第19話 三人目①
土曜日の朝、伊波と食堂で朝食をとっていた時だった。
入口のほうで馬渕の姿を見つけた伊波は「あっ」と声を上げ、トレイを置いてすぐに駆け寄っていった。
二人が話し合っている途中で國弘のことを見たので、國弘も慌てて立ち上がり、軽く会釈する。
少しして、伊波が戻ってきた。
「馬渕先輩、食事の後で残ってくれるって」
「ありがとう、恩に着るわ」
「そんな悪いよ~。ポテチとか大丈夫だからさー」
伊波は大げさに手を振った。
「二袋?」
「……いや、それはなんか申し訳ないわ。一袋で」
伊波には昨夜、「去年の寮会について、馬渕先輩から話を聞かせてほしい」と頼んでおいた。
國弘には兄も、親しい先輩もいないが、伊波は兄の馬渕と仲がよく、馬渕も気さくで話しやすい二年生だ。
馬渕は去年の寮会と関わってはいないにせよ、寮祭自体はその目で見ている。なら、当時の二年代表メンバーのことくらいなら知っているだろう。
そう思ったのだった。
食後、國弘、伊波、馬渕の三人でテーブルを囲んだ。
食堂はすでにピークを過ぎているのに、あちこちで談笑が続いている。
平日の朝のような緊張感はなく、私服のままだらだらと過ごす、土曜の朝ならではのゆるい空気が漂っていた。
「去年の寮会について聞きたい、って言われても……俺、去年一年だったし、そんな詳しくはないけど」
「でも、去年の寮祭は参加したんですよね?」
國弘が訊ねると、馬渕が「ああ、あれはすごかったよな」とこぼしてから、何か引っかかった様子で言った。
「でもそのことなら、寮会のやつに聞いたほうがいいんじゃないの? 國弘って、一年代表なんだろ?」
國弘が返事につまると、すぐ横で伊波が口をはさんだ。
「こいつ兄もいなくてぼっちだから、先輩に話しかけるとか無理ゲーです」
「まあ……そういうもんか」
馬渕は苦笑しつつ納得したようだった。
なんだかすごく癪に障ることを言われた気がするが、ひとまず無視しよう。
國弘は姿勢を正した。
「聞きたいのは去年の寮会メンバーのことなんです。
今の寮長の四方先輩と、副寮長の木曽先輩が、去年の二年代表だったっていうのは知ってます。でも、二年代表は三人だったはずです。その三人目って、誰なんですか?」
「ああ、佐伯先輩ね」
あっさりと返ってきた名前は、國弘が初めて聞く名前だった。
少なくとも、今年の寮会のメンバーではない。
馬渕は「どこかにいるかな」と食堂を見渡し、「あ、いた」と小さく呟いた。
「ほら、奥の窓際のテーブルにさ、五人で座ってる三年生のグループ、見えるか?」
國弘はできるだけ何気ない動作で、そちらを見た。
食堂の奥、窓際。
確かに、食事を終えた三年生五人が、紙コップ片手に談笑している。
三年生を見るといつも感じることだが、その雰囲気は一年生の自分達とは全然違っていて、すごく大人に見えた。
「左側の手前の、濃い青のパーカー着てる人。あれが佐伯先輩」
そう言われて、國弘はすぐにわかった。
紺色のパーカーに、ナチュラルなツーブロック。
距離があって表情まではわからなかったが、しゃんと伸びた姿勢と、落ち着き払ったその態度から、五人の中でもひときわ存在感があるように見えた。
「佐伯先輩が次の寮長になってほしいって声、結構あったんだよね」
「えっ」
思わず声が出て、國弘は馬渕を見た。
「『伝説の寮長の右腕』って呼ばれてたしさ。佐伯先輩は二年代表だったけど、あの寮祭はあの人抜きじゃ回らなかったって、先輩達が言ってるの聞いたよ」
「『伝説の寮長の右腕』ですか……」
『伝説の寮長』に引き続き、冗談みたいな呼び名だ。
馬渕は「笑っちゃうよな」と言ってから、ふと何か思い出したように首をかしげた。
「あ、そういえば。寮長って、どうやって選ばれるか知ってる?」
考えたこともなかった。
國弘が入学した時には、寮会の三年の役職はすでに決まっていたから、疑問を抱いたこと自体なかった。
「選挙……とかですか?」
「それが違うんだ。寮長が辞める時、次の寮長を指名する。まあ実際は指名ってほど大層なもんでもなくて、内々でなんとなく決めてる感じだろうけど」
馬渕は腕を組み、椅子の背にもたれた。
「そもそも寮会って、そんなに重要な組織じゃなかったんだよ。自治組織とはいえ、別に大きな権力があるわけでもないし。
学校側も、寮生に本気出されて、勉強が疎かになったり、コントロール効かなくなったりしたら困るだろ?
だから、生徒に任せられる、最低限のことだけ任せてやってる、って感じ――あ、なんかすまん」
國弘が寮会メンバーということを思い出したらしい。
「全然大丈夫です、僕もそう思いますんで」
國弘は軽く笑ってみせると、馬渕は安心したようだった。
「だからさ、寮長とか役職も、選挙とかで決めるより、寮会と学校とかで適当に決めてもらったほうが皆ラクってわけ」
「なるほど……」
「寮生の寮会への認識が変わったのは、やっぱり去年の寮祭から。『あんなすごいこと仕掛けられる組織なんだ』ってイメージが一気にできて。
だから次の寮長は誰かって話になった時も、皆当然、佐伯先輩だろって言われてた。
でも蓋を開けてみたら、寮長は四方先輩で、副寮長は木曽先輩。佐伯先輩は、寮会メンバーですらなかった」
「どうしてですか?」
國弘の問いに、馬渕は小さく首を振った。
「はっきりした理由は知らない。噂レベルじゃ、四方先輩が一条先輩とデキてるから、殿の愛のご乱心だ……とか言われてたけど」
國弘は思わず眉を寄せたが、馬渕は気付かなかったようだ。
「でも、次の寮祭に期待していたやつらは、落ち込んでたよ。『佐伯先輩に任せておけば安泰なのに』って」
馬渕は、少し残念そうにため息を漏らした。
「馬渕先輩もそう思いますか?」
「うーん……。四方先輩のことはよく知らないけど、なーんか頼りない気はするよな。俺としては、去年一年の俺達はほとんど裏方だった分、今年に期待したくはあるんだけどさ」
そこまで言うと、馬渕は「ま、そんな感じ?」と締めくくるように言って、紙コップから水を一口飲んだ。
國弘は改めて、尋ねてみたいと思った。
「佐伯先輩って、どういう人なんですか?」
「どういう人? というと?」
「その……性格とか、なんでも」
「学年も違うし、絡みはほとんどないからなぁ。去年も目立ってはいたけど、表にがっつり出てくるタイプじゃなかったし……。でもなんとなく、近寄りがたいってイメージはある。隙がないっていうか」
少し言いにくそうに言ったあと、馬渕はついでのように付け足した。
「弟もいないし」
「そうなんですか?」
「寮祭のあと、『弟になりたい』ってやつ結構いたんだよ。一条先輩に憧れたやつとかさ。どうせ一条先輩の弟にはなれないから、せめて佐伯先輩の弟に……って感じで。
でも俺と同じ学年で、佐伯先輩の弟になったなんてヤツの話知らないし」
そこで馬渕は、あっけらかんと肩をすくめた。
「後輩の面倒とか見るの、嫌いなのかもな」
聞きたいことはすべて聞いたあと、馬渕と伊波の二人は先にテーブルを離れ、國弘はそれを見送った。
國弘も遅れて、出口に向かう。
途中、少しだけ遠回りして、さりげなく佐伯のいる三年生グループの方へ近づいてみる。
ちょうど彼らも、後片付けをして、椅子を戻したりしている。
國弘は、佐伯の顔や雰囲気を、できるだけよく目に焼きつけようとした。
次に見るときは、服装がまったく違うかもしれない。
立ち上がった佐伯は身長も高く、スポーツマン然として、なかなかの男前だ。
けれど同時に、しっかりとした眉毛と鋭い目が、何をしているわけではないのに怒っているようにも見えた。
馬渕の言っていた、近寄りがたい、というのに納得がいく。
ふと、佐伯がこちらの目線に気づいたように國弘の方を向いたので、目が合いかける。
國弘はすぐに視線をそらして、そのまま食堂を出た。




