第31話 寮祭④
「國弘、こっち!」
名前を呼ばれて、國弘はハッと我に返った。オープニングでの四方の立ち姿に見惚れていたせいで、危うく置いていかれるところだった。
慌てて八番テーブルへ駆け寄ると、キャストもゲストも次々と席につき始めている。
テーブルには、國弘を含む五名のアダム候補が並んでいた。ゲスト席には、四十代くらいの女性と、その隣には幼い少女がちょこんと座っていた。
國弘は最後に到着したせいで、少女の左隣に腰掛けることになった。
「よろしくね」と軽く挨拶をするが、彼女は何も言わずに母親に抱きついてしまった。
「今回、このテーブルの進行役を務めさせていただきます、井口です!」
寮生の井口が、舞台役者のように大げさに一礼し、「そしてこちら!」井口がひらりと手をゲストへ向けた。
「このテーブルのアダム候補・相川雅人くんのお母様と、妹様が、今回のイヴでございます~!」
「雅人の母の、由紀子です。こんなイケメンたちに囲まれて、ドキドキしちゃいます。今日はよろしくお願いします」
そう挨拶した由紀子は、どこかひょうきんなところがあって、テーブルの空気がすっと軽くなった。
「ヒナも、ご挨拶は?」
ヒナと呼ばれた少女は、母親に抱きついたまま返事もせず、ただ大きな目でテーブルの装飾をじっと見つめているだけだった。声を出す気はまるでなさそうだ。
一瞬、「大丈夫か?」という気まずさがテーブルをよぎったが、誰も口には出さない。
仕方なく、由紀子が代わりに言った。
「陽菜乃、四歳です。ヒナちゃんって呼んであげてください」
そのまま自己紹介が続く。
「相川、雅人です」
「山下でーす」
「佐野です」
「木崎です」
「國弘です、よろしくお願いします」
自己紹介が一巡すると、井口が再び前へ出た。
「では、このテーブルの流れを説明しまーす!」
流れはこうだった。このあと三種類の簡単なゲームを行う。
ゲームの勝敗がアダムとしての生き残りに直接影響するわけではないが、ゲストへのアピールにはなる。
そして各ゲーム終了後、ゲストが残ってほしいアダムに金の林檎を渡す――いわゆる『イヴの選択』を行い、アダム候補の人数は五人→三人→二人と絞られ、最終的に“真のアダム”が決まる――という段取りだった。
「それでは! 最初のゲームは、……青学クイズです! アダム候補の皆様、城青愛を見せてください!」
井口が丸とバツが書かれた札を取り出す。
そうして、クイズが始まった。
「城青寮で一番人気の学食メニューは?」「寮生用ラウンジの公式名称は?」「一昨年の寮祭のテーマは?」そんな具合に、城青にまつわる問題がテンポよく続く。
由紀子はパンフレットを隅々まで読み込んだことがあるらしく、平然と正解を叩き出すこともあった。
「なんでそんな知ってんだよ」
息子の雅人が思わず突っ込むと、テーブルに笑いが広がる。
その一方で、國弘は陽菜乃の様子が気になっていた。
盛り上がる皆を、ときどき視線だけで追いながら、退屈そうに母の袖を引っ張っている。
九問目。
「寮の消灯時間は……」と井口が読み上げるやいなや、一人が勢いよく手を挙げた。
「十時半!」
井口が掲げた札はバツ。
「ブッブー残念! 寮の消灯時間は午後十時半……で、す、がー、消灯《《あけ》》時間は何時でしょうか!」
國弘にも、これなら分かる。
他のアダム候補達からも、一斉に手が挙げる。
なんとなく國弘は、隣の陽菜乃に答えを耳打ちしてみた。井口はその小さな動きに気づいたのか、他の候補者を完全にスルーして、「お、陽菜乃ちゃん、わかる?」と手を向けた。
だが陽菜乃は途端にモジモジしはじめ、数秒立っても答えない。
井口が別の人間に振ろうと視線を回したときだった。
「……ごじ」
「え、なに、陽菜乃ちゃん?」
井口がもう一度訊ねると、陽菜乃は國弘の顔を見ながら、
「ごじ……」
と呟いた。井口が「んー」と渋い顔をする。
國弘が小さく「はん、はん」と囁くと、陽菜乃が続けた。
「……はん」
井口は待ってましたといわんばかりに、
「五時半、正解です!!」
と叫ぶと、テーブルに拍手が沸き起こった。小さな勇気を称える、優しい拍手だった。
そんなふうに『城青学園クイズ』は進み、『心理テスト』『ミニドラマ即興バトル』と、3つのゲームがすべて終わった。
アダム候補として残ったのは――相川雅人と、國弘だった。
理由は明らかで、クイズの一件以来、陽菜乃が國弘をすっかり気に入ってしまったのだ。
『アダムの選択』のたびに、由紀子が「どのお兄さんがいい?」と耳打ちすると、彼女は迷わず國弘を指さす。それが三回続いた。
こうして二人が残り、いよいよ最終イベントになる。
井口に促され、ゲストとアダム候補がテーブルの前に立って向かい合った。
まずは雅人から、最後のアピールだ。
「家族補正で、俺に林檎をください」
そう言って、両手をお皿のように差し出す。
続いて國弘の番だ。
「好きな食べ物は林檎ですっ! よろしくお願いします!」
國弘も頭を下げ、同じように手を差し出した。
「では――由紀子さん、陽菜乃ちゃん。真実の林檎を渡す相手はどちらでしょう?」
井口が問う。
「ヒナ、これマサちゃんに渡して……」
由紀子の囁きが聞こえた。
当然の選択――のはずだった。
だが、國弘の手のひらに、ころん、と軽い重みが落ちた。
顔を上げると、陽菜乃が得意げにこちらを見つめていた。
「もうヒナちゃん……」
由紀子が困った声を漏らし、雅人は大げさに床へ崩れ落ちる。
「だってマサちゃん、りんご食べないじゃん」
陽菜乃の素直すぎる主張に、皆笑うしかなかった。
國弘は、手の中の、金色に塗装された林檎を見た。
この後の演出を考えれば、自分が持っているのはどう考えても違う。
國弘はそっと雅人へ差し出すと、彼もそれを受け取った。
その様子を見て、井口が抑えた声で由紀子に提案した。
「実はこのあと、ゲストの方と真のアダムに、別の場所へ移動していただくんですが――もしよければ、今日は特別に、二人のアダムでどうでしょう?」
由紀子は少し驚いた様子で「え、いいんですか?」と笑った。
雅人もうなずき、國弘も同意する。
家族枠で小さな子どもがいる特例。
ルールにはないけれど、きっと誰も文句は言わないだろう。
井口に導かれ、皆で出口近くにかかった暗幕へと歩く。
井口が布を片側へ払うと、小さな部屋が現れた。
中央には、造花の薔薇で縁取られた大きなハート型フレーム。背景には、重厚な扉が描かれた壁紙。
アダムとイブの『楽園追放』を模したフォトブースだった。
雅人が陽菜乃を抱き上げ、ハートの中心へ収まる。
國弘と由紀子はその外側に寄り添うように立った。
井口が撮影用のスマホを掲げた。
「はい、城青っ!」
シャッター音が響いた。
フォトブースを抜けて廊下に出ると、新鮮な空気が心地よかった。
「とっても楽しかったです、ありがとうございました」
由紀子がそう言いながら、井口と國弘に丁寧に頭を下げた。
「雅人、また電話するね。ヒナ、お兄さんたちにお別れのご挨拶して」
由紀子にそう言われて、陽菜乃は國弘の近くにやってきて、ジャケットの裾を掴んだ。別れたくない、という精一杯の主張だった。
國弘はしゃがみ、目線を陽菜乃に合わせた。
「陽菜乃ちゃん。一緒に遊べて、すごく楽しかったよ。ありがとう」
「また……会える?」
舌っ足らずで、可愛らしい声だった。
会えるよ――そう言うのは簡単だったけれど、無責任な気がして嫌だった。
「またここに来たときは、全力で歓迎するよ」
國弘が笑うと、陽菜乃の表情もいくらか和らいだ。
「たっち」
小さな手が差し出される。
國弘はそっと掌を合わせた。國弘の手よりだいぶ小さくて、しっとりしていた。
由紀子が陽菜乃を抱え上げ、「本当にありがとうございました」と言って会釈して離れていく。陽菜乃はただこちらを見ていたが、國弘は精一杯の笑顔で手を振った。
「ヒナはやらんぞ。このタラシが」
急に横から雅人が國弘に耳打ちしてきて、國弘は驚いた。
「慣れてるだけですよ。親戚に小さい子がいるので……」
國弘が慌てて言い訳すると、雅人はわざとらしく目を細め、それ以上何も言わずホールへ戻っていった。
フォトブースの方を振り返る。
ハートのフレームの中で、トウジョの女子と寮生の男子が、恥ずかしげもなくお互いの指でハートを作っていた。
奥の広間は、ここからは黒いカーテンで仕切られていて見えないが、笑い声が絶えない。
企画段階で聞いていた理想と、現実になった光景。
ところどころ高校生らしい手作り感や、妥協はある。
それでも――自分の学校が、いま確かにひとつの『非日常』になっている。
一度きりとはいえ、キャストとしてしか見られなかった眺めを、この目で見ることができた。
喜びと、不思議な切なさで、胸が一杯になった。




