歓声の底、ただ一人抱く腕
神罰のような光の連撃が止んだ荒野に、耳をろうするほどの凄まじい静寂が降り立つ。
はるか彼方の山脈は、数本の巨大な大穴が穿たれ、文字通り地形が変わっていた。
えぐり取られた断崖からは赤黒い熱気が立ち上り、帝国軍の隊列があった場所には、ただ絶望の黒煙だけが燻っている。山が丸ごと一つ死んだかのような、無残な光景だった。
(……拓真を、討ち取れただろうか)
ゼクスは『ウィンドセンス』の網を広げるが、大気が文字通り焼き切れており、どれだけの被害を与えたのか判別できない。
(いや……これ以上、魔力を使うのは止めておかないと……)
ふと我に返ったゼクスは、自分が土魔術で作り出した高台の頂点に、ただ一人取り残されていることに気がついた。
怒りと焦燥に任せて一気に構築したため、降りるための階段すら作り忘れていたのだ。
魔術で物質化させた土の塔とて消えてはくれない。己のしでかした破壊のスケールに目眩を覚えながら、ゼクスは塔の側面に滑り台のような不格好な傾斜を急造し、風魔術のクッションを纏って、這うようにして地上へと降り立った。
地上で待っていた将兵たちの視線が、一斉にゼクスに突き刺さる。そのどれもが、英雄を迎えるそれではなく、未知の天災を恐れる「畏怖」の色に染まっていた。
騎士団長レイヴンは、剣の柄を握る手が小刻みに震えるのを必死に隠している。
武人として、勝負にすらならない理不尽な暴力を前に、ただ戦慄するしかなかった。
魔術師団長キュラムは、既存の魔術の概念すら無視して数キロ先を塵に変えたゼクスの手元を、呪われた遺物でも見るかのように凝視している。
そしてライオネルは、自身の掌が冷や汗でぐっしょりと濡れていることに気づき、激しい吐き気を必死に堪えていた。
(馬鹿な……こんなもの、一人で本当に国を滅ぼせるではないか……! 帝国と内通して王位を盗んだところで、あいつが『不快だ』と思えば、一瞬で私は消される……!)
誰もが言葉を失う中、副騎士団長ヴォルフガングだけが、乾いた笑い声を響かせた。
「ははは! よもや、ここまでだったとはな。相変わらずお前さんは、俺たちの常識を簡単に踏みつぶしてくれる」
かつて『グランテンペスト』の地獄を見た彼だからこそ、この静寂に耐えられた。だが、その声すら今のゼクスには届かなかった。
すぐさま駆け寄ってきたセシルが、心配そうに水色の瞳を潤ませる。
「スーちゃん! やっぱりスーちゃんは世界一強いね……っ! でも、魔力は大丈夫? 体は痛くない?」
「ああ……大丈夫だ」
ゼクスは、信じられないほど軽い自分の身体を見つめた。
「美月に教えてもらって以降、常時展開していたフィジカルアップをやめていたから。……そのおかげで、自分の魔力量が、毎日の鍛錬でここまで底上げされていたことに……はじめて気づいたよ」
けれど、その声はどこまでも沈んでいた。空気が焦げたような臭いが風に乗って鼻腔を突く。
(どうして……どうしてここにいない、あの女の影がスーちゃんを支配しているの……!?)
セシルは一瞬だけ、その長い睫毛を揺らした。
ゼクスが手に入れた更なる異次元の強さ。その足がかりを作ったのが、今ここにいないあの女の言葉だったという事実に、セシルの胸の奥で、どす黒い嫉妬の火花が小さく爆ぜる。
「帝国軍に向けて攻撃しましたが、幹部や勇者を討ち取れたかは分かりません。敵国とはいえ……俺は怒りに任せて、きっと、たくさんの命を奪ってしまった……」
ぽつりと溢れた、前世の倫理観がもたらす生々しい懊悩。
しかし、生き残った王国軍の兵士たちには、そんな怪物の繊細な苦しみなど理解できなかった。彼らは口々に、救世主を崇め奉る。
「何を仰るのですか、ゼクス様! 奴らは我が国を侵略しにきた悪魔です!」
「そうだ、ゼクス様がいれば、帝国なんて何も怖くない!」
「万歳! 王国最強の英雄、ゼクス様万歳!!」
熱狂的な歓声。それが逆に、ゼクスの心を深く、深く削り取っていく。
誰も俺のこの手についた血の重さを見てくれない。世界から切り離されていくような強烈な孤独感が、ゼクスの呼吸を浅くした。
セシルは嫉妬の火花を愛らしい微笑みの下に隠し、ゼクスの震える手を両手でそっと包み込んだ。彼が「前世の倫理観」で苦しんでいる今こそ、自分がさらに特別な存在になる好機だと、その本能が理解していた。
「……スーちゃん。これは戦争だから……仕方なかったの」
セシルはゼクスの胸に顔を埋め、彼にしか聞こえない小さな、しかし絶対的な声で囁く。その声は、甘い毒のようにゼクスの耳に心地よく響いた。
「……もし、それでもそれが『罪』だと言うなら、私が全部、一緒に背負ってあげる。だから……自分を責めないで?」
顔を上げたセシルの水色の瞳には、兵士たちへの慈悲など一滴もなかった。あるのは、ゼクスの苦しみすらも愛おしくてたまらないという、底なしの狂愛。
(大丈夫だよ、スーちゃん。世界中の誰もスーちゃんを化け物としか見なくても、私だけはスーちゃんの全部を知っているから。私が、スーちゃんを絶対に一人にさせないからね……)
無関係な兵士たちの歓声に包まれながら、セシルはゼクスのすべてを独占するように、その身体を優しく、強く抱きしめた。その温もりだけが、今のゼクスにとって唯一の錨だった。




