果てなき劣等と怨嗟
王都から遠く離れた暗い街道を、拓真は合流地点へと向かってただひたすらに駆けていた。
全身の血管が内側から焼き切れるような熱感。酷使した魔力は底を突きかけている。だが、肉体の凄まじい疲弊などよりも、脳裏にどす黒くこびりついて離れない感情が、彼の理性を激しく掻き乱していた。
(あのゼクスとかいう化け物……正体は、どういうわけか須藤涼翔だった)
何がどうなって、あの生意気な男がこんな異世界で、あんな銀髪の姿で生きているのかはわからない。だが、何よりも拓真のプライドを粉々に磨り潰したのは、戦闘中に突きつけられた冷酷な事実だった。
(あいつは、自己治癒なしで俺の三倍の身体強化についてきやがった。それどころか、俺の全力の攻撃はかすりもしねぇで、こっちは治癒がなきゃ一撃で戦闘不能になるような攻撃を、一方的に浴びせられ続けたんだぞ……!)
その事実が、何よりも腹立たしく、胸が書き毟られるほどに悔しかった。
また、あの頃と同じだ。俺よりもあいつが上。お前はあいつに勝てない――世界から、再びそう突きつけられている気がしてならなかった。握りしめた拳から、爪が食い込んで血が滲む。
やがて、事前に決めていた合流地点の暗い森影に到達すると、そこには片腕を根元から血で染め、青ざめた顔で息を切らせたラミルの姿があった。
「王子暗殺、しくじっちまった」
拓真は忌々しげに唾を吐き捨て、苛立ちをぶつける。
「聖女の女はボコボコにしてやったんだが、寸前のところで邪魔が入った。そのままやり合ったが……ゼクスの野郎単体に、どうしても勝てなかった」
ラミルの端正な顔が、驚愕と、そして隠しきれない苦汁に歪む。
「……やはり、奴は本物の化け物ですか。まさかこの世界に、神の加護を得た異界の勇者をすら圧倒する者が誕生していようとは。……実は私も、いつもゼクスと共にいる、銀髪の治癒師の少女に敗走を余儀なくされました」
「あぁ? あの銀髪でチビだって言ってた女にか?」
拓真の怪訝な視線に、ラミルは無念そうに視線を落とし、自身の傷ついた右腕を見つめた。
「ええ。あの女、移動する際の音や気配、空気の振動すら完全に消し去っていたのです。突如として死角から放たれる苛烈な攻撃に、どうしても避けきれず……腕を、やられました」
呼吸を荒くしながら、ラミルは懇願するように拓真を見上げる。
「拓真殿、大変申し訳ないのですが、この腕の治癒を頼んでもよろしいでしょうか?」
「ちっ……。こっちだって魔力が枯渇寸前だってのに、使えねぇな」
拓真は盛大に舌打ちをしながらも、渋々手をかざして不快そうに治癒の光をラミルの傷口に与えた。じわじわと肉体と骨が再生していくのを見届けながら、拓真は低く唸るような声で、本題を切り出した。
「それよりも、ラミル。あのゼクスって奴は……俺と同郷の奴の『生まれ変わり』だ」
「な、今なんと……? 生まれ変わり。本当に、そんなことが……」
「間違いねぇ。あのアホみたいに正確で無駄のないいなしの剣筋、そして、あの聖女があいつを『涼翔』と呼んでいやがった。その須藤涼翔って奴とは、あっちの世界で何度かやり合ったことがあるんだが……ゼクスの剣筋は、あいつと瓜二つだった」
拓真は、ギリ……と奥歯が軋むほど噛み締めながら、忌々しげに言葉を重ねる。
「……それに、あのセシルって女の隠密術も、おそらく俺の世界の科学か何かを応用して、あいつが教え込んだんだと思う。俺はそういう細かい座学はからっきしだったから理屈は説明できねぇが、あっちの世界の概念を魔術に織り混ぜてやがる気がする。じゃなきゃ、この世界の術で完璧に気配が消せるわけねぇ」
(――待てよ。つまり、須藤の野郎、あの時は美月を自分に引きつけるために、最初から本気じゃなかったってことか? あいつ、どこまで俺を舐めやがったら気が済むんだよ……!)
今回の敗北すら、涼翔が自分を哀れんで手を抜いていたのだという、歪んだ被害妄想が拓真の脳内を急速に支配していく。行き場のない凄まじい逆恨みが、ねっとりとしたドス黒い殺意へと変わっていく。
「それは……帝国にとっても、早急に報告すべき事項が増えましたね」
ラミルは再生した右腕を何度か握り締め、確かめるように動かした。拓真の言葉からゼクスの脅威度を再計算し、冷静に状況を分析する。
「今回の暗殺の失敗は、ゼクスが戦地へ行かず、王都に残留していたことがすべての要因です。作戦自体が最初から破綻していた。ですが、生き残り、それほどの重要情報を手に入れただけでもよしとすべきでしょう」
「ちっ……気に食わねぇ。今度会った時までに、絶対にあの野郎を徹底的にぶちのめす力を手に入れてやる。あいつのあの余裕そうなツラを、恐怖で歪ませてやる……!」
燃え盛る激しい嫉妬の炎を瞳に宿す拓真に、ラミルは繋いでおいた馬の手綱を差し出した。これ以上の暴走を未然に防ぐよう、諭すように告げる。
「とりあえず、本隊の軍と合流しましょう。前線の戦況がどうなっているか分かりません。もし途中で王国軍の姿が見えたら、少し迂回して進みます」
「あぁ、わかった。クソ、むしゃくしゃしてんだ。軍に合流するまでに、少し回復した魔力で王国兵を血祭りにあげなきゃ気が収まりそうにねぇな」
「いえ、それだけは絶対に避けてください」
ラミルは、これまで見せたことのないほどの強い語気で、拓真の暴走を明確に制した。
「ゼクスが、このまま私たちを追撃してくる可能性があります。かつて私の兄上を屠った、あの広域殲滅魔術を放たれれば、私たちはひとたまりもない。拓真殿も、あの何もなくなっていた更地を見たでしょう?」
静かな、だが確かな恐怖を込めて、ラミルは拓真を真っ直ぐに見据える。
「ゼクスは、一度の魔術であれほどの破壊を行う男です。ここは大人しく撤退に徹するべきです」
あの、直撃すれば地形すら変わるほどの凄惨な光景を思い出し、拓真は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
いかに自分に『三倍の身体強化』と『自己治癒』があろうとも、あの規模の魔術を直撃されれば、再生する暇すらなく塵すら残らず消滅する。本能的な死の恐怖が、彼の傲慢な暴走に冷水を浴びせた。
「……ちっ、わかったよ」
二頭の馬の蹄の音が、夜の街道に寂しく響き渡る。二人は互いに無言のまま、ただひたすらに闇の先へと駆け抜けた。
荒野を焦燥感と、そして消えない疲労に耐えながら走り続ける。
翌日の昼。じりじりと照りつける太陽が真上に来た頃、二人はようやく、最前線に展開する帝国軍の本隊の陣営へと、滑り込むことに成功したのだった。




