盾となった英雄と、静寂の広場。――すべてを使い果たした男と、少女の誓い
愛する人を守るために手に入れた、最強の「暴力」。
だが、その力を行使するたびに、俺の肉体は内側からボロボロに崩れていく。
隣国の精鋭『影の猟犬』。
卑劣な策で村を、家族を、そしてセシルを脅かす者たちを、俺は一秒の慈悲もなく屠り去る。
セシルの魔力が尽き、俺の筋繊維が焼き切れても。
心臓が止まるその瞬間まで、俺の拳は止まらない。
すべてが終わった後の広場に響くのは、誰の叫びか。
薄れゆく意識の中で俺が願ったのは、美月への誓いか、それとも――。
森から村への距離は、通常なら鍛え上げた大人の足でも数十分はかかる。
だが、四倍のフィジカルアップを発動したゼクスにとって、その空間はわずか数十秒の「瞬き」に等しい距離だった。
「ぐっ……、あ、ああぁぁぁぁ!!」
一歩踏み込むごとに、物理法則を無視した加速に耐えかねた腿の筋肉が裂け、膝の軟骨が砂利のように砕ける。セシルの『ヒール』が即座にそれを修復していくが、破壊の速度が再生を上回り始め、ゼクスの神経には「肉体がバラバラになり、それを無理やり接着剤で繋ぎ止められる」ような、筆舌に尽くしがたい激痛が刻まれ続ける。
脳が「死」を予感して止まれと悲鳴を上げるが、ゼクスは止まらない。いや、止まれない。
「スーちゃん……! あと少し……頑張って……っ!」
ゼクスの胸に顔を埋め、必死に魔力を絞り出すセシルの声が震えている。
彼女の顔は紙のように白く、魔力枯渇の予兆である冷や汗が銀髪を濡らしている。九歳の頃から欠かさず鍛え続けた彼女の魔力をもってしても、四倍の自壊をリアルタイムで治し続けるのは、底の抜けたダムに濁流を注ぐような無謀な暴挙だった。
村の入り口、石造りのアーチが見えた。
広場には、縄で縛られたオルグやハンス、そして怯える村人たちが家畜のように集められ、十数人の黒装束――隣国の特殊工作部隊『影の猟犬』に包囲されていた。
ゼクスが弾丸のごとく、広場の中央へ突入する。
一秒。
人質に冷たい刃を突きつけていた三人の首が、何が起きたか理解する暇もなく宙を舞った。
二秒。
さらに近くにいた四人が、血飛沫を上げる肉塊へと変わり果てる。
ゼクスは瞬時にオルグの縄を切り、魔力が底を突きかけて意識が混濁しているセシルを託した。
「オルグさん! セシルをお願いします!」
「スーちゃん⋯私、まだ⋯!」
「『アース・ウォール』!!」
地響きと共に、人質たちを包み込むように巨大で強固な土の防壁が隆起する。それを背に、ゼクスは残った敵部隊へと、獣のような鋭い視線を向けた。
ここからは、セシル抜きでやらねばならない。セシルの魔力をこれ以上削れば、彼女の命に関わる。
敵の指揮官が驚愕に目を見開いた。
「なっ……なんだ、その速度!? 猟犬の先遣隊はどうした!?」
「……地獄へ、送った」
「……化け物がぁ! 殺せ、一斉に叩け!!」
生き残った工作員たちが、組織的な連携で無数の攻撃魔法を放ちながら肉薄してくる。
襲い来る火球と風刃。ゼクスはそれらを精密な魔力操作で相殺しながら、無数の『アース・ニードル』をカウンターで放つ。
だが、敵は精鋭だった。どれ一つ当たらず、最小限の動きで回避される。村の自警団とは比較にならない、殺しのプロの動きだ。
仕方がない。出し惜しみは死に直結する。
「ウィンド・センス」
空間を流れる風の揺らぎから、敵の軌道を三次元的に把握する。最小の動きで躱しながら、肉薄してきた敵を一人、また一人と確実に急所を撃ち抜いていく。
「まさかこれほどまでとは⋯⋯」
指揮官と思しき男が、苛立ちと共に特大の『ファイアボール』を放つ。
避けるのは容易い。だが、避ければ背後の『ストーン・ウォール』に直撃し、守っている村人たちが狙われる危険がある。
「アクア・ヴォルテックス!」
ゼクスは大量の水を渦巻かせて火球を飲み込み、一気に水蒸気爆発させて熱量を無効化した。
凄まじい白煙が戦場を覆い尽くし、視界がゼロになる。
「ライトニング・レイヴ!」
充満した水蒸気に高圧の魔力を流し込み、網目状の電撃を空間全体に張り巡らせる。逃げ場のない電気の檻。
だが、指揮官の男だけは、それすらも瞬時に自ら土の壁を生成して絶縁し、回避していた。
この男、相当な手練れなのかもしれない。
ストーン・ニードルの激しい撃ち合いが続く。
ゼクスの魔力は、すでに枯渇のレッドラインを超えていた。意識が遠のき、心臓が爆音を立てる。
「ははは! ずいぶん苦しそうじゃないか! もう諦めたらどうだ? お前はこの俺とここまでやり合えたんだ、地獄で誇るがいい!」
男の挑発が響く。
こうなったら、残った全魔力を一瞬の『四倍』に賭けるしかない。
ドクン。
ゼクスの姿が再びかき消えた。
次の瞬間、勝ち誇っていた指揮官の胸の中央に、巨大な空洞が穿たれていた。ゼクスの拳が、防具も骨も無視して、その背後まで突き抜けたのだ。
「……はぁ……、あ……」
最後の一人が物言わぬ死体となって崩れ落ちるのを確認し、ゼクスの膝が折れた。
フィジカルアップが解け、真っ赤に染まった地面に、ゆっくりと、力なく倒れ込んでいく。
「ゼクス!!」
駆け寄ってくるバルトロとハンスの叫び声が、遠い世界の出来事のように聞こえた。
薄れゆく視界の端で、セシルが泣きながらこちらを見ているのが見えた気がした。
(……ああ。また、セシルに……迷惑をかける……)
そう思ったのを最後に、ゼクスの意識は深い闇へと沈んだ。
第7話をお読みいただきありがとうございます。
全力全開、リミッター四倍での死闘。
ゼクスは村を救い切りましたが、その代償はあまりにも大きく、再び深い眠りへと落ちてしまいました。
血まみれで倒れたゼクスを前に、魔力を絞り尽くしたセシルは何を思うのか。
九歳のあの日の記憶が、より濃く、より歪な形となって彼女を支配し始めます。
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