第38話 佐伯①
寮へは門限前に帰れた。
佐伯とは一度別れ、寮で夕食をとった後に合流して、しっかりとコートを着込んでから、寮の中庭の隅にあるベンチに腰掛けた。
そこは自由時間のうちは立ち入り自由な場所なのだが、外はもう真っ暗で、十二月の夜気は容赦なく冷たい。
今の時期、わざわざ好んで来る者はいなかった。
「で、何が聞きたい?」
聞きたいことがやまほどあった。
だが夕食の間に、ある程度頭を整理できたのは良かったと思う。
一番の疑問。それは決まりきっていた。
「なぜ、近づくな、という条件を出したんですか? その、四方先輩と……」
弟が噂になるとメンツが保てない、というのが最初言われた理由だった。しかし、ラウンジで國弘が改めて理由を尋ねた時、もうメンツなどという言葉を彼は言わなかった。
――お前には、わからないと思う。
それに、
――國弘は俺の弟なんだ
四方が「國弘くんは、どうしたいの?」と訊ねたときに彼が発した言葉は、単に兄としてのメンツを保ちたいというのでは説明できない気がした。
「ごく端的に言えば――」
國弘は、佐伯の横顔を見つめて次の言葉を待った。
「四方が純真無垢な一年を、たぶらかしているようにしか見えなかった」
そこまで簡単にまとめられると、拍子抜けしてしまう。
「……四方先輩は、そういう人間じゃないと思いますけど」
四方を思い出す。
基本的に真面目で、優しくて良い人だ。自分が告白こそしなければ、きっと何もなく先輩と後輩関係だったはず。
佐伯は、ため息をついた。
「四方はあの容姿もあって、誰彼構わず人を惹きつけてしまう。本人の意思に関わらず。そういうところがあるのは、認めるだろ?」
魔性――國弘の頭にそんな言葉が浮かんだ。
「はい」
「それは本人も自覚していて、普段は常に相手との間に一定の距離を置いている。
愛想の良い人間だけど、基本的に絶対に自分を出さない。
そんなことをしていると、周りは胡散臭さに感じて、あまり近寄らなくなる。
綺麗だけど、仲良くなれそうな気もしない。一緒にいて面白くもない」
寮祭前、彼が食堂で一人食事をとっていた姿を思い出す。
彼の周りには不思議な壁があった。
それは一条先輩の噂のせいかと思っていたけれど、それより前から、意識的にやっていたことなのかもしれない。
佐伯は続けた。
「四方と二人で出かけた一年生がいるって言うのは、俺の耳にも入ってきた。その時は、単純に驚いた。
あいつが個人的に二人で出掛けるくらい近づくのは、珍しいし、危険だ」
危険、という言葉が、四方と結びつかなかった。あるとすれば、四方自身への偏見だろう。思わず反論したくなる。
「俺は、それがどんな噂なのかは知らないんですけど。
四方先輩は、俺に何もしてきたりしなかったです。
映画見て、喫茶店行って……。
いや、なんか、デートの王道って感じに聞こえると思いますけど、俺に対してその、変な目を向けたとかはなかったです」
佐伯は物憂げな様子で國弘を見た。
「あいつがそういう奴じゃないのは知ってる。
でも、四方が何ともなくても、一年の方が、普通でいられなくなるかもしれないだろ?」
「え……」
その後國弘が告白するという暴挙に出たことを考えると、確かに普通でなくなったのかもしれない。
「お前は、男が好きなのか?」
佐伯は、ごく簡単にそう訊いてきた。
「それは――」
自分の人生を振り返っても、四方以外に男を好きになった記憶はない。
「四方先輩だから、というか……」
佐伯は言葉にはしなかったが、「だろ?」という表情で國弘を見た。
「俺はさ、男が男を好きになることは、普通じゃないことだと思う」
誰かが聞いたら誤解を受けそうな言葉に、思わずドキリとしてしまう。
でもそれは、きちんと本音を、腹を割って話そうとしている。そんな信頼の現れを感じた。
「同性愛が悪いとか、そういうことを言いたいんじゃない。そういう人間がいるっていうのはわかってるし、それはそれでいい。
でもさ、全寮制の男子校なんていう、狭い世界で、今のあやふやな時期に、四方なんて人間に出会ったら、それはさ――ヤバいだろ」
佐伯は「しかも――」と言葉を続けた。
「相手は一年。そいつにとって四方は二年も先輩で、寮長っていう偉そうな位までついてて。綺麗で、賢くて、人当たりも良い。
普通の感覚を保てなくなってもおかしくない」
佐伯は照れもなく、ただ、事実を述べているような口ぶりで言った。
そしてそれは、國弘が抱く四方への気持ちをあまりに的確に捉えていた。
一つだけ訂正があるとすれば、男子寮という狭い世界で四方に出会ったのではなく、國弘が寮に入る前から――オープンキャンパスの時はすでに四方に魅せられていたわけだが。
「あいつはぜってーそういうこと自覚してる。
その上で、その一年と二人で外出なんてするんだったら、それはもう、あいつがたぶらかしてる、ってなるだろ」
佐伯は、今まで抱えていた気持ちを喋りだしたら止まらなくなった、という感じで、いつになく饒舌だった。
國弘の入る余地を与えてくれない。
「とはいえ、俺の杞憂の可能性も十分あるし、俺の見ていないところで勝手にやってる分には、知ったこっちゃない。
お気の毒様、それだけだった」
佐伯は「それなのに」と言って横目に國弘を睨んだ。
つい、「え……」という情けない声が漏れてしまう。
「よりにもよって、俺に手紙なんて渡して来たヤツが、その四方に気に入られてる一年だった」
「……その、すみません」
佐伯はそこで、ふっと表情を和らげた。
「まあ実のところ、寮祭は何らかの形で手伝ってもいいって思ってたんだ。
寮会を、木曽と四方に押し付けてきたのは、ちょっと悪いことしたなっていうのがどこかにあったから」
――寮会をお前と木曽に押し付けたこと、多少は悪いと思ってる
企画を手伝ってくれると決まった時、佐伯に四方にそう言っていた。
「じゃあ、あの企画は、やっぱり予め考えてあったってことなんですね?」
火曜日に頼んで、翌々日にはすぐに企画が出来上がってきたことを思い出す。あれはあまりにも早かった。最初からできていたというのなら、納得がいく。
だが、佐伯は首を振った。
「そんなにしっかりと考えてたわけじゃない。寮祭のことが頭の片隅にあって、不思議とピースが揃っていった、みたいな。
真帆が、『オリジンズ・ラブ』をやれって言って、やるとしたらこうかな、とか、ヘアメやってくれた日野の格好が妙に目についたり……なんとなくって感じ」
國弘がお願いする前から、寮祭を手伝うこと自体はなんら問題なかった、ということなのだろう。
「お前から、寮祭を手伝ってくれって手紙を受け取ったときは、てっきり四方とか木曽からの要請を、伝えに来ただけだと思ったのに。
一年が一丁前に、寮祭の行く末を憂いていただけだった。
せめて四方とか木曽に通してからにしろって言ったのに、食い下がってきたし」
「……あの時は、必死だったんです。時間もなかったですし」
「そういうガッツは嫌いじゃないけど、どうしたもんかって。
そしたら、お前に兄貴がいないっていうのを思い出して、変に納得した――コイツが最後のピースなのかよって」
佐伯はベンチの背もたれに体を預け、腕を組んだ。
「お前に出した条件――『弟になれ』っていうのは、知っての通り、俺が寮祭に関わる口実だった。でも『四方に近づきすぎるな』っていうのは、単なる俺からの警告。正直、自分でもアホらしいと思ってたよ」
「アホらしい……ですか」
佐伯自身がアホらしいと思っている条件に、あんなに揺さぶられてきたのかと思うと少し腹立たしい。
「お前と実際会ってみたら、なんつうかこう、普通のやつだったから」
「普通?」
「悪い意味じゃない。平穏に過ごしていれば、同性なんて意識することなく、頭も悪くなくて、幸せに生きていける人間。
それが、四方に当てられておかしくなってる。最初はおせっかい程度だったけど、お前の近くにいたら確信に変ってた」
怒りとも恥ずかしさとも言えない感情で、頬に熱が帯びる。
佐伯は構わずに続けた。
「四方に振られて傷つく、なんてことだったらまだいい。
でももっと悪いことに、四方がその気になってしまったら。あいつはちゃんと同性愛者だし、すくなくとも、あの四方が二人で出かけるくらいには、お前のことを気に入ってる。だから危険だと思って」
その勘は、あながち外れているとも言いがたかった。実際、國弘が告白した時、四方の行動には確かにショックを受けたのだ。
危険。そうかもしれない。
佐伯はそこで苦笑しながら「まあ、昨日怒鳴られて、お前が十分手遅れだってことはわかったけど」と言った。
國弘もつられて、力なく笑うしかなかった。
「真帆に会わせたのは、俺の最後の悪あがき。
外の人間に会わせてみたら、ちょっとは頭冷えるかもって。
城青にいるうちはわからんけど、大学行ったら、お前にも彼女くらいできるんじゃねぇの?」
佐伯は真帆という恋人がいて、とても幸せなのだろう。
その幸せを押し付ける傲慢さを、少し感じてしまう。
真帆と佐伯が握手したところが脳裏に蘇った。
自分にもあんな未来が、本当にくるのだろうか。
可愛い女の子と付き合う未来を、無理やり妄想してみる。
「聞くまでもないかもしれないけど、お前はそんなに四方のことがいいわけ?」
追い打ちをかけるように、佐伯に改めてそう問われた。
妄想の情景を、純粋に、いいな、と思う自分がいる。
でも。
「多分、佐伯先輩は間違ってないと思います。
四方先輩とのことはなかったことにして、勉強頑張って、大学行って。
彼女は、どうかわからないですけど、でもできたりして。そしたらきっと、幸せになるかもって思うんです」
言葉が勝手に溢れてくる。
「でも、出会っちゃった……から。四方先輩のいる世界を知ってしまったから――」
そうだ。俺は。
「その先が、幸せかなんて、どうでもよくて。
四方先輩のいる未来を、見られるなら、見てみたい――それだけなんです」
言い切った後で、自分で言った言葉にしっくりきた。
佐伯は「そっか」と呟いた。
「お前には悪いことしたと思うけど、俺なりに、お前のことは可愛がってたんだぜ」




