第41話 一条②
伝説の寮長を一目見ようと、講演会が行われる予定の教室は、人で溢れかえっていた。
國弘もほとんど時間通りに来たというのに、全く教室に入れる気配がない。
そこへ小柄な女性教員が駆け込んできて、声を張り上げた。
「場所を講堂に変更します! 講演会を聞きに来た生徒は、講堂に移動してください!」
途端に、「講堂だって」「え、ここじゃないの?」と情報が伝播していく。しかし皆腰が重く、一向に動こうとしない。
國弘もなんとなくその場に留まりたい気持ちになったが、変更するというからには変更するのだろう。
単純な情報処理をして、一人講堂へと足を踏み出すと、後ろからも皆がぞろぞろついてきた。
國弘は遅く来たことで、はからずも、先頭を歩くことになってしまっていた。
早く来た生徒に申し訳ない気がしたが、まあ講演会なんて、座席の良し悪しで価値が変わることなんてないか、と思い直す。
講堂は、学校パンフレットの表紙に乗るような、この学園の代表的な建築物だ。入学式や卒業式などの式典や、演劇鑑賞なども時々ここで開かれる。扉が開けられると、座席の間の通路を進んだ。
こういうときになんとなく前のほうが得だと思ってしまう國弘は、何も考えずに、前から三列目のすこし右側に腰掛けた。
舞台を見ると、少し見上げるような形になる。ちょっと近すぎた。
やがて見慣れない私服の大学生たちが壇上脇の階段を登っていった。
この学校の卒業生で、現役医学部生。白に近い金髪とピアスの人、真面目そうな眼鏡の人、ふくよかでどことなく柔らかい雰囲気の人……。きっと皆賢いのだろう、という色眼鏡を外せば、個性がばらばらで、統一感がない。
しかしその最後、階段を上った後ろ姿に、國弘は息をのんだ。
纏っているオーラが圧倒的に違った。
やがて一番右端に腰掛け、司会の方を何気なしに見ている彼を、よく観察してみる。
ロン毛に近い髪は綺麗に整えられ、体格も良い。学生らしい無邪気さよりも、大学一年生というのが信じられないくらい、ずっと大人びて見えた。けれどその相貌はすっきりとして、甘さすら漂わせている。
カジュアルなグレーのジャケットに、深い色のニットという出で立ちも、彼自身の雰囲気に良く合っていた。
彼だけが、そこにいる大学生の中で明らかに別格だというのはすぐにわかる。
あれが、一条美徳――。
しばらく雑然と準備が行われたあと、司会役の教員が、ようやくマイクを持って口を開いた。
「それでは、準備に少々時間がかかりましたが、これより『城青学園OB講演会―医学部進学の道のり―』を開始いたします」
そうして、五人の登壇者が順番に自己紹介とスピーチを始めた。城青で過ごしていた頃の勉強習慣、集中力の保ち方、過去問の進め方……。どれも実用的で、國弘も参考にしたいと思うものばかりだった。
その間一条はというと、足を組み、退屈そうに視線を客席へ流していた。そして急に、一点を凝視した。
國弘はふと、ひょっとしたら彼は四方見つけたのではないか、と思った。
その視線を追って、振り返りたかった。でも他の人が壇上で喋ってる手前、失礼なことのような気がしてできない。
そうこうしているうちに、最後の一条の番が回ってきた。
一条はゆっくり立ち上がり、マイクを手に軽く会釈する。
「C大医学部の一条です」
よく響く綺麗な声だった。
「最初に言っておきますが――医学部に合格するのは簡単なことです」
一条がそう言った瞬間、講堂の空気が止まった。
同時に、無音の戸惑いが広がる。
「出される問題を解けるようにしてから、試験を受ければいい。それだけです。この学校には、そのための時間も、教材も、環境も、全て揃っている。できないと言うのなら、医師は向いていません。進路を変えましょう」
衝撃だった。それは、勝者の理論だ。あまりに救いがない。
「私の言葉を聞いて、『それができないんだ』、と思った人は多いでしょう。皆さんが医学部を目指していて、『勉強がつらい』『集中できない』『頑張れない』、そう感じるのなら――」
一条はそこで言葉を切った。
きっと残酷な言葉が続く、と思った。
「一度自分の胸に聞いてみる良い機会かもしれません。自分の心は、本当に医師になりたいと望んでいるのか、と」
その声は、今までのトーンと比べて、明らかに穏やかなものだった。
「私自身の少し恥ずかしい話をすると、私は、目指していたT大医学部にはいけませんでした。正直、自分の能力の限界を知りました。憧れている人達がたくさん浮かんで、自分を責めたこともあります。
でも気づいたんです。受験勉強を、どんなに必死で頑張っても、最後に出会えるのは、自分自身なんだと。
そもそもどうして医学部に行きたいんですか? 親に言われたからですか? 人に褒められるからですか? お金が稼げるからですか? それはあなたにとって、すべてをかけられる程重要なことですか?
自分の人生の責任は、自分で取らなくてはいけません」
客席は静まり返っていた。
「受験は厳しい戦いです。それでも、あなた達が自分自身のなかに、確実に医師になるという気持ちがあるのなら、未来は確実に医学部につながっているはずです。
受験なんてとっとと突破して、良い医師となるべく一緒に頑張りましょう。
以上です」
一条はそう言って、椅子に腰をおろした。
短いスピーチだった。
しばらく、誰も拍手をしなかった。
ようやく一人、二人と小さく手を打つ。その戸惑い混じりの拍手がどんどん大きくなり、やがて講堂全体に広がった。
登壇者全員のスピーチが終わり、質疑応答の時間となった。
生徒からぽつぽつと手が上がり、勉強法の質問などが続いた。どれも、一条への質問はない。
一条はまた、退屈そうに椅子に座っていただけだった。
司会者が、「そろそろ最後の質問を……」と言いかけた時だった。
ガタンッと、壇上の一条が勢い良く立ち上がった。
國弘は今度は、急いで視線の先を追った。
講堂の横にあった出口の扉が、ゆっくりと閉じていく。誰か出ていったのだろう。
國弘は、それが四方だ、と確信した。
「ちょっと失礼します」
と言って、一条は壇上から客席の通路に降り、同じ出口から出ていってしまった。
司会者は呆気にとられていたが、「……大丈夫ですかね? あ、でも、最後の質問ですよね。だれかありませんか?」と、慌てて取り繕った。
彼らを追わなくちゃいけない、咄嗟に國弘はそう思った。鞄とコートをまとめて、できるだけ目立たないように、会場の端を通って出口を目指した。
通路近くに座っていた生徒は、当然國弘の行動に気づいたようだったが、そんなことはどうでもいい。
講堂を出ると、辺りを見回した。
体育館の裏手――人気無い裏庭へと入っていく二人の姿が見えた。
國弘は二人に気付かれないように距離を保ちながら、彼らを追った。
「スピーチ、どうだったよ」
裏庭に近づいた瞬間、一条の低い声が聞こえてきた。
國弘は慌てて足を止め、物陰に隠れた。
悪いことをしている、という事実にくらくらしながら、それでも聞き耳を立てずにはいられなかった。
「まあ、いいんじゃない。美徳らしいと思ったよ」
「今日の朝、お前のこと想いながら考えたよ」
「キモい」
口調は砕けていた、それは間違いなく四方の声だった。
二面性というほどのものではなく、単に気を許しているだけのように感じた。
「話って何」
四方の声が訊いた。
「寮祭、上手く行ったんだって? よかったな」
「……皆のおかげだよ」
「大したこと、なかっただろ?」
「……。話がないならもう行く」
その声質で、四方がこちらに来ようとした事がわかって、國弘は身構えた。
「お前さ、もうすぐ卒業だろ?」
一条が四方を引き止めたようだった。
「ヨリ、戻さないか?」
四方は呆れたように息を漏らす。
「戻さないよ」
「好きなやつでもいんの?」
「可愛いな、って思う子なら」
國弘の心がドクンと跳ねた。
「はっ。そいつとはうまくいきそうなのか?」
「……わかんない」
「いくわけねーよ」
一条の声が、四方に近づくのがわかる。
「お前のこと、理解できるの俺くらいだもん。……てか、相変わらず綺麗な顔してんな」
四方からフッと嘲るような息が漏れた。
「昔の高校帰ってきて、よりを戻そう、なんて。なんかさ、モテないの?」
一条がチッと舌打ちをした。
「相っ変わらず生意気だな」そう吐き捨ててから、続ける。
「――でも俺、お前に名前呼ばれんのすげー好き」
「やめろよ」
四方の、ごく冷静な声がした。
「やだ、やめない」
「外だぞここ……」
「じゃあ、移るか?」
それは、二人の距離が明らかに近い声だった。
止めなくちゃ、と思った。
それを、四方が求めているかどうかはわからなかった。別に、助けを求めているようには聞こえない。
ただ、彼が他の男に触れられようとするのが我慢ならなかっただけだ。
脳内で何度も声がした。
やめろ。
やめろ。
やめろ。
そうして気づけば、國弘は物陰から彼らの前に飛び出していた。
二人の視線が、同時に國弘をとらえて、呆然としているのがわかる。一条は、腕組する四方の腰を抱き寄せていた。二人の顔が、近すぎる。
「國弘くん……」
四方が言う。場違いな自分の存在に、身体が強張った。
でももう、引き返すことはできなかった。
「あ、あのっ!!」
叫ぶような声を出しながら、なんとか足を動かして、二人の近くに歩み寄る。
一条の瞳をしっかり見据える。
「……四方先輩を、離してください」
一条は、ただ呆気にとられているようだった。
「コイツ? お前が可愛いと思ってるヤツって……」
ごく事務的に訊いたように聞こえた。自分の存在が、一条の心に何の影響も与えていないのがわかる。
「そうだよ」
四方が口を開くまで、國弘は自分ことなのか確信を持てなかった。
安堵したが、彼もまた、何の気なしに答えているように聞こえた。
一条は「ふうん」と言って、四方を離した。後退りする國弘を詰めるように、國弘の正面に立って、まじまじと見つめてくる。
思わず体に力が入る。
(や、やんのか?)
一条は、横にいる四方を見た。
「てかお前、こういうやつが趣味だったのかよ」
「そ。可愛いでしょう?」
二人の会話は、どこか穏やかだった。自分のことを話題にされているのに、置いてきぼりにされている気分だ。
一条はフッと目線を外すと、
「あー、なんか興醒め。もういいや」
と呟いてから、体育館の方に離れていく。
一度だけ振り返った。
「俺はいつでも連絡待ってるぜ、ミッチー?」
四方が一条を思い切り睨む。
「その呼び方、ホントにやめろ」
一条が去った後、四方とともにその場に取り残された形になった。
「四方先輩、その、……大丈夫ですか?」
國弘が訊ねると、四方は「え、僕?」とちょっと驚いた声を上げた。
「あー、うん。僕は大丈夫だけど。それより、國弘くんの方が大丈夫?」
そう言って國弘の右手を指さした。
國弘は自分の右手を確認する。強く握った拳は白くなっていて、そっと開くと、手が震えていた。
「あ、これは、まあ、癖みたいなもので……」
癖ってなんだよ、と心のなかで自分にツッコミを入れた。
それでも四方は、ただ「そっか」と言っただけだった。
そして、一条が消えていったほうを軽く顎で示して、いたずらっぽく尋ねた。
「あれが、『伝説の寮長』なわけだけど――どう思った?」
「手強い相手だなと――」
四方はきょとんとしていた。國弘が付け加える。
「……俺の、恋敵なんで」
そうすると、四方は困ったような笑みを浮かべて言った。
「ちょっと、話そうか」




