決壊の一吻(くちづけ)「俺だって、君を愛してる──」堰を切った未練と、苦渋のゼクス。
「……美月。俺は……俺だって、君を愛してる……ッ」
美月の目覚めにより、不利を悟った拓真は回廊の闇へと敗走する。その去り際、拓真は「ゼクス」が前世の宿敵・須藤涼翔であるという驚愕の真実を知る。
美月をボロボロにされた憤怒から、自身の肉体が壊れるのも厭わず四倍の『フィジカルアップ』で追跡を強行するゼクス。
その身を案じるあまり、美月はゼクスの首に手を回し、その唇を自らのもので塞いで彼を制止した。
一吻によって決壊する、前世からの濃密な未練。抱き合い、二人でどこか遠くへ逃げようと夢を語る美月を、ゼクスは血を吐く思いで突き放す──。
突如、轟音と共に、ゼクスが生成した土石の壁が激しく崩れ落ちた。
立ち込める砂塵の向こうには、自己治癒によって傷を塞ぎ、意識を取り戻した美月が立っていた。
(チッ……目覚めるのが早すぎるだろ!)
拓真の脳内で、生存本能が激しい警報を鳴らす。そして、脳裏をよぎるラミルの忠告と、視界の端に映る奴が放ったであろう信号。
(治癒なしの状態ですら、俺はこいつに一撃も浴びせられず、一方的に攻撃を食らい続けている。ここで聖女と合流され、バックアップ付きの特攻でも仕掛けられれば……間違いねぇ。二対一じゃ勝機はねぇ!)
「ちっ……!」
拓真は即座に獲物を仕留めることを断念し、回廊の闇へと大きく跳躍した。
「涼翔……っ! やっぱり、やっぱり来てくれたんだね、涼翔!!」
背後から響く美月の切実な叫び。その名を聞いた瞬間、逃走する拓真の顔が驚愕に歪んだ。
(涼翔……だと? あいつ⋯⋯あの須藤涼翔だってのか……!? じゃあ、俺を子供扱いしたあの怪物が、あいつだっていうのか……!)
あまりの衝撃に足が止まりそうになるが、拓真は歯を食いしばって撤退を継続した。
今はまだ、その真実を確かめるよりも、生き延びて力を蓄えることが先決だった。男の影は、瞬く間に城の深淵へと消えていく。
「遅れてすみませんでした。二人とも、無事でよかった」
ゼクスが駆け寄り、短く息を吐く。
「いいや、助かった。だが今は礼を言っている場合ではない。奴は危険すぎる、生かしておけば必ず我等にもう一度牙を剥く。これ以上刺客はいないはずだ……奴を追ってくれ!」
エドワードが、これまで見せたことのないような激しい剣幕で叫んだ。自らの誇りを汚し、美月を傷つけた敵国の猛者を、ここで確実に屠っておきたい――その一心だった。
「承知しました」
ゼクスは短く答えると、美月の体をその胸に抱き寄せた。
それは、この十五年以上ずっと抱きしめたかった、夢にまでみた温かさ。
呆然とする美月。そして、その様子を、命を懸けて彼女を守ったにもかかわらず届かなかった敗北感に打ちひしがれながら、複雑な、苦い表情で見つめることしかできないエドワード。
「治癒を……かけ続けてくれ」
ゼクスは四倍の『フィジカルアップ』を強行した。血管が焼き切れ、骨が軋むような激痛が全身を駆け巡る。だが、美月をあんな無惨な目に合わせた男への憤怒が、その苦痛を完全に凌駕していた。
(……あの、治癒を前提とした絶技を使うつもりか。私が頼んだこととはいえ……)
エドワードは、加速するゼクスの背を苦々しく見送ることしかできなかった。
美月は、その凄まじい加速の衝撃からか、あるいは無意識にかつての温もりを求めてか、ゼクスの大きい胸にぎゅっと抱きついていた。
(ずっと、こうしたかった。ずっと、この腕の中に飛び込みたかった)
だが、安らぎは束の間だった。
美月の耳に、ゼクスから漏れる、四倍負荷に耐えかねた苦しげな呻きが届く。
拓真の気配は既になく、どこへ消えたかもわからない。闇雲に、自分の体を壊してまで追い続ける姿に、美月は胸を締め付けられた。
「……もう見当たらないよ、諦めよう? 涼翔が、こんなボロボロになってまで追いかけるの……私、嫌だよ! もう傷つかないで……っ!」
「あいつは……君をあんな目に合わせたんだ。許せない」
狂気すら感じさせるゼクスの執念。言うことを聞かない彼をどうにかして止めなければ、本当に体が壊れてしまう。
(治癒を止める? いいえ、それではこのボロボロの足で無理に駆け、転び、さらなる痛みに苦しむだけ。なら――)
「あなたが苦しむのは、嫌なの……!!」
美月は、ゼクスの首に回したままの手にぎゅっと力を込め、その唇を自らのもので塞いだ。この世界で初めて交わすそれ。
――静寂が訪れる。
あまりに突然の、あまりに衝撃的な出来事に、ゼクスは石像のように固まって立ち止まった。
そっと唇を離し、潤んだ瞳で見上げる美月。その視線とぶつかった瞬間、ゼクスの目から大粒の涙が溢れ落ちた。
前世からの未練、今世の苦悩、そのすべてがその一吻によって決壊する。
「美月……今、何を……」
「好きな人同士がすることだよ。ごめんね、こうでもしないと、止まってくれないと思ったから……」
美月の声が震える。
「私は、涼翔が好きなの。それは何があっても変わらない。……涼翔と一緒にいたい」
「……美月。俺は……俺だって、君を愛してる……」
二人は、堰を切ったように強く抱きしめ合ってしまう。それは世界に二人しかいないかのような、濃密で、切ない時間。
「涼翔。私、涼翔と一緒にいられたらそれだけでいい。王国には恩があるけど……帝国の問題を解決して、私の卒業前に、二人で逃げて、一緒にひっそり暮らそう? 他の国へ行ったっていい。どこへだって……」
美月は夢を語る。涼翔と生きる、ささやかで幸せな未来。
だが、その夢を、ゼクスは血を吐くような思いで突き放した。
「美月。君の容姿はこの世界では目立ちすぎる。それに、女神の『世界を救え』という言葉も気になるんだ。……エドワード様のことも好きなら、君は、彼と幸せになるべきなんだ。俺も……この国のために尽くす。……『ゼクス』として」
「……そんなの嘘だよ! 嫌だよ、涼翔……っ!」
拒絶された美月が、涙を溢しながら再び彼に近寄ろうとした、その瞬間。
――ピキィィィン……ッ!
どこまでも冷たく、鋭い凍気が狭い回廊の空気を切り裂き、二人の間に巨大な「氷の壁」が地鳴りと共にせり上がった。
それは、街の脅威を排除し、愛しい約束のご褒美を胸に最速で城の方まで戻ってきた、銀髪の少女の、一切の温度を失った無言の拒絶だった。
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