交錯する愛執
夜気を切り裂き、一頭の軍馬が漆黒の街道を激しく駆けていく。
王国が誇る軍馬の肉体は魔力を帯びて頑強そのものだが、ゼクスはさらに風魔術を展開し、馬の蹄にまとわりつく空気抵抗を極限まで削っていた。
二人乗りでの一晩中の強行軍。その無茶を可能にしているのは、ゼクスの常軌を逸した魔力制御に他ならない。
(フィジカルアップの消耗具合と美月の魔力量の話からして、王都への再襲撃はまずない。軍の本隊へ戻り、戦力を建て直すか撤退するはずだ。ならば、ウィンドセンスを張りながら追いかけて、俺たちが前線で叩けるようにする……!)
風の唸りと、地を鳴らす蹄音。張り詰めた思考を巡らせるゼクスの背中に、不意に柔らかな重みが加わった。
しがみつくセシルが、ゼクスの背にそっと頬を寄せたのだ。風の音に混じって、すぐ耳元から鈴を転がすような声が届く。
「ねぇ、スーちゃん。婚約のこと、パパたちに手紙で報告してもいい?」
「え? あ、あぁ……」
ゼクスは一瞬、手綱を握る手に強張りが走るのを自覚した。
「……でも、今度の長休みに直接話した方がよくないか?」
(直接会って言うと提案しておけば、少し先延ばしにできるはずだ……あの時はああ言ってしまったが、まだ少し心の準備が……)
そんなゼクスのささやかな防衛本能を嘲笑うように、セシルは背中から無邪気な声を重ねる。
「私ね、一刻も早く報告したいの。パパもずっと応援してくれてたし……早く安心させてあげたくて」
(なるほどな。年頃の娘を、いくら恩人とはいえ男と同居させるなんておかしいと思っていたが……ハンスも初めからそのつもりだったわけか)
外堀はとっくに埋められていたのだ。だが、それに対する憤りはなかった。
今のゼクスには、セシルのすべてを受け入れてもいいと決めた覚悟がある。ただし、その外堀が迫ってくるスピードだけは、少しでも緩めておきたかった。
「わかった。俺も父上に手紙を書く。一緒に出そう」
(手紙でだけなら、まだ今すぐ直接会うよりはマシか。時間も稼げるはずだ……それまでに、心の準備をしないとな)
「えへへ、嬉しいな。……これでやっと、スーちゃんがちゃんと『私のもの』になるんだね」
セシルの細い腕が、きゅっとゼクスの腰を強く抱きしめる。
その瞬間の拘束感に、ゼクスは息を呑んだ。脳裏をよぎるのは、少し前に交わした美月とのキス、そして、あの時口にしてしまった『俺だって、君を愛してる』という言葉。
腰に回された腕に込められた力は、フィジカルアップをしているのではないかと思うほどに強く、決して獲物を逃さない蛇のような執念に満ちているように感じる。
背中から伝わる、愛らしくも狂おしい質量。
「……今までだって、俺はお前の傍にいただろう?」
少しでもセシルの執念を和らげようと、ゼクスはどこか言い訳めいた言葉を返した。しかし、セシルの声は容赦なく彼の核心を突き刺す。
「ううん。スーちゃんの中には、ずっと美月様がいるもん。……今だって、消えてないでしょ?」
「それは……」
的を射た図星に、ゼクスは喉の奥に苦い塊がせり上がるのを感じ、前方の闇を見据えた。
美月を安全な場所へ送るため、あえて冷酷に突き放した。だが、心から彼女の存在を完全に消し去ることなど、今のゼクスには不可能だった。
背中に突き刺さるセシルの沈黙が、酷く重い。しかし、彼女はそれ以上、ゼクスの心を責め立てるような真似はしなかった。
「ううん、いいの。わかってることだし、当然だもん」
セシルは、ゼクスの広い背中にそっと額を押し当てた。
「元々スーちゃんは、美月様のために今までずっと頑張って、あんなに想っていたんだもん。それは、私が一番近くで見てきたから……」
「セシル、俺は──」
言い淀むゼクスの言葉を遮るように、衣服越しにセシルの小さな吐息が背を叩いた。
「でもね、私も、スーちゃんの隣にいるために、今までずっと頑張ってきたんだよ?」
きゅう、と腰に回された腕の力がさらに強まる。まるでゼクスという存在を自分の肉体に溶け込ませようとするかのように、必死に、縋りつくように。
「誰にも負けないくらい、必死に強くなって、スーちゃんの役に立てるように、ずーっと……」
「……あぁ。分かってる。お前がどれだけ努力してきたかは、俺が誰よりも知っている」
その声がかすかに震えていることに気づき、ゼクスは静かに応じた。
美月への激しい嫉妬、そして、ようやく自分の努力が報われたことへの安底。どれほど圧倒的な魔術を操ろうとも、その本質は、たった一人の男の愛を渇望する一途な少女でしかない。
その健気で、同時にどこか壊れそうな本音の重さに、ゼクスの胸が強く締め付けられる。
「だから……こうして、形だけでも正式に私のものになってくれるだけで、私は十分に幸せだよ」
セシルのその言葉の裏にある、底知れない執念をゼクスは敏感に察知していた。
――たとえ心が別の女に残っていようとも、その身体と未来だけは、自分の檻の中に閉じ込めてみせる。
それは冷酷な独占欲の奥に秘められた、狂おしいほどの覚悟だった。
ゼクスは、その歪な愛の重さを背中でしっかりと受け止め、未練を振り払うように、馬の腹を蹴り前を見据えた──。




