第18話 波乱②
「じゃあ次は、寮祭についてなんだけど……」
四方の声が、少し緊張を帯びていた。
「前回、去年と同じホストクラブにするって方針で決まったけど……学校側のNGが出た」
会議室に動揺が広がる。
四方はそれを遮るように続けた。
「理由は、『ホストクラブという業態を寮祭で扱うのは、学校の品位を損なう』ということらしい。去年はイレギュラーだっただけで、二年連続はあり得ない、って。
僕もかなり話したんだけど……保護者の手前、今年はどうしても無理という話だった」
特に驚いていたのはやはり二年生達で、不満気にボソボソと何かを話している。
内容はほとんど聞き取れなかったが、「学校マジクソじゃん」という声だけ、耳にはっきり届いた。
それな、全員の気持ちを表すような言葉だった。
四方は改めて、先週消さずに残しておいたホワイトボードに向き直った。
「じゃあ……アンケートにあった案のうち、不健全なのと、現実的に無理なものを除いていこう」
そう言って、一つずつ企画名を消していき、残ったのは、カフェやお化け屋敷など、いかにも文化祭という無難な案ばかりだった。
どれも悪くはない。
悪くはないけれど、ホストクラブの『特別感』の前には、どうしても霞んでしまう。
「ぜんっぜんダメだな」
木曽だった。
普段なら空気がピリつく彼の発言だが、今回は不思議と、よくぞ言ってくれた、という空気が流れた。
「そもそもウチは――予算が圧倒的に少ない。寮祭って言っても、所詮ほぼ校内イベントだし、現金の扱いも禁止されてる。だから、カフェだの縁日だのをやろうとしたところで、どうしたって小規模にしかならない」
木曽はホワイトボードの案を指で示しながら、淡々と続けた。
「寮生は全員で二百九十八人。全員を動かすほどの仕事なんて用意できない。必然的に、人が余る。……それでモチベ保てるのか?」
会議室は静まり返った。
「去年の寮祭がすごかったのは、三百人近い寮生に、裏方も含めてとにかく仕事を割り振って、全体で回し切ったことだ。予算の少なさは、人数の多さでねじ伏せた。そのうえで、あれだけ盛り上がった」
木曽は肩をすくめた。
「で、今年? ……この中に、去年レベルの企画があるとは思えない」
誰も反論できなかった。
その場の全員が――國弘でさえ――心のどこかで同意してしまっていた。
寮生の、期待。
今年の寮祭は、それが一番厄介だと國弘は思う。
去年はいわば、やったもん勝ちなところがあった。
だが今年は、去年と同レベルか、それ以上を皆求めている。
それが必要以上に重い足枷になっている。
しばらく重い空気が流れた後、四方が口を開いた。
「木曽の言いたいことはわかるし、正直僕もその通りだと思う。
でもそうなると、ここに出てる案以外に出す必要があるよね。今日は残りの時間で、皆で考えてみよう。案があれば出してほしい」
そこからは、地獄の時間だった。
誰からも、まったく手が挙がらない。
この空気をどうにか崩そうとしたのか、四方がなんとか機転を利かそうとしてくれる。
「たとえば……全員で一つの作品をつくるアートイベントとか、寮内を使った謎解きイベントとか……。規模の調整は必要だけど、こういう方向性もあると思う」
それは、本気で考えた案、というよりは、皆の意見を出しやすくするための提案だった。
そして、そんな提案に対してすら、木曽は容赦がなかった。
「謎解きは、寮生の人数が活かしきれない。準備するやつがゼッテー偏る。アートについても、展示だけじゃ弱い。去年の期待を越えられない」
淡々と、しかし確実に企画が折られていく。
さらに二年生が、苦し紛れの案を、二、三出したが、木曽は即座に切り捨てた。
どれも理屈としては筋が通っているのだが、同時に『案を出した者が損をする』という構図が鮮明になっていく。
そんな場所で、良い案が生まれるわけがなかった。
(……だったら、木曽先輩も案出せよ)
心の中で國弘はそう思ったが、真剣さを装って睨むのが精一杯だった。
気まずく重苦しい空気が三十分ほどつづいた頃――。
「……とりあえず、このまま粘ってても埒が明かなそうだね」
四方が全員に告げる。
「それぞれ企画を考えて、また来週話し合おう。ただ正直……来週中には決めないと、流石にまずいんだけど……」
この地獄のような時間に終わりが見えたことに、ひとまず安堵の空気が流れた。
先延ばしただけ、という事実には変わりないのだが、今はそれでもありがたい。
「てかそもそもさ」
木曽が、ノートやペンをまとめながら、吐き捨てるように口を開いた。
「ホストクラブだって……四方が学校側ともっと交渉して、なんとかすることもできたんじゃないのかって、俺は思うけどな」
瞬間、空気が止まった。
誰もが木曽を見た。
國弘も、思わず目を見開く。
それは絶対、言っちゃいけないだろ、と思う。
そんな議論に何の生産性もない。
ただ、責任を押しつけるためだけの、そんな発言だ。
でも『副寮長』で、声の大きい木曽のがそう言えば、それは簡単に空気を支配する。
あたかも――すべては寮長のせいだ、というように。
四方は、何も言い返さなかった。
黙って受け止めるしかないような、疲れた顔をしていた。
「まあいいや。四方、お前が寮長なんだから、良い案頼むぜ」
木曽のその言葉に、四方は一度静かに頷いて、「ああ」と返事をした。
木曽はどこか勝ち誇ったように席を立ち、会議室を出ていった。
空気は固まったままで、しばらく誰も動かなかった。
ようやく三年の役員の一人が席を立つと、それを合図にしたように、他のメンバーも続々と立ち上がった。
國弘も、最後の一人にならないように、ノートを閉じて立ち上がって出口を目指した。
会議室を出る時、どうしても気になって、振り返って四方を見た。
彼はいつものように、企画案が書かれたままのホワイトボードを、ただ静かに見ている。
その背中に、怒りも、悔しさも、反論も、何もない。
一切文句を言わずに、受け止めている。
その姿勢は、人として立派だと思う。
木曽が、皆が、理不尽なのだと思う。
――でも、それでは人は動かない。
会議室から廊下に出ると、國弘の前を二年代表の三人が歩いていた。
「はー、寮祭どうなるんだろ」
そのうちの一人が、そう漏らした。
「なんかさ、思ってたのと違うよな」
「な」
他の二年代表の声にも、落胆が滲んでいる。
寮祭は――どうにもならないかもしれない、と國弘は思った。
中止にはならないだろうが、去年より前にやっていた懇親会のような、形だけの企画でお茶を濁して、やる気のないまま進行し、最後は「去年は良かったよな」と皆がため息をつく。
そんな未来が、國弘には容易に想像できた。
それでも終わってしまえばこっちのものだが、そこに至るまでを考えると気が滅入る。
「まあ寮長が四方先輩って時点で、不安はあったけど……」
また二年生の一人がそうこぼした時、國弘の心に引っかかるものがあった。
木曽は、これを望んでいたんじゃないか。
普段から木曽が、四方のことをよく思っていなかった。
だからどこかで四方を陥れるチャンスを伺っていて、企画がうまくいかない、という事実を見つけた瞬間に、四方に背負わせた。
すべてを木曽が仕組んだ、とは言わない。でも、今の流れを作ったのは確実に木曽だ。
胸の奥に、苛立ちが込み上げる。
寮祭の企画が上手く行っていないのはその通りだが、それを寮長にすべて押し付けていいのだろうか。
木曽だって副寮長だし、三年生は他にもいる。一年だって二年だって、ちゃんと寮祭の企画について、真面目に向き合ってきただろうか。
絶対におかしい。
そうして気づけば、なんとかしたい、という衝動に駆られていた。
四方を救いたい、というより、この状況そのものが間違っていて、正さなきゃいけない、という感覚。
四方に告白し、襲われかけた。
思い出すだけで胸が締めつけられるし、恥ずかしくて消えたくなる。
それなのに、不思議と今はそんなこと、どうでもよく思えた。
とはいえ――一年である自分に、一体何ができるというのだろう。
――一年は指示待ち
木曽が前に言っていたそれは、悲しいけれど事実だった。
そんなモヤモヤした気持ちを抱えたまま階段を降りていくと、前を行く二年生三人の背中が、再び目に入った。
彼らは親しげに話していて、やがて踊り場を曲がり、姿が見えなくなったが、まだ会話は響いている。
(二年代表は仲が良いよな……)
一年生代表は國弘以外、半ば押し付け合いのような感じで決まった二人で、普段はほとんど話すこともない。
―― その時の二年代表が、僕とか木曽だったわけなんだけど。
四方の言葉を思い出しながら、三人がもう一度見えた時、彼らの背中に四方と木曽の姿が重なった。
あんなふうに仲が良い時期が、二人にもあったのだろうか。
そこまで考えたところで、そういえば、と思う。
四方と木曽が去年の二年代表だった……。
現寮長の四方。
現副寮長の木曽。
――じゃあ、あと一人は誰だ?




