第4話 寮会④
定例会はひとまず解散とはなったが、重苦しい空気は晴れないままだった。
四方寮長と木曽副寮長の不和は、寮会の誰もが知るところだったから、今回も驚くよりは、またか、という印象だった。
仲が悪い――というか、木曽が四方に対して、一方的に敵意を向けているように見える。
その理由を、國弘は知らなかった。
そもそも木曽は常時不機嫌で、その矛先は四方に向けられることが多いが、他のメンバーにだって容赦ない。
ただでさえ皆うっすら面倒に感じている寮会を、より面倒にしているのが彼の存在なのは間違いなかった。
國弘は他の一年生代表二人に、「アンケートはおれがやるから」とことわって、日高のもとにアンケート用紙をとりにいった。
途中、帰り際の木曽とすれ違いそうになって、思わず身体を固くすると、それが逆に彼の進行を妨げてしまった。
「どけ」
吐き捨てるように言われて、そそくさと壁際に寄って道を譲る。
彼が通り過ぎた後、苦し紛れにその背中を思い切り睨んだ。
筋肉質で、ガタイが良い。崩して着た制服は、いかにもクラスに一人はいる不良、という感じ。もし喧嘩にでもなったら、ひとたまりもないだろう。
食って掛かることの出来ない自分が情けなかった。
書記の日高からアンケート用紙を受け取ると、ホワイトボードの前に佇む四方寮長の方を見た。
先ほど自分で書いたホワイトボードの文字を消しているようだが、その手は途中で止まっていた。
「寮祭、なんか大変そうですね」
そんな風に声をかけてから、國弘自身も寮会メンバーであるのに、まるで他人事のようだったと後悔した。
四方は「ああ、うん」と、ホワイトボードの残りを手早く消してから、「困っちゃったね」とすこしバツの悪そうな顔をこちらに見せた。
気づくと、他の寮会のメンバーは全員会議室を出ていて、二人だけの空間になっていた。
話しかけたはいいが、特にこれといった用事もない。
数秒の沈黙が流れた後、四方が「話は変わるけど――」と前置きをして言った。
「國弘くんって、兄は、いないって言ってたよね?」
「え? あ、はい」
國弘は恐る恐る、次の言葉を待った。
まさか、「僕がなろうか?」とか?
まさか。そんなまさか。
「次の日曜日って、空いてる?」
「え……」
そんな風に聞かれることの意味くらいわかるが、信じられない気持ちで思考が停止した。
「さっき、持っていた小説が映画化されたって言ったでしょう? 日曜日に観に行くつもりなんだけど、一緒にどうかなと思って」
(四方先輩と、二人で、出掛ける?)
しばらく固まったあと、何も返事を返せていない自分にハッとした。
「あの、その、是非っ!」
やっとのことで絞り出した言葉は、音量調節がうまくいかず、つい大きな声になってしまった。
そんな國弘の様子を見てか、四方は可笑しそうにクスリと笑った。
その後は共同のシャワー室で体を洗ったのだが、國弘はひたすらぼーっとしてしまい、自分が何をしているかも曖昧だった。
自室のベッドにうつ伏せに倒れ込んだ時、ようやく意識が戻ってきた。
伊波はまだ帰ってきていないらしく、わずかな時間でも興奮を一人で受け止める時間ができたのはありがたかった。
(ああ、やばい、まさか映画に誘われるなんて)
そのまま仰向けに寝返りを打って、四方がさっき持っていた文庫本を天井にかざした。
映画を観る前に、軽く目を通しておくのも良いかもしれない、ということで貸してもらったのだ。四方は何回か読んだことがあるから、手元になくても問題ないとのことだった。
本はとても綺麗な状態だったが、書店のカバーはよくなじんでいて、彼と短くない時間を過ごした形跡がある。
パラパラとめくって、最初の数行を読む。
四方の頭を通った文章たちが、自分の体に入ってくる気がしてドキドキする。
心のなかで文章を棒読みしながら、今さっきのことを振り返っていた。
四方は、映画に誘う前、國弘に兄がいるかどうかを確認した。
すでに兄がいる下級生に他の上級生が接するときは、兄の方にも気を使う。ましてや、休日に連れ出す、なんてことはできないだろう。
その点、國弘は入学して以来ずっと兄がいないので全く問題ない。
――四方先輩以外とは、兄弟になれない。
そんな気持ちが、ひどくつまらないこだわりに感じたことは何度もある。それが、こんな形で報われるとは思わなかった。
鼻の奥がツンと痛くなった。
ふと、持っていた文庫本の書店カバーが、触れたところだけ手汗でわずかにヨレかけているのに気づいて、慌ててベッドから飛び起きて机に置いた。
もうすこし落ち着いたときに読もう。
そんなことを考えていると、伊波が帰ってきて、「お、定例会楽しかったか?」と茶化すように訊ねてきた。
「いや……、マジで……楽しかったわ……」
國弘が心を込めて答えると、伊波は半ば引き気味にハハハと笑った。
部屋に設置されたスピーカーから、二十時を告げるチャイムが鳴った。
自習時間だ。
就寝準備前の二時間は、私語厳禁で、自分の机に向かって勉強しなくてはならない。
仕方なく自分の机に向かう時、四方寮長に貸してもらった本が目に入った。
もう一度手に取りたい、という衝動を追い払い、傍らの小さな本棚に差し入れ、代わりに馴染みある数学の参考書を取り出した。




