兄の影を越えた絶望
「……ここまで、なのね。みんな、ごめんなさい……──」
かつて美しい石畳を誇った王都の大通りは、今や巨大な氷柱と瓦礫が転がる地獄絵図と化していた。
襲撃者・ラミルを包囲すべく、決死の覚悟で魔術を放つ宮廷魔術師団副長エレノアだったが、最愛の兄を失い絶望の底で進化したラミルの絶対的な暴力の前に、王国軍は文字通り粉砕されていく。
王都の大通りは、もはや美しい石畳の面影を完全に失っていた。
無造作に突き刺さる巨大な氷柱と、爆散し崩落した建物の瓦礫。その地獄絵図のただ中で、魔術師団副長のエレノアは、急ぎ集結させた少数の魔術師団と騎士団を引き連れ、たった一人の刺客と対峙していた。
「ようやくお出ましか。……何人死んだのかなぁ?」
ラミルは退屈そうに首を傾げ、周囲に転がる亡骸を指差してケラケラと笑った。その表情には、かつて前線でゼクスとセシルに徹底的に叩きのめされ、命からがら逃げ出した時の怯えなど、微塵も残っていない。
「一人……たった一人でこれほどの被害を……!」
エレノアは溢れ出しそうになる激しい焦燥と怒りを必死に抑え込み、鋭く号令をかけた。
「油断するな! 包囲しつつ一斉に魔術を打ち込め! 騎士団は負傷者の救助と、まだ残っている市民の避難誘導を急ぎなさい!」
だが、その決死の命令を、ラミルはひどく冷酷な、吐き捨てるような一言で切り捨てた。
「遅えし、弱いなぁ。まばたきする間に死んじゃえ」
ラミルが残虐に腕を振るった瞬間、周囲の大気が一瞬で結氷し、極大の複合魔術『ヘイルストーム』が放たれた。
魔術師団員たちが放った火炎や石の槍の魔術を、その圧倒的な質量と絶対零度の冷気で強引に丸ごと飲み込みながら、死の氷礫が王国軍へと容赦なく襲いかかる。
この数ヶ月。
最愛の兄を失い、絶望と憎悪の底で狂ったように力を求めたラミルは、皮肉にもかつて畏怖した亡き兄の領域へと、完全に足を踏み入れていた。
それは、大事な唯一の家族を失った者が辿り着く、温度のない純然たる破壊の境地。
――凄まじい轟音。
一撃だった。たった一撃で、魔術師団員の半数程が戦闘不能に陥り、救助活動をしていた騎士団員数名ごと、街の一角が美しい氷の墓標へと変えられた。断末魔の叫びすら凍りつかせる、絶対的な「個」の暴力。
「そんな……っ! 嘘でしょ……っ!?」
エレノアは奥歯が砕けるほど歯を食いしばる。だが、ここで自分が折れれば王都は確実に終わる。
「散開! 止まるな! 狙いを絞らせるな、魔術を打ち込み続けなさい!!」
エレノア自身も限界以上の魔力を振り絞り、複数の火炎を同時に放つ。だが、ラミルは飛来する魔術の軌道を最小限の動作で相殺し、嘲笑をさらに深めた。
「ははっ! これじゃあ、あのゼクスの隣にいた、あの頭のおかしい銀髪の女一人の方がよっぽど強えじゃねえか。王国軍って本当に雑魚ばっかりなんだな? びびって損したなぁ……!」
ラミルは愉悦に浸りながら語り、散開して必死に抵抗する団員たちを正確に捕捉していった。
逃げる隙も、反撃の隙も与えない。一人、また一人と、無数の『アイスジャベリン』が、団員たちの喉笛や心臓を精密に、そして確実に撃ち抜いていく。冷徹な死を淡々と突き立てていた。
「こんな……強すぎる……っ。これが、帝国の、本物の暗殺者……」
気づけば、王国最強の一角であるはずのエレノアの部隊が、完全に防戦一方に追い込まれ、文字通り全滅の危機に瀕していた。
「お前がこいつらの指揮官みたいだが、大したことねえな」
冷徹な声と共に放たれた高速の氷の槍の嵐が、相殺しきれずにエレノアの左足を無慈悲に貫いた。
「っ……あ……あぁっ!!」
凄まじい激痛と凍結の冷気に顔を歪め、エレノアはその場にドサリと膝をつく。致命傷こそ避けたものの、もはや回避運動をとるための機動力は完全に失われた。
「副長をお守りしろ!」
生き残った騎士たちが、ボロボロの身体で指揮官を救おうと剣を構えて決死の突撃を試みる。
だが、ラミルはその泥臭い動きを完全に見切っていた。重い鎧を嘲笑うかのように、風のような速さで懐に滑り込み、短刀で鎧の繋ぎ目を的確に切り刻み、頸動脈を裂いていく。
「魔術も使えねえ脳筋どもが、こんなに弱えのかよ。努力不足なんじゃねえか?これだから平和ボケした王国は……」
絶望的な戦力差。地に伏し、血を流すエレノアは、震える手で再び複数の『ファイアボール』と『アイスジャベリン』を空中へと編み出した。震える指先、肉体の限界。けれど、背後の若い団員たちを、王国の盾としての誇りを、彼女は絶対に捨てない。
しかし、命を燃やすエレノアの瞳に映ったのは、ラミルの憐れみですらない、純然たる「不快感」と蔑みだった。
「はぁ……弱いくせに、いい加減に諦めやがれ。見苦しいんだよ」
ラミルが再び、魔力を込めて『ヘイルストーム』を構える。膨れ上がる極大の魔力が、周囲の空間を真っ白な絶望で染め上げていく。
エレノアが放った渾身の魔術は、迫り来る銀世界の奔流に、文字通り一瞬であっけなく掻き消され、飲み込まれた。
視界のすべてを、死の色をした白銀が埋め尽くしていく。肌を刺す圧倒的な冷気が、彼女の体温を奪っていく。
(……ここまで、なのね。みんな、ごめんなさい……――)
エレノアが最期の瞬間を覚悟し、静かに目を閉じる。
王国の誇りと団員達の命が、無慈悲な氷の下へと永遠に沈もうとしていた――。
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