第32話 寮祭⑤
國弘は、特にこの後の予定はなく、衣装部に戻って、制服へ着替えるつもりで廊下を歩いていた。
途中で、空き教室を転用したキャスト待機所の前を通りかかった。
雑然とした内部を隠すため、入口には暗幕、廊下側の窓には段ボールが貼られていて、外から中はまったく見えない。
その入口の近くで、トウジョの制服を着た女子二人が、落ち着かない様子で立っていた。
一人は、ゆるく巻かれたロングヘアで、スカート丈も短め。遠くからでも香水の匂いが漂ってきそうな、派手なタイプだ。
もう一人は、その子よりかは若干控えめなストレートヘアの子で、派手な友達の横で、すこし居心地悪そうにしている。
廊下を通る寮生も、彼女たちに時々目をやっているのがわかる。
國弘も気にしないように通り過ぎようとしたが、偶然、派手な方とバチリと目が合ってしまった。
二人は顔を見合わせ、「えーやめとこうよ」「いいじゃん、今しかないって」とひそひそ声が聞こえてから近づいてきた。
「すみませーん」
派手な子との距離が詰まると、瞳がよく見えた。
黒目が妙に明るい茶色で、輪郭がくっきりしすぎている。
漫画のキャラが、幻術を使うときの目みたいだな、などと思った。
「はい?」
「最初に司会してた人いたじゃないですか。黒い格好の、支配人みたいな……」
四方のことだとすぐにわかった。
「ああ、はい」
「その人と、ちょっとお話したくて。今どこにいるかわかりますか?」
「あー……」
彼女が何を望んでいるか――國弘にも察しはつく。連絡先の交換がしたいのだ。
胸の奥で、何かが濁る。だが、自分が口を挟める立場ではない。
「ちょっと確認してくるんで、待っててもらえますか」
「お願いしまーす」
途端に、後ろから「言ってみるもんじゃん」とヒソヒソ声が聞こえた。
だが、控室に四方はいなかった。
たまたま部屋にいた寮会の二年生に尋ねると、「出番じゃなければ、二階の教室にいるはず」と教えてくれた。
二階。ここから階段までは少し距離がある。探して戻れば五分以上はかかる。
(――あの子たちに、そこまでする義理があるだろうか)
普段の自分なら、迷わず行ったかもしれない。けれど今日はなぜかそういう気にはなれなかった。
廊下に戻ると、國弘が一人で返ってきたことを察したのか、二人の表情が曇った。
「えー、いないんですか」
「すみません、今日はずっと忙しいらしくて、見つけられませんでした」
「もうちょっと探してもらうことって、できませんか?」
押しの強い声で、ちょっと怖い。
もう一人が「もうやめよ」と袖を引き、派手な子は明らかに不満そうに唇を尖らせた。が、渋々「……わかった」と頷く。
そうして派手な子は「じゃあ」と言うと、鞄からメモ帳を一枚取り出した。それを壁に押し当て、紫色のボールペンで、名前とメッセージアプリのIDを書きつける。それを四つ折りにしてから、國弘の手に押しつけた。
「これ、絶対渡してくださいね。あ、あと――めっちゃ可愛い子だったって伝えといてください」
悪びれない笑顔だった。
國弘はホールでいくつかヘルプをこなしたあと、時間を見つけて、さっき教えてもらった二階の教室へ向かった。
気づけば、寮祭ももう終盤に差しかかっている。今は回の真っ只中で、オープニングしか出番のない四方は、きっと待機しているはずだ。
階段を登りながら、佐伯の出した条件――四方と距離を置くこと、というのが一瞬頭をよぎる。
だが、このメモを届けなければならない。
渡したらすぐ戻ればいい、と自分に言い聞かせる。
一階の喧騒とは打って変わって、二階の廊下はひどく静かに感じた。
その奥の一室に、四方はひとり静かに座っていた。
スーツのジャケットは机に丁寧に畳まれ、白いシャツとベスト姿だった。いつぞやのように、カバーの文庫本を読みふけっている。
「四方先輩」
声をかけると、四方は本から視線を上げて、國弘に柔らかく微笑んだ。
「ああ、國弘くん。キャストに参加したんだって? キマってて格好いいね」
國弘はもう制服のシャツに着替えてしまっていたが、髪とメイクだけはそのままにしていた。
「あなたの方が何百倍格好良いですよ!」と言いたかったが、やめた。
「こんなところにいたんですね」
「木曽に、出番以外は一階に来るなって言われてて」
「どうして、ですか?」
問いかけると、四方は少し困ったように曖昧な笑みを浮かべた。
「僕がいると、色々目立つんだって。支配人役で世界観を演出するのはいいけど、ゲームに参加するわけではないし。トウジョの子とかに興味持たれたら、キャストのモチベーションが下がる……みたいな」
なるほど、と國弘は思った。まさに、今さっき起こったことだ。
「で、何か僕に用事?」
そう言われると、途端にメモを渡しづらくなる。でも渡さないわけにはいかない。ここに来た理由は、これを渡すためなのだから。
「実はその、トウジョの女の子が四方先輩のことを探してて。控室にいなかったので、いないって言ったんですけど、そしたら、これを渡してくれって」
國弘が四つ折りにされたメモを差し出すと、四方は開いて軽く目を通した。表情は変わらない。嬉しさも困惑もなく、本当に何も無い、という顔だった。
「その、めっちゃ可愛い子だった――と、伝えてくれと言われました」
國弘が補足すると、四方は小さく苦笑した。
「わかった、ありがとう」
國弘はつい、紙の扱われ方を目で追ってしまう。
大切にされすぎても嫌なような、雑に扱われても悲しいような。そんな矛盾した気持ちが、胸にあった。
四方はメモを畳み直し、文庫本の間に栞のように挟んだ。
「四方先輩は、女性には興味、ないんですか?」
気づけば、そんな疑問が口から漏れていた。
不躾だとは分かっていたが、どうしても気になった。
一条との噂が事実だったとしても、それは一条だったからなのか。女性も受け入れる可能性はあるのか。
「うん」
四方の返事は、驚くほどあっさりしたものだった。
「別に、男だからって誰でもいいわけじゃないよ。当たり前だけど」
すぐさまそう補足を入れるのは、よく誤解されるところなのかもしれない。
「じゃあなんか、大変ですね。その、よくおモテになって……」
言ってから、皮肉っぽく聞こえたかと心配になる。
だが四方は怒るでもなく、すっと目を伏せた。
「自分の見た目がちょっと特殊なのは、自覚してるんだ。
でもそんなの、結局は運が良かっただけで、僕の力じゃない。
だから、人にそういうので近寄られても、困っちゃうんだよね。人が僕に抱く印象より、僕自身はずっとしょうもない人間だし」
そこに、謙遜の響きはなかった。
心の底からそう思っていて、なぜ他の人は理解できないのか、疑問で仕方ない。そんな印象を受けた。
國弘は、思わず反論したくなってしまう。
間違いなく、自分も彼の容姿に惹かれてしまった一人だったからだ。結局自分は、連絡先を渡してあの子と、何も変わらない。
「あの、四方先輩の見た目が素晴らしいのは、たしかになんですけど……。容姿って、顔の造形だけじゃないというか。その人の人間性とかが、雰囲気とかに表れると思うんです。だから、見た目が重要じゃないとは、言えないというか……つまり、四方先輩の美しさは……その、中身も含めて、というか……」
言いながら、自分でもどこへ着地するつもりなのかわからなくなる。
――これじゃあ、まるで告白じゃないか。
四方は、國弘の言葉の終わりを待ってから、にっこり微笑んだ。
「ありがとう」
ほとんど反射的に浮かべたようなその笑顔に、やっぱり彼自身の喜びは一つも入っていないように見えた。
自分を褒めてくれた事実に、感謝はする。けれど理解は求めない。そんな『ありがとう』だった。
そして四方は、「じゃあさ」と言って静かに立ち上がった。
「國弘くんは、僕の見た目、気に入ってくれてるんだね?」
その声音は穏やかなのに、言葉の中にかすかな挑発が混じっている。
そうして、ふわりと國弘へ顔を寄せて、國弘の顔を覗き込んだ。
「僕って……そんなに綺麗?」
その顔を近くで見た瞬間、息が止まった。
妖艶、とはこういうことをいうのだろうか。
この人は、『綺麗な自分』を十分にわかっている。
どう見えるのかも、どう映るのかも理解したうえで――見せられている。
一歩間違えれば、滑稽にも見える行為。
けれど、彼がすると隙がどこにもない。
ただ、美しくて、吸い込まれていきそうだった。
――誘惑されている。
会議室の備品倉庫の時のことが、蘇る。
四方には、あの夜のような圧も、強引さもない。
なのに、胸の奥に熱が広がっていく。
そして、ようやく理解する。
今、この教室には、自分と四方しかいない。
押し黙ってしまった國弘を見つめながら、再び四方が口を開く。
「僕も、國弘くんって――……」
その声は、耳の奥に落ちてくるようだった。
甘い危険がすぐそばまで迫ってきているような気がした。
「國弘!」
空気を裂くような声がして、國弘はびくりと肩を跳ねさせた。
振り返ると、佐伯が部屋に入ってきていた。
まずい、いつからいたのだろう――。
「もう衣装から着替えてるやついるから、梱包手伝え」
佐伯の声はいつもより硬かった。
当然だ。今まさに、約束を破っていたのだから。
「……はい」
國弘が慌てて四方から離れ、出口に向かおうとする。
「佐伯。……と、國弘くん」
四方の呼びかけに、佐伯と共に振り返った。
「寮祭、まだ完全に終わったわけじゃないけど、この場を借りて……改めてお礼を言わせて。
手伝ってくれてありがとう。本当に助かった。僕だけじゃ無理だった」
さっきまでの艶めいた雰囲気は、跡形もない。
ただ誠実な四方だけがそこにいて、その落差に國弘は眩暈を覚えた。
「お前も……頑張っただろ」
佐伯は照れを隠すように、少し乱暴に言った。
四方は「ありがとう」と小さく笑う。
「……俺も、四方に言っておかないといけないことがあるんだけど」
佐伯の声が、急に重たくなった。
「何?」
四方が首を傾げた。
「國弘が俺に、寮会を……寮祭の企画をなんとかしてくれって言ってきた時、こいつはまだ俺の弟じゃなかった」
「……へぇ」
四方は國弘を、そして佐伯を見た。
その目に、なぜそれを今? という少しの困惑が浮かんでいた。
「こいつはこいつなりに、お前を助けたかったんだと思う。だから俺は、寮祭の企画を手伝う代わりに、二つ条件を出した」
「条件?」
國弘の心臓がドクンと跳ねた。
今ここで、それを伝える気なのか。
「一つは、國弘が俺の弟になること。寮会じゃない俺が寮祭に関わるなら、理由が必要だと思ったからだ」
四方は、無言で頷き、続きの言葉を待った。
「もう一つは――」
佐伯は、いっそう口を重くした。
「……四方に近づくな。って、言った」
四方が眉をひそめた。同時に、瞳の奥が、傷ついたように揺らぐ。
「どうして?」
「お前は……自分がどういう人間か、わかってるだろ?」
佐伯が、悲痛な面持ちで、そう言った。
四方はしばらく沈黙し、そして、ゆっくりと國弘を見た。
「國弘くんは、どうしたいの?」
静かで、深くて、真剣な声だった。
その問いは、國弘にまっすぐ投げかけられていた。
――俺は……。
答えようと口を開きかけた、そのとき。
「四方」
國弘の答えを待たず、佐伯が割り込んだ。
片腕が、國弘を庇うかのように伸ばされていた。
「……やめてくれ。國弘は俺の弟なんだ」
その声には、ほとんど懇願のような響きがあった。
四方はまた、しばらく沈黙した。
「……わかった」
四方はそう言って、先程までのように机に腰を下ろした。
「行くぞ」
佐伯が國弘に向けて言った。
廊下に出てから、國弘は精一杯抗議の視線を、佐伯に向けた。
しかし返ってきたのは、きつい言葉だった。
「お前が、約束を守らないからだろ」
何も言い返せなかった。
歩きながら、佐伯の背中を睨み続けて、思ったことがあった。
寮祭について、佐伯がいつも自分を手伝ってくれたのは。
ほとんどそばを離れなかったのは。
――自分と四方が近づかないように、見張っていたかったかもしれない、と。




