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第27話 準備③

 十月に入って、気温は気まぐれな変化を繰り返していた。


 朝の登校は、肌寒さを覚える日も増えたが、天気の日の日差しは強く、夏はまだ終わってないぞと言わんばかりだった。

 そんな一日一日を進むうちに、寮祭の気配はどんどん濃くなっていった。

 各部門の作業が、本格的に動き出して数週間。


 自由時間、ラウンジや会議室ではいたるところで寮生達が、話し合いや作業をしていた。養生テープを伸ばす音、段ボールの、スプレー缶振る音、誰かの舌打ち、時々起こる笑いのざわめき。

 そんな騒がしさが、寮全体に満ちていた。


 國弘が受け持つ衣装部の仕事も、地味だがやることは多い。

 レンタル業者の選定、各生徒のサイズ表の作成、保護者への確認文書の作成と送付、衣装の管理表――。

 意外と頭を使う作業も多く、中だるみしそうになる中で、佐伯は細かく進行表とチェックリスト作り、それぞれがやるべきことを明確にしていった。


 その日の衣装部の作業は、レンタル業者から届くスーツや小物のために、管理番号の書かれたラベルを作っておく作業だった。

 國弘は机の端で、番号がまとめて印刷された紙を、一つ一つをハサミで切り取り、透明のテープを重ねて補強していく。

 単純作業だが、國弘は結構こういうのが好きだった。


 別の机では二年生たちが、学校から貸与されたノートパソコンに向かい、サイズ表やアイテムリストを整理していた。

 タッチパッドのクリック音や、ハサミの小さな開閉音だけが部屋に響く。


 最初のうちはそんなふうに静かだったが、集中力が切れるのにしたがって、二年生達の間に雑談が混じり始めた。


「……てかマジ、佐伯先輩めちゃクッソ働くよな」

「それな」

「四方先輩と木曽先輩もヤバいって聞いたけど」

「一条チルドレンじゃん」

「一条先輩の遺伝子が入ってるってこと?」


 少しの間のあと、


「ヤバイヤバイヤバイ、それいろんな意味にとれるわ」


 ドッと笑いが湧いた。


「マジの『一条チルドレン』は四方先輩だけだろ。それ以外は想像したくもねーわ」

「それも想像したくはねーよ」


 あまりの下世話さに、國弘は思わず顔をしかめた。

 寮に入ってしばらく経つから、男子校特有の、歯止めの聞かない下品なノリには慣れているつもりだった。けれど、いま話題にされているのは、身近な人のことだ。

 不快感が胃のあたりに溜まっていって、吐きそうだった。

 國弘の苦々しい表情に気づいたのか、噂話をしていた一人が「なんだよ」と國弘に睨みをきかせた。


「テープ、足りなくなったんで、取りに行ってきます」


 そう言って立ち上がり、逃げるようにして廊下に出た。

 はぁっと息が漏れた。

 それでも嫌な気分は収まらない。

 怒りというより、絶望感に近かった。


 あんなのただの戯れにすぎないのだから、自分が何を言っても意味がない。

 わかっている。わかっているけれど、やりどころのない気持ちをどう処理していいかわからなかった。


 國弘は会議室までやってきて、ドアを開けた。

 いつもなら寮会の定例会が行われる場所――けれど今は、雰囲気が普段とはまるで違っていた。

 机の上には作業用の資料や画用紙、メモが散らばり、壁には実行委員全部門の進行表が貼られている。

 整然としていた会議室は姿を変え、完全に寮祭仕様になっていた。


 それでも、今この瞬間だけは静まっている中で――四方ひとりだけがいた。


 彼は、いつもの席で、ペンを握ったまま眠っていた。

 左腕に頭を載せ、書きかけの資料の上にて突っ伏している。

 作業の途中で、そのまま眠ってしまったのだろう。あまり眠れていないのかもしれない。


 國弘は四方を起こさないように、そっと部屋の隅へ向かう。

 そこには、ボンドやガムテープなどの備品が、それぞれの段ボールにまとめられていた。横に置かれた「持ち出しリスト」に、國弘はペンを取って『衣装部 國弘』と記入する。

 用事は終わった――なのに、足が動かなかった。


 出ていけばいいのに、四方のことが気になってしょうがなかった。


 寮祭の準備が始まってからというもの、四方との接触は、本当になにもなかった。


 國弘の衣装部としての仕事は、当たり前だがほとんど佐伯の指示を待って動く。

 だから、寮祭のメインを支えている、四方や木曽とは自然と縁遠くなる。


 四方に映画に誘われ、告白し、襲われかけ。そのあと、佐伯と交渉して寮祭をなんとか進めた。


 ――そこのすべてに、四方がいた。


 あの数週間は、現実ではない、夢だったような錯覚を覚える。

 今はもう、ただの準備作業に追われる日々。


 そこに、自発的に動いているという実感はない。

 世界は動き続けているのに、自分だけが置き去りにされたような感覚があった。

 そんなことを考えながら、気づけば、四方の前に立っていた。

 寝息をたてる四方を見下ろしながら、國弘は思う。


(――あの時、拒絶しなかったらどうなっていたんだろう)


 視界の端に、例の備品倉庫の扉がある。今は開け放たれていて、中には作りかけの何か、ワイヤーで作られた大きなハート型がある。


 今振り返っても、あそこで起こった、あの続きを、耐えられる気はしない。けれど、もし自分がもう少し大人で、もっと経験があったなら。

 たとえば恋愛の一つでも経験していたなら、何かが違っていたのだろうか。


 四方と出会って、ずっと四方に抱いていた想い――この人と、他人になりたくないという気持ち。 


 あの時、他人でなくなれるチャンスが、与えられたのかもしれない。


 そしてそれを拒絶した自分には、もう、二度とやってこないのかもしれない。


 手が、自然と四方の方に伸びる。

 すぐ先に、四方の艷やかな髪の毛があった。

 どうか、気づかれませんように。


 あと少しで触れられる、その時だった。


「四方」


 低い声が背後から響き、慌てて手を引っ込めた。

 佐伯が、入口の前に立っていた。

 四方がゆっくりと頭を持ち上げながら、目をこすった。


「……ああ、ごめん。なに?」


 喉が少し詰まったような、起き抜けの声だった。


「ちょっと確認したいことがあるんだけど……」


 佐伯は國弘に一瞥もくれず、四方のもとへ歩み寄る。國弘は一歩あとずさって道を譲った。

 佐伯は本当に確認事項があったらしく、レンタルではなく、自前で衣装を用意したいという保護者の対応について話し合っていた。

 國弘は手持ち無沙汰のまま、そのやりとりを見つめるだけだった。

 一通り話し終えて、佐伯が國弘を見た。


「行くぞ」


 そう言われて、國弘は真新しい袋に入ったテープを持って、仕方なく彼のあとに続く。

 廊下に出た瞬間、佐伯の視線を感じて、怒られるのだろう、と反射的に思った。


 後ろめたさを覚えながら、恐る恐る彼を見ると、意外にも、佐伯の目に怒りはなかった。


 ただ、ひどく憂鬱そうな顔でこちらを見ていただけだった。


 それは、四方に触れようとした自分への牽制であることは間違いない。が、それにしては、あまりに力無い表情だった。


 しばらく沈黙があり、そうして佐伯は、何か言いたげに口を開きかけたが、結局口をつぐんで先に行ってしまった。


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