第17話 波乱①
國弘は、日曜日には自室での生活にもどり、週明けの月曜日はいつも通り学校にも登校し、完全に日常を取り戻した。
四方とのあの出来事に、折り合いをつける一番良い方法は、『自分は失恋した』と考えることだった。
望んだ形ではなかったが、あの乱暴な接し方は、四方なりの拒絶だったのだ、と。
そんな風に、四方という大きすぎる存在を諦めたことで、自分がごく普通の一年生に戻れた気がした。
最初から普通でしかなかったというのに。
四方があまりにも特別な存在で、彼を追いかけて、構ってもらえる自分まで、特別な存在だと勘違いしていたところがある。
四方との未来が消えた今、世界は安全で
平和で、少しだけ退屈に戻った。
そんな退屈な世界が、多分自分には一番合っている。
いつしかそんな風に、軽く考えられるようになっていた――木曜日までは。
いや、下手したら水曜日くらいから怪しくなっていた。
日々せまってくる『それ』の存在感が増して、胃がどんどん重たくなっていく。
――金曜日の寮会だった。
四方と、顔を合わせたくない。
できれば、彼の卒業まで。
というか、実質、一生。
あんなに恥ずかしいことになった相手には、早く自分の世界からいなくなってほしい――そうしたら、この世界は、本当に、完全に元に戻ってくれる気がした。
四方の卒業までは、あと六ヶ月。
割り切るしかない。
でも大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。
所詮自分は一年生、担うのは簡単な役割だけでいい。
指示待ち、上等。
四方と無理に話す必要はないし、なんなら目すら合わせなくてもなんとかなるかもしれない。
……必死で自分を説得しているうちに、気づけば金曜日の自由時間になっていた。
「あれ、今日寮会だろ。行かなくていいのか?」
自室の伊波が、机に向かう國弘を見て言った。
「……ダメ」
答えはしたものの、椅子に座ったまま腰がまったく持ち上がらない。
本当は、行きたくない。
『寮会なんて適当にこなせばいい、大丈夫だ』と、ここしばらく自分に言い聞かせてきたはずなのに、身体は正直だった。
でも――今日休んだらどうする?
次の寮会は?
その次は?
寮祭の準備は? 当日は?
未来を想像して、ますます胃が重たくなる。
時計を見る。
寮会の始まる十九時まで、あと八分。
最悪、五分前に部屋を出れば間に合う。
欠席、という選択肢もゼロではないが、その場合は他の一年生代表に伝言を頼まなければならない。
しかしこの時間ならもう、二人とも会議室に向かっているはずだ。
無断欠席はさすがにまずい。
それに。
……休んだら休んだで、『あの件が堪えてるんだな』と四方に思われるのも、なんとなく嫌だった。
「はー……」
大きく息を吐いて、もう一度時計を見る。
十八時五十六分。
遅刻が、足元まで迫ってくる。
「……だー! もう、行ってくる!」
勢いよく部屋を出て、走って会議室へ向かった。いつもの階段を駆け上がると、心臓がばくばくとうるさくて、普段よりずっと息があがった。
会議室の前まで来ると、扉は閉まっていた。
(ヤバッ、もう始まってる?)
最悪の想像に背中が冷えながら、息を整えて扉をそっと開ける。
中にいたメンバー全員の視線が、國弘に集中した。
その視線の中に、四方のものがあるのは確実だったが、國弘はなるべく視界に入れないようにして、念の為、会議室の時計を確認する。
十八時五十九分。
秒針は六から八のあたりをゆっくり移動していた。
遅刻ではない。
なのに、思わず『すみません』という表情を作って、ペコペコ軽く頭を下げながら、一年の席へ向かおうとした。
他の一年代表は律儀にも、いつも國弘が座る席――コの時に並ぶ長机の角、三年生たちに一番近い席を空けておいたようだ。
(わざわざ空けとくなよ……)
そこに辿り着くには、一年生二人に後ろを通してもらう必要があって、気まずい空気の中で手間取りながらも、なんとか席についた。
一呼吸おいて、四方はいつも通りの声で定例会を始めた。
連絡事項を聞きながら、國弘はノートを開き、ひたすら文字を書き込むフリをする。
顔を上げる勇気が出ず、しばらく、四方の顔をまともに見られなかった。
けれど、全体に向けて話す彼と目が合うことはない――そう踏んで、國弘は思い切って四方の横顔の方をしっかり見た。
相変わらず、ひとつの歪みもない整った顔立ち。
横顔は、正面よりもさらに造形が際立って美しい。
そっと視線をノートに戻す。
(なんだ、意外と平気じゃん)
そんなふうに一瞬だけ思った。
……が、ほんの数秒後、頭の中で記憶がガッと逆流してくる。
四方の香り。
自分の唇に触れた、あの唇。
壁に押しつけられた背中の感触。
(――やばい、思い出すな。思い出すな)
すぐにでも頭を抱えたい衝動。
でもそれをやったら、平常心じゃないのがバレる。特に四方に。
だから國弘はノートへ視線を落とし、真面目に書き留めるふりをしながら、静かに、穏やかに『ああああああああ』と、素早く書き殴った。
ノートの五行ほどを『あ』で埋め尽くした後、これを隣に見られたら完全にヤバいやつだ、と心配になって、横を確認する。
だが隣の河野は、いつものようにペンをもてあそんでいるだけだった。




