えなくて、天変地異とか、ドタキャンとか、なんだかんだで台無しになってしまうのじゃないか、と、悪い妄想が膨らんできて動悸がした。
目的地の駅に着き、改札を出ると、九月の空気はまだじっとりと暑さを引きずっていた。
待ち合わせの時間まで、まだ四十分以上ある。
とにかく時間を潰そうと、駅の近くを散歩することにした。
初めて降りる駅だった。
周辺にお店もほとんどなく、数件ある小汚い居酒屋はことごとく準備中。
四方に誘われなければ、一生来ることのない場所だったに違いない。
駅を一周し終えて駅前の時計で時間を確認すると、まだ十分も経っていなかった。
早く来すぎるというのも考えものだな、と思いながら、日陰の場所を探していた時、ポケットのスマホが震えた。
四方からのメッセージだった。
『もうすぐ着いちゃうかも。國弘君はゆっくり来ていいよ』
(もう着いちゃってるんだなー、これが)
約束の三十分前に着いてしまいそうな四方より、さらに早く来ているなんて、浮かれている感じがめちゃくちゃ出てるじゃないか。
いっそどこか別の場所で待っていて、少し遅れて着いた風を装えないか、という浅はかな考えが頭をよぎる。
しかし、改札の外から遅れてやって来る、というのは違和感ありすぎだ。
仕方なく、『了解です! 俺もかなり早めに着いちゃってたので、改札出たところで待ってます』と返信した。
メッセージにはすぐに既読がつき、『了解!』の一言が返ってくる。
國弘はスマホを胸にあて、大きく息を吐いた。
いよいよ会うときが近づいて、また緊張がぶり返す。
うまく話せるだろうか、会話は続くだろうか、失礼なことをして幻滅されないだろうか。
嬉しいはずなのに、いろいろ考えるとこの場から逃げ出したい気分になった。
いっそ天変地異が起きて、ドタキャンされてしまいたい。
改札近くでしばらく佇んでいると、間もなくして四方が現れた。
彼の姿を目の端で捉えながらも、浮かれがバレないよう、ギリギリまでスマホを操作して気づかないフリをした。
「國弘くん」
声をかけられて、ようやく四方に目を向ける。
瞬間、彼の私服姿にクラリとなった。
麻っぽいスタンドカラーのシャツに、ダークブラウンの綿パン。カジュアルな格好なのに圧倒的な清潔感。
「待たせちゃった?」
そう聞かれて、國弘は慌てて首を振る。
「俺が早く来ただけです。まだ、約束の時間より大分早いですし……」
四方は腕時計を見ながら、「ほんとだ。僕たち、真面目だね」と苦笑した。
『僕たち』なんて一括りにしてもらえることに、いちいち心が弾んでしまう。
「早めに映画館着くかもしれないけど。とりあえず行ってみよっか」
そうして、四方が歩みを進むままに、横に並んでついていった。
「あの、お借りした小説、全部読みました。……めちゃくちゃ面白かったです」
「え、全部読んだの? 一昨日貸したばっかりなのに?」
四方は長いまつげをパチパチとしばたいた。
「すごく面白かったですし、昨日夢中で一気読んじゃいました」
國弘の言葉に嘘はなかった。
本を借りた時、心配したのは事実だ。
難しい本で読みこなせなかったらどうしよう、重たすぎる内容だったらどうしよう、と。
戦争下の話なので、内容は確かにヘビーだったが、読みやすい文章と不思議な爽快感、深い物語性に、ラノベ以外にも、こんなに魅力的で読みやすい作品があるのかと驚いた。
四方はそれを聞いて、わずかにホッとしたような表情を見せた。
「良かった。小説って時間取るから、人に勧めづらいんだけど。本当に良い本だから、つい押し付けちゃった」
四方が、自分のことを本の魅力がわかる人間として認めてもらえたなら、それはとても嬉しいことだ。
四方に案内してもらった『シネマ・アデル』は、寂れた商店街の一角にある、古びた映画館だった。
白いタイル張りの小さな公民館のような建物は、ガラスドアの入り口に、映画のチラシがお札のように何枚も重ね貼りされている。
四方の後から恐る恐る中に入ると、中は赤いカーペットの敷かれた、歴史を感じる狭いロビーだった。
唯一、國弘にも馴染み深い映画館の要素があるとすれば、ポップコーンの匂いが漂っていること。
キャラメル味のような甘い香りではなく、多分塩味一択。潔い。
カウンターでチケットを買ってから、ロビーにある簡素な革張りの椅子に二人で腰掛けた。
予想通り、開場時間まで時間があった。
辺りを見回すと、ロビーにはまだ人は少なく、老夫婦が一組だけ隅っこにいるだけだ。
奥に四段の幅の広い階段があり、その上に重厚な二枚扉がある。
その先はシアターだろう。
國弘の知らない、なかなかのディープな空間に圧倒されていた。
「こういう映画館、初めてです」
素直に四方に白状すると、四方も「普通あんまり来ないよね」と頷いた。
「ミニシアター系っていうのかな? ショッピングモールとかに入ってる大きい映画館と違って、ヨーロッパの映画とかドキュメンタリーとか、もっとニッチな映画をやってるんだよね」
「先輩はよく来るんですか?」
「んー、そんなには。気になったやつがあったら、たまにって感じかな」
会話が終わってしまい、なにか話を振ろうと、改めて周囲を見渡す。
壁に貼られた『伝説の男 リバイバル上映』という映画のポスターが目に入った。
「『伝説の寮長』って……」
言った瞬間、隣の四方が少し驚いたように「うん?」と反応した。
「木曽先輩が寮会で言ってた、『伝説の寮長』って、去年の寮長のことですよね。確か一条――……」
自分が実際に会ったことのない先輩に対して、名字の後に『先輩』をつけるか『さん』をつけるか、悩んで言い淀む。
「美徳」
そう言われて、すこし考えてから、あぁ、下の名前のことか、と気づいた。
「その、一条……美徳……先輩? っていうのは、そんなにすごい人だったんですか? 『伝説の寮長』って呼び方も、なんだかすごいですし」
――『伝説の寮長』
噂話に疎い國弘でも、上級生が冗談交じりにその言葉を使うのを、たびたび耳にしたことがある。
――去年はさ、伝説の寮長がいたから
――伝説の寮長はマジすごかったんだから
そんな話を聞く度、一体彼らがどこまで本気で『伝説』と言っているのか、気になったものだった。
「すごい……というかなんというか。ワガママで強引で、大変な人……」
四方はそう言い終えてから、付け加えるようにフォローを入れた。
「……あ、センスとか人を惹きつける魅力、みたいなのは、すごくある人だったけどね?」
それでもやっぱり抽象的な表現に、一条の人物像がまるでつかめなかった。
國弘が首を傾げていると、四方が続けた。
「うちの寮祭ってもともと、そこまで盛り上がるイベントじゃなかったんだ」
「そうなんですか?」
「寮会でも言ったけど、学校側から出されてる条件も厳しいし、寮会も寮生も、あんまりやる気がなくてね」
「なんか、想像できますね」
「だから、去年も元々は、多目的ホールで懇親会みたいなものを開けばいいよね、っていう流れで」
「懇親会……」
確かにその程度のイベントだったら、企画する側としても大分楽だったかも知れない。
「でも、そこで前寮長……一条先輩が、『いや、それつまんなくね?』って言い出したんだ。寮会メンバーも、そりゃそうなんだけどさって……」
「それで、一条先輩が、ホストクラブを提案した、と?」
「いや、二年代表に全部押し付けた」
「えっ」
四方が呆れたように苦笑する。
「その時の二年代表が、僕とか木曽だったわけなんだけど。『お前ら受験もまだ先だし、なんか面白い企画考えてこいよ』って」
「それは、大変そうですね……」
四方が「本当に」と強く頷いた。
「頑張って企画考えても考えた企画も、全部ボツにされちゃうし。
『ホストクラブ』の案が出たときにようやく、それいいじゃん、ってなって。
でも企画が決まったら決まったで、準備から何から、最後まで二年代表中心でやりきったよ」
「その、一条先輩は、何をしていたんですか?」
「うーん、いろいろ文句つけてたかなぁ……」
「文句?」
「面白くない。ちゃんと考えろ。やり直し。彼の顔色を伺って、彼が満足するために、二年はひたすら動くって感じ」
唖然とする國弘に、四方が笑って続ける。
「まあ不思議と、それが許される人だったんだよ。一条先輩のワガママも、筋はちゃんと通っていたし。
この人の言う通りにすれば、窮屈な日常が、ちょっとは面白くなるんじゃないかって……そんな気にさせる人だった」
四方は過ぎた日々を懐かしく思うように、目を細めた。
「結果、寮祭は大成功。お遊びの範疇ではあったけど、なにより寮生たちが喜んでね。
学校の歴史のなかで初めて、寮祭に刺激と輝きを与えた寮長、ということで『伝説の寮長』って呼ばれるようになってた」
「そういうことだったんですか」
ふと、ロビーに人が増えて来たことに気づく。
壁の時計を見ると、開場まであと少しだ。
この際だからと、常日頃思っていた疑問を尋ねることにした。
「木曽先輩って、いろんな人に攻撃的ですけど、二年の時からああいう人なんですか?」
四方は腕を組み、天井を見上げた。
「うーん、二年の時はマシだったかな」
「俺、寮会の時、『そんな言い方しなくても』っていつも思います。なんか四方先輩にも、いちいち突っかかると言うか」
そう口をとがらせる國弘に、四方は困ったように微笑む。
「まあでも、木曽も的外れなことは言ってないし。
僕は性格的に、どうしても無難におさめがちだからさ。小さくまとまりすぎる俺のこと、叱咤してるのかもしれない」
いやいや、あなたそれは、木曽先輩を良いように解釈しすぎですよ、と思わずツッコミを入れたくなった。
去年の文化祭の話を聞くと、四方と木曽は、理不尽な寮長のもとで寮祭をやりとげた仲間……ということではないのだろうか。
それなのに、なぜ木曽はいつも四方に対してあんな態度なんだろう。
それに加えて、木曽のことをまるで意に介さない四方に対しても、少しだけ違和感をおぼえる。
優しすぎるのか、鈍感すぎるのか――……。
何か言いたそうにしている國弘を、四方は少しの間見つめていた。
やがて視線をそらすと、ボソリとつぶやくように言った。
「……まぁ、木曽は木曽なりに、複雑なんだと思う」
國弘が「どういうことですか?」と訊こうとした時、映画館の係員の女性がシアターの開場を合図した。




