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第一話 上 虎穴に入らずんば

『「言霊の国」とは、古に存在したとされる、大国である。


その国の名は、十世紀に、藤堂長十郎によって記された『日出国之歴史(ひいずるくにのれきし)』に見られる。


その書によれば、「言霊の国」の長とされる、「天君(あまきみ)」の血筋の者には、生まれつき神秘的な力が宿っており、その力により国を統治していたとされる。


しかし近年の研究では、この、藤堂の書自体が、偽書であるという声が少なくない。


それは、この書と同じ年代に書かれた三石公徳(みついしこうとく)の『古代国記』という書に、藤堂の書についての書評と、それが書かれた当時の市井や朝廷の声が記されているからだ。


それを見てみると、「其ノ書イト疑シキ也」、「跡無(アトナシ)」など、当時においても、この藤堂の書を偽書として扱っている声が多いことが分かる。


中には「之ヲ信ズル者、イト痴レマガシク、汚シ也」などと卑下しているものもあった。


書かれた当時から、藤堂の書や説は信じるに値しないものであるとされていたようだ。


この書き方から察するに、「言霊の国」の存在も、当時から怪しまれていたことが窺える。』


―三枝伶『古代の国々を巡る』より―
























 随分山の奥まで来た。今は昼間のはずだけれど、山の中は青葉闇が多くて、薄暗い。深山幽谷とはまさにこのような場所だろうか。先程まで聞こえていた、五月(さつき)の小鳥のさえずりも、遥か遠くに行ってしまったようだ。

孝詠(たかよみ)、疲れていない?」

 私は後ろで椅子を押してくれている孝詠に声を掛ける。なんだか今回の山は、整備されている道が少なく、椅子の車輪が回りにくい。その負担が、孝詠にいってしまっているのではないかと心配したのだが。

「大丈夫ですよ。御前(ごぜん)の方こそ……椅子が揺れてしまいますから、疲れるでしょう」

 孝詠は反対に、こちらの心配をしてくれた。

「……このくらい、平気ですよ」

 そう言って振り返り、微笑みかけると、孝詠も笑みを返してくれる。

そんな温かさとは裏腹に、周りの空気が、突如ひやりと冴え渡る。また一段と景色が暗くなり、風が草木を揺らす音が、ぴたりと止んだ。

 その時、

「っ!孝詠、東!」

 私の声と同時に、東から、何かは確認できないものが、私たちの方へ、突進してきた。

 その私の声を聞かぬうちに、孝詠は腰につけていた警棒をさっと抜き、そのまま突進してきた何かの、鋭い爪を、それで受け止め、弾く。そのまま素早く身を翻し、左手に持ち替えた警棒で、何者かの側面を叩きのめす。

「ギャアアァ!!!」

 けたたましい鳴き声と共に、私たちから離れたその正体は、

「これが、(ぬえ)……か?」

 確かに異形な生き物だと言える姿だった。孝詠の言う通りこれが鵺ならば、人を啄むという噂も頷ける。大きな獣のような……しかし所々、別々の生物の特徴が垣間見える、異形のもの。虎のような鋭い爪と、鳥のような嘴で、狩りをしているのだろうか。

「孝詠、……気をつけて」

「ええ、分かっています。御前」

 鵺とやらは、先程孝詠の与えた打撃が、少しは効いたようで、そこを庇うように手を触れた後、ぎりっとまたこちらを睨み付け、

「ギィィイイイィ!!!」

奇声と共に再びこちらへ襲いかかってきた。孝詠は私を背に守るように、戦ってくれている。

 その間に、私は探した。他の気配を。

「人の気配は……見える」

 この鵺が突進してきた時に感じた、もう一つの気配。鵺の気配は、とても不思議な、怪しい気配だったのだが、それよりも、読み慣れた気配が、同時にあったような気がしたのだ。異形のものではない、よく分かる、人間の気配が。

「!」

 見つけた。

「南の方角、木の上に……いらっしゃいますね?」

 少し声を張ってそう呟くと、数秒の後に、パチパチと手を打つ音が響き渡り、孝詠と格闘していた鵺が大人しくなった。

「いつから気づいていた?」

 木の上から降ってきた声に、私はにこりと笑みを返し、

「辺りが静まり返ってすぐです」

と返した。その会話の間に、孝詠は警棒を収め、私の隣へ戻ってくる。

「吾郎、戻れ」

 木の上でパチンと指を鳴らす音と、その命令が聞こえると、鵺はその木の根元で座り込む。同時に木の上から、鵺の側へ降り立った男。

 その男の姿は、山伏を彷彿とさせた。十界具足(じっかいぐそく)の全てを身につけているわけではないが、所々、修験者のそれのような格好だった。錫杖と法螺貝、笈などは、荷物になるからか身につけていない。顔は目元だけが見えるが、身のこなしも軽かったようなので、割と年齢はいっていないのかもしれない。

「鵺を飼い慣らしているのですか?」

 私がそう問うと、山伏の男は、鵺の体をさすりながら、

「ああ。厄介者から、この山を守るためにな」

と言って、厳しい視線を私たちに向けた。厄介者、とはまさに私たちのような者だろう。こちらにそんな意図はないのだが、この人にとっては修行の場に入られることこそ、厄介なのだろう。

「鵺の噂を流したのも、あなたなのでしょう?」

「大抵の奴は噂を聞いて入ってこない。稀に興味本位で来る奴もいるが……そういう奴には鵺の爪をくれてやるんだがな」

「実際に襲われた者も、いるようですね」

「だがそんな奴らでは俺の存在には気づかない。……問おう。何故あんたらは気づいた?」

 男はこちらを覗うような視線を送ってくる。

「人の気配は、よく分かるのです」

 そう答えてもなお、疑心を露わにした目を、男は動かさない。

「聞きたいことはそれですか?」

 そう、男には、もっと聞くべき疑問があるはず。男はそれを聞いてやっと目を伏せ、ふうと息をついた。

「……何故ここへ来た?」

 その言葉を、待っていた。

「聞きたいことが、あるんです」

 男は顔を上げ、私を見据えた。

「あなたの先祖……藤堂長十郎が書いた、この書物の内容について」

続いた。自分でもびっくり。

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