第21話 三人目③
佐伯からの反応は、意外と早かった。
手紙を渡してから二日後の火曜日、夜の自由時間中。
國弘が伊波と部屋で過ごしていると、隣室の同級生が、困ったような顔でやってきた。
「佐伯先輩が……お前に用があるって言ってるけど」
一年生の談話スペースに向かうと、端のソファに佐伯がシャンと座っていた。
テレビの前に集まっている一年生たちは息を潜め、場違いな三年生の存在を、気にしないふりをしながら、十分意識しているのが分かる。
「佐伯先輩」
声をかけると、佐伯は「ああ」と短く返事し、立ち上がった。
「ここじゃあれだから、ラウンジ行くぞ」
佐伯は少し前を歩きながら、横目でこちらをうかがった。
「手紙読んだ。つか、これくらいなら直接言えよ」
「そうなんですけど……その場で拒否されたら終わっちゃうかなって」
そう言うと、佐伯は小さく「まあ、そうかもな」とつぶやいた。
二人きりで話す場がこうして、設けられようとしていること思えば、手紙にしたのは正解だったかもしれない。無視することだってできたのに、わざわざ時間を作ってくれたのだから。
寮祭の企画について協力を得られる可能性も、少しは期待できそうだ。
寮内のラウンジは、学校の施設とは思えないほど洒落ている。
低めのソファや小さなテーブルが適度な間隔で置かれ、ところどころに生徒がぽつぽつと腰を下ろしている。
ただよく見ると、テーブルの端は擦れていたり、ソファの布地がわずかに毛羽立っていたりと、学生の場所らしい使用感もあった。
「で、お前がこんな手紙渡してきたのは、誰の差し金?」
周囲に人のいない一角で、向かい合ってソファに座った途端、佐伯がそう切り出した。
「え? いや、俺が勝手にやっていることですけど……」
佐伯が目を見開く。
「勝手に? 寮会の誰かに頼まれたんじゃなくて?」
「違います」
「じゃあ、この手紙のことは誰も知らないわけ?」
「……はい」
返事を聞いた瞬間、佐伯が深いため息をついた。あからさまに面倒くさそうな顔つきになっている。
どうやら國弘は、伝言役を先輩に押しつけられた一年生代表――と思われていたらしい。
國弘はどこか申し訳なさを覚えながら、状況を説明しようと口を開いた。
「手紙にも書きましたけど、今、寮会は寮祭の企画出しに難儀していて。去年のホストクラブを、もう一度やる、ということで一旦進んだんですけど、結局全部白紙になりました。
次の寮会までに企画を決めないと、本当にまずいんですが、今の寮会の雰囲気だと、どうも良い案が出る気がしないんです。
そこで、佐伯先輩に相談すれば、何かヒントがいただけるんじゃないかと思って、手紙を……」
佐伯は腕を組み、困ったように眉を寄せた。
この話にあまり乗り気でないのが、言葉にせずとも伝わってくる。
「そんなこと言われてもって感じ。俺部外者だけど?」
「佐伯先輩は、去年の寮会の二年代表だったと聞きました。『伝説の寮長の右腕』と、言われてたとか……。だから、なにか、助けになっていただけるんじゃないかと思って」
「でもそれって、四方……今の寮長と副寮長が求めてるわけじゃないんだろ?」
「……まあ、そうですね」
言い返せなかった。
立場のない一年生に急に頼られても困る――佐伯の言いたいことはわかる。
下手に寮会の一年生に深入りして、面倒事に巻き込まれるのは避けたい、そんなこともあるのだろうか。
國弘が言葉に詰まっていると、
「一旦、寮会で話し合ってから、もう一度来いよ」
穏やかな口調だったが、この場を早く切り上げたい気持ちが隠しきれていない。
「あ、あの……せめて去年のこととか、聞かせてもらうのはだめですか?」
「寮会のやつに聞けよ、んなこと」
しつこい、とばかりに、呆れと苛立ちがその声にこもっていた。
「そう…なんですけど……」
でも、それができない理由は――。
國弘の脳裏に、手紙を一文に削る前に書き連ねた内容が浮かぶ。
まとまらない寮会の空気、四方と木曽のぎこちない関係、一年生代表という弱い立場。
あのとき、本当は言いたかったことは、結局ひとつだった。
「……正直、終わってるって思うんですよね、今の寮会」
声が少し、震えた。
佐伯がこちらを見た。
先ほどまでより、はっきりと意識が自分に向けられたのがわかる。
「四方先輩は寮長ですけど、優しすぎて、全部自分で背負い込んでしまうところがあります。それじゃ何も前に進まないというか……。木曽先輩は言っていることは正しいんですけど、文句ばかりで、自分は案を出さないですし。他の三年は受験でやる気がなくて……一年と二年は流されているだけで。去年みたいな企画を出すのは、無理だと思っています」
國弘は、できるだけ愚痴に聞こえないよう、声音には気をつけた。
「……で、そういうお前はどうなんだよ?」
人を批判するとき、つい自分のことを棚に上げてしまう。佐伯は、そうした甘さを見逃す気はないらしい。
「俺ももちろん、無力です。俺が華麗に解決できれば一番いいんですけど……正直、良い企画なんて思いつきません」
國弘は恐怖をごまかすように息を吸い、真正面から佐伯を見た。
「だからこそ、俺にできることって、去年のことを知っている佐伯先輩に相談に乗ってもらうことしかなくて。
先に寮長達に言うべきだっていうのは、本当にその通りです。でも……今の状況を、どう伝えればいいのか分からないんです。
『先輩達じゃどうにもならないんで、佐伯先輩を頼ったらどうですか?』とか、言えばよいのでしょうか?」
言い終えた瞬間、佐伯が小さく「ハハッ」と笑った。
「もっと言い方あるだろ」
初めて見る佐伯の笑みらしきものに、國弘は胸の奥が軽くなるのを感じた。
「佐伯先輩は……去年の寮会で四方先輩や木曽先輩と一緒だったわけですし、どういう雰囲気もわかってくれるんじゃないか……とか」
「ああ、わかる」
佐伯があっさりと頷いた瞬間、國弘は安堵で力が抜けた。
少しでも理解を示してくれたことが、たまらなく嬉しかった。
しばらくの間があってから、佐伯が尋ねた。
「仮に、俺が手伝うとして、何やれっての?」
もともと國弘の中にあったのは、「相談に乗ってほしい」というぼんやりしたものだった。
ゴールは寮祭の企画をなんとかすること。そのための『考え方』を教えて欲しい――いや、違う。
國弘は腹を決めた。
「……企画が欲しいです」
寮会の細かい状況は、この際どうでもいい。きっと良い企画さえあれば、そんなことはどうとでもなる、そんな気がした。
「次の金曜日の寮会までに間に合うように……って、あと三日しかないんですけど。もちろん、俺にできることがあれば手伝います」
「嫌だ、といったら?」
それは力のこもらない、最後の抵抗のような言い方で、佐伯がもう一歩で折れそうだと、國弘にはわかった。
「本音を言えば、俺は、やる気のない寮祭で済めば、別にそれでいいんじゃないかって思うんです。そのほうが正直楽ですし。
でも、去年あれだけ成功してしまったから、今年は嫌でも期待される。その期待を全部引き受けてるのが、今の寮会なんです。その寮会が窮地に立たされています。俺一人じゃどうにもできません。……佐伯先輩、助けてください」
そう言って頭を深く下げた。
しばらく待っても返事がなかったので、國弘は恐る恐る顔を上げた。
「あのー……」
「今考えてるから、ちょっと黙っといてくれる?」
突き放すように言われて、また十数秒。
やがて佐伯が、ぽつりと言った。
「……お前、兄貴いないんだよな?」
「え? はい。いませんけど……。てか、どうして知ってるんですか?」
「お前の名前で、軽く周りに聞いた」
ドキリとしたが、確かにそれなら納得もいく。
「協力は……まあ、できると思う。寮祭の企画、考えてやるよ」
その一言に、光が差し込んだような気分だった。
「ただし、条件が二つある」
「……条件? なんでしょうか」
自分にできることなら何でも、という気持ちで、國弘は身を乗り出した。
「まず一つ目。お前が俺の弟になること」
「え゙……」
思わず変な声が出てしまった。
佐伯が不機嫌そうに睨みつけた。
「文句あるのかよ」
文句があるとか、無いとか、そういう問題ではなかった。
目の前のこの男が、自分の兄になる――想像しただけで恐怖だ。
「寮会部外者の俺が、寮祭に首突っ込むのは、さすがにどうかと思う。ただお前の兄貴ってことにしときゃ、寮会の『弟』が困ってるのに手貸すっていうのは、一応理屈が通る。それだけ」
「……あ、えっと……その……はい。……たしかに……そうですよね……わかりました、えっと、大丈夫……です」
自分でも何を言っているのかわからないまま、とにかく肯定の言葉を作った。
ここで首を横に振ったら全部終わる。それだけは、はっきりしていた。
「二つ目は……」
佐伯はそこで言葉を切り、少しだけ目を伏せた。先ほどまでと違う、言うことに、どこかに迷いを感じている感じがした。
「お前、あんま四方に近づくな」
息を呑んだ。
「……え、なんですか、それ」
佐伯が目を逸らす。
「寮会とかは……別にいい。でも、形の上とはいえ弟が、四方とどうこう、みたいな噂立てられんのは、不快だから」
頬が熱くなる。
日曜日に桂野駅で四方と二人でいた。朝食を一緒にとっていた。
國弘のことを周りに聞いたというなら、そんな噂が耳に入ったのだろう。
「四方先輩とはそういうのじゃ――……」
ない。少なくとも、あの時点ではそうだった。そして、これからもそのはずだ。
佐伯は、ウンザリとした顔になった。
「実際どうかなんて、マジでどうでもいい。
俺は三年で、今まで弟もいなくて気楽にやってきた。それがこの時期に、一年を弟にするってだけでイレギュラーなのに。その弟が四方と、とか、俺の……その、メンツ? も、考えろ」
なぜか少ししどろもどろだったが、けれどこっちの事情もわかれ、と言われているのはわかる。
メンツ気にするタイプなのは、少し意外だった。
「……別に、問題ないです」
つい先日、四方とは距離を置くと決めたばかりだ。
だから条件としては痛くも痒くもない――はずなのに、胸の奥がざわついているのはなんだろう。
「じゃあ、決まりな」
「……はい」
佐伯はそれを聞くと、軽く周囲を確認してからすっと立ち上がった。
國弘も反射的に立ちかけたが、佐伯に片手の手のひらを向けられ、『待っておけ』という合図をされる。
そのまま佐伯はラウンジの通路へ出て、通りかかった別の寮生を呼び止めた。
「お前今から部屋帰んの?」「え? うん」「悪い、四方にここ来るよう言っといて。多分自分の部屋にいるだろ」
離れた場所でその会話が聞こえた途端、國弘は思わず立ち上がった。そのまま足が固まる。
佐伯は戻ってくると、明らかに動揺している國弘に気づいたようだった。
「なんだよ。その面」
「先輩……今、四方先輩を呼んだんですか?」
「ああ。寮長くらいには話、通しておく必要があるだろ」
「今、ここに……?」
ついさっき、近づくなと言ったのはどこの誰だっただろうか。
「早いほうがいいだろ」
そりゃそうだけど。
まじか。やばい。
心の準備が全くできていない。




