第28話 寮祭①
十一月、第三土曜日、午前六時。
――ついに、この日が来た。
城青学園、寮祭当日。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、いつもより白く、きらめいて見えた。
七時の点呼を済ませると、國弘は食堂へ一番乗りした。
朝食を急いで口に詰め込んでから、教育棟の、今は衣装部の部屋として使われている自習室へ向かった。
――早すぎる。分かっている。
でも、どうしても気持ちが急いてしまう。
自習室に着いたとき、案の定、まだ誰も来ていなかった。
扉は施錠されていて、國弘一人では入れない。ガラス越しに中を覗くと、前日までに整理したレンタル衣装の箱が、薄暗闇の中番号順に整然と並んでいるのが見えた。
ふとガラスに映った自分の顔を見て、國弘は小さく息を吐いた。
緊張で、顔がこわばっている。
佐伯に企画を頼んだあの日から、どれだけの時間が過ぎただろう。
企画会議、寮会の仕事、衣装部としての準備に追われた日々。そのすべてが、今日というたった一日に集約される。
「早いな」
背後からの声に振り返ると、佐伯が歩いてきていた。右手に持った鍵が、チャラリチャラリと軽い金属音を立てている。
「おはようございます」
國弘は扉から離れ、鍵を開けて入る佐伯に続く。
もう一時間もすれば、この部屋は生徒たちでごった返すだろう。
キャストの生徒一人ひとりに、近くの教室でヘアセットと軽いメイクを施し、この部屋で衣装を渡して着替えてもらう。最後に身だしなみをチェックして、送り出す。
やること自体は難しくない。でもキャスト全体で総勢百人を超えるとなると、無事に終えられるか不安になる。
「お前緊張してんの?」
佐伯が、箱の配置を確認しながら尋ねた。
「えっと、はい」
「衣装部は、当日はもうやること決まりきってるんだから、特に心配することはないだろ」
「まあ、そうなんですけどね」
彼の落ち着きようは、國弘を少しだけ安心させた。
佐伯はこの日までに、企画の提案から衣装部のリーダーとして、ほとんどの仕事をまとめあげてきた。もっと思い入れがあってもおかしくないのに、相変わらず冷静だ。
(――そうだ。きっと大丈夫)
國弘は深く息を吸い、頷いた。
しばらくして、ヘアセットを終えた寮生たちが、整髪料の甘い匂いをまとって次々と部屋に入ってきた。
國弘は他のメンバーと共に、衣装リストを確認しながらスーツや小物を手渡していった。渡したそばから、梱包材や包装のビニール袋をきちんとまとめて箱に収納する。返却時には、すべて元通りに梱包し直さなければならない。
「てか四方先輩、くっそイケメンだな」
隣のグループから上がった声に、思わず國弘は、声の主の視線を追った。
そこには、黒いモーニングコートに腕を通す四方の姿があった。
四方は今回、オープニングで挨拶する支配人役で出演する。
黒い上着に縦縞のスラックスという、どこまでも正当派な出で立ちは、普通のキャストが華やかな色合いのスーツなのに対し、シンプルすぎるぐらいだった。
だがそれが、彼の浮き世離れした容姿をいっそう際立たせている。
髪は額を見せたオールバックで、軽く化粧を施しているのか、普段より下まつげが強調されていた。
まるでスクリーンから抜け出してきたような――誰もが見入ってしまうほどの容姿だった。
「お前はホント、顔だけはいいよな」
四方の近くにいた木曽がぼそりと呟いた。
四方はそれに対して、いつも通りの柔らかな笑みを浮かべて「ありがとう」と返した。
木曽と四方の間には、不思議と少し前のような張りつめた空気はなかった。
仲良し、というわけでもないし、木曽の本心まではわからない。ただ、寮祭という共通の目標の前では、険悪であることの不利益が大きすぎる――ということなのかもしれない。
「ねー、待ってるんですけど」
近くから声がして、はっと我に返る。
目の前に立っていたキャストの名前を確認し、箱からスーツを取り出して渡す。
(四方先輩に見惚れている場合じゃなかった。今は、目の前の仕事に集中しなければ)
そうしてなんとか、仕事が半ば終わりかけたときだった。
「足りない」
低く、切迫した声が聞こえて、國弘は手を止めた。
見ると、佐伯の近くで、同じ衣装部の木村が、血の気の引いた顔で何か話し込んでいる。その周りに、別のメンバーも足早に集まっていく。
國弘に声はかからなかったが、作業が一段落したタイミングで合流してみた。
「どうしたんですか」
誰からも返答がない。忙しい中で非力な一年生に説明する余裕がないのか、あるいは単に言いづらいのか。
「二人分の衣装が足りない」
ようやく佐伯が口を開いた。
足りないのは、衣装小物丸々一セットと、小物のネクタイ一つだった。
「衣装の足りない人には最後まで残ってもらって、今ある作業がある人は一旦進めて」
佐伯が集まったメンバーたちに指示を出し、彼らが各々の持ち場に戻っていく。國弘はそれを見送ってから、佐伯のもとに残って小声で伝えた。
「あの……一セットだけなんですけど、衣装の予備、あります」
「予備? なんで」
佐伯が目を丸くした。
今回の衣装は、予算の都合もあって、生徒一人ひとりの保護者にレンタルを頼む形をとっている。レンタル料は一万円以上かかるのが普通で、保護者に経済的な負担を強いることになる。
キャストとして参加する二年生や三年生の分は頼めるとしても、予備の分まで誰かの保護者に頼むというのは難しかった。
だが、國弘は予備が一切ないという状況に、勝手に危機感を覚えていた。
必要なかったらそれでいい――そんなつもりで、自分用の衣装として、親に頼んで用意してもらっていたのだ。
國弘が自分の部屋から、予備のレンタル衣装の入った段ボールを持って戻ってくると、自習室には先ほどより一層重苦しい空気が漂っていた。
他のキャストにはすべて衣装を渡し終わったらしく、部屋には佐伯と衣装部のメンバー数人、そして衣装が足りないキャスト二人が、気まずそうに残っていた。
一人は私服のまま、もう一人はネクタイを締めているところだった。佐伯の衣装から、ネクタイだけ借りたらしい。
私服の生徒を見て、國弘は安堵した。背格好は自分と大きく変わらない。
早速、國弘が段ボールから、ビニール袋のかかったグレーのスーツを取り出して二年生に合わせてみると、丈は若干短いが、そこまで違和感はなかった。
「國弘、マジで助かる、ありがとう」
佐伯が國弘を労う様子で礼を言った。
國弘自身、自分の機転が役に立てた充実感は確かにあった。
だが、佐伯の表情には依然として緊張が残っている。問題が完全に解決したわけではないことを、國弘も理解していた。
ドアが勢いよく開き、木曽が苦々しい顔で入ってきた。
「おい、衣装部やばいらしいじゃん」
佐伯は冷静に状況を説明した。
ネクタイはキャストとしての出番がほとんどない佐伯のものを貸し、國弘が用意していた予備の衣装セットでひとまずなんとかなりそうなこと。
だが話はそれで終わらない。
レンタル品を紛失した場合、弁償しなければならない。数万円の賠償。そのお金を誰が払うかという問題もあるが、それ以上に厄介なのは、学校側の管理責任が問われるという点だった。
保護者から預かった衣装を紛失したとなれば、単に誰かがお金を払いますよ、というだけでは済まされない。
それを許した学校側の責任なのではないか、という議論が生まれる。
話は思った以上に複雑だった。
とりあえず、引き続き紛失した衣装を探すとして、佐伯と木曽は学校側に報告しに行く算段を立てていた。
衣装の足りなかった生徒も、どこか『衣装をなくされた』という不満気な顔で國弘のスーツ一式に袖を通している。
その時だった。
「あった! あったあったあった!」
部屋の隅から叫ぶような声が響いた。




