「ありがとう、美月!」──思わず剥がれ落ちた仮面と、それを許さない幼馴染の視線。
「……ありがとう、美月!」
演練場で始まった魔術の指導。
ゼクスはあえて事務的に突き放そうとするが、美月が提案した「あっちの世界の物理法則」──研磨材を混ぜるというアイデアに、二人の時間はかつての「涼翔と美月」へと巻き戻る。
無邪気に笑い合い、二人だけの共通言語で通じ合う領域。
しかし、その熱狂を背後から突き刺したのは、セシルの底冷えする視線だった。
「楽しそうね。私には分からない話で……」
食事を終え、再び足を踏み入れた演練場。
陽光は依然として明るいが、ゼクスと美月の間に流れる空気は、ひどく張り詰め、それでいて冷え切っていた。
「……さて。美月様、魔術の指導を始めましょう」
ゼクスはあえて突き放すように、事務的に口を開いた。あんな言い合いをした直後だ。優しく声をかける勇気も、向き合う資格も今の自分にはない。けれど、彼が彼女に与えられる唯一の誠実は、この残酷な世界で生き抜くための「力」を授けることだけだった。
「はい……。お願いします、ゼクスさん」
美月もまた、消え入りそうな声で答える。
「まず、大前提として覚えておいてください。この世界には、元いた世界の『物理法則』も適用される。水は電気を通し、圧力は物を砕く。……魔術をただの奇跡としてではなく、明確な『現象』として制御してください」
ゼクスは右手をかざし、不純物を排した『純水』を生成すると、そこに自ら雷を放って見せた。水壁を通り抜けることなく、電撃が表面で霧散する。
「不純物を取り除いた水は絶縁体へと変わる。……イメージできますか?」
「不純物を、取り除く……」
美月は震える手で術を展開した。かつての理科の授業を思い出すような感覚。彼女は衝撃を受けていた。
(……なんてバカだったんだろう、私。この世界の『魔術』にばかり気を取られて、あっちの世界の当たり前を組み込むなんて、考えもしなかった……!)
美月はそれを、驚くほど簡単にやってのけた。
(……ズルい。あんなに簡単に。私は、スーちゃんに追いつきたくてあんなに苦労して覚えたのに。やっぱり、あの二人は『あっちの世界』の人なんだ……)
少し離れた場所で見ていたセシルの瞳に、暗い影が落ちる。
続くアクアプレッシャーの演習。ゼクスが生成した強固なコンクリート壁を、美月は最初こそ戸惑ったが、すぐにその本質を理解し、彼女の放つ水の弾が難なく貫通するようになった。
その時、美月の中で停滞していた思考が、かつてない速度で回転し始める。
「……じゃあ、ゼクスさん。これならどうですか?」
美月は前方に新たな水の刃を生成する。
「そこに土属性の細かい砂を混ぜて高速回転させるの。あっちの世界の……『研磨剤』を入れたカッターみたいに!」
ゼクスの瞳が、わずかに見開かれた。
「……っ、研磨材を混ぜるのか。……いける。それなら、今の壁どころか、分厚い城壁すら一瞬で切れるぞ!」
「やってみるね!」
美月が気合と共に魔力を練る。その表情には、さきほどまでの絶望は消え、かつて二人でテスト勉強をしていた時のような、無邪気な熱が宿っていた。
「まだまだ魔術の制御が甘いぞ!」
「わかってるってば! 涼……っ、ゼクスさんこそ、ちゃんと見てて!」
一瞬だけ、二人の間に流れる空気が「かつて」のものに戻る。うまくできない美月に本当にできるのか、試したくなるゼクス。
「ちょっと俺もやってみていいか?」
ゼクスは美月のアイデアをなぞるように魔術を発動した。激しい回転音と共に、コンクリートが豆腐のように両断される。
「これはすごいアイデアだ! ありがとう、美月!」
興奮のあまり、ゼクスはいつの間にか鉄の仮面を脱ぎ捨て、かつてのように彼女を呼び捨てにして、最高の笑顔を向けた。
だが、その熱狂的な「共通言語」の領域を、背後から突き刺すような冷たい視線が貫いた。
「……楽しそうね。私には分からない話で、二人だけで盛り上がって……」
(私の知らない笑顔。私の知らない言葉。二人だけで通じ合っているその場所が、死ぬほど嫌。壊してしまいたい)
いつの間にか歩み寄っていたセシルが、ゼクスの腕に自分の細い腕を絡ませる。指先は、独占を誇示するようにゼクスの服を強く掴んでいた。
「……スーちゃん。熱心なのはいいけど、美月様が疲れちゃうんじゃない?」
鈴を転がすような、けれど底冷えする声。セシルはゼクスの肩にコテリと頭を預け、勝ち誇ったような笑みを美月に向けた。
「ねえ、美月様? スーちゃん、教えるの熱心でしょう? 私にも、こうやって二人きりで、夜遅くまで一生懸命教えてくれるのよ」
瞬間、美月の顔から先程までの興奮が醒めていった。
共有している「知識」は自分たちだけのもの。けれど、その知識を授けている男の「時間」も「体温」も、今はもう、目の前の少女のものなのだと思い知らされる。
ゼクスはハッとしたように表情を消し、絡みつくセシルの腕を振り払うこともできず、ただ少し、奥歯を噛み締めた。
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