「私が悪いっていうの!?」──孤独に耐えた一年と、血を吐くような努力の衝突。
「……今の俺が愛しているのはセシルなんだ。ごめん」
庭園の静寂を切り裂いたのは、ゼクスの冷徹な「拒絶」だった。
自分が「涼翔」だと見破られ、必死に縋り付く美月に対し、彼はあえてセシルの名を出し、最愛の人の心を地獄の底へと突き落とす。
互いに抱えていた孤独、苦悩、そして拭い去れない「恨み」。
「婚約したのは仕方のないことだった」と叫ぶ美月と、「祝福の言葉を送った俺の気持ちがわかるか」と返すゼクス。
正論という名の刃で傷つけ合い、無惨に砕け散った愛の残骸。
泣きじゃくる美月を冷たく見下ろすゼクスの背後で、特等席の鑑賞を終えた「共犯者たち」が静かに姿を現す──。
模擬戦の余韻が冷めやらぬ中、国王は満足げに身を乗り出した。
「実に見事であった、セシル。そしてキュラムよ、あのような顔をするお前を見るのは初めてだ。……よし、約束通りセシルの能力は折り紙付きだ。学院へは全講義への出席も免除するよう、私から通達しておこう。存分にその才を我が国の為に役立てるが良い」
王の宣言に、セシルは深く頭を下げた。その長い睫毛に隠された瞳が、歓喜に濡れる。
(……これで、スーちゃんと離れていなければならない時間は、この世から消えた)
「さて、素晴らしいものを見せてもらった礼だ。ぜひ昼食を共にしよう。小食堂へ案内させよう。それまで少し時間がある、庭園でも散歩してくると良い。学友同士、案内してやれ、エドワード」
「承知いたしました、父上。……行きましょうか、皆さん」
エドワードの先導で一行が足を踏み入れたのは、王城が誇る広大な庭園だった。
陽光を浴びて輝く噴水と、手入れの行き届いた色とりどりの花々。しかし、歩く四人の間に流れる空気は、それとは対照的に重く、歪んでいた。
「……あ、あの、エドワード様」
ふと、セシルが心細げな声を出し、隣を歩くエドワードの袖を引いた。
「……お手洗いに行きたくなってしまったのですが、少し広いので迷ってしまいそうで。……教えていただけますか?」
エドワードが答えるよりも早く、セシルはその小さな手でエドワードの手をぎゅっと握りしめた。
その指先の力が、まるで「余計なことを言ったら、どうなるか分かっているわね?」と王子を脅迫しているかのように鋭く食い込む。
「さあ、行きましょう?」
その瞬間、ゼクスの眉間に深い皺が寄った。
「……セシル。何も手を繋ぐ必要はないだろう。案内なら、そこにいる従者に頼めば済む話じゃないか?」
無意識のうちに険しくなったゼクスの声。自分でも制御できない独占欲が、言葉の端々に滲み出る。
(……なんであいつの手を握るんだ。トイレなんて、そこらのメイドに聞けばいいだろう)
一方、その様子を横で見ていた美月は、胸がズキリと痛むのを感じた。
(涼翔……。セシルさんのこと、そんなに……。それにエドワード様も、どうしてああ言われて手を離さないの?)
涼翔の想いが今は別の少女に注がれている。そして、自分に執着していたはずのエドワードまでが、セシルの誘導に易々と乗っている。その事実に、美月の心はぐちゃぐちゃになっていく。
「おや、ゼクス。美月も。……ふふ、ヤキモチかな?」
エドワードは一瞬困惑したように目を丸くしたが、すぐさま隣に立つセシルの瞳を見た。
そこには、先ほどの模擬戦の後に見せたあの冷酷な笑みの残滓――「策がある」と告げるような狡猾な光が宿っている。
(なるほど。……猛獣の誘いだ。乗らない手はないな。美月の為にも、ここは一度二人きりにさせるべき、か……)
「構わないよ、ゼクス。客人である彼女に恥をかかせるわけにはいかない。……行こうか、セシルくん」
エドワードは従者たちを視線で制し、セシルと共にその場を離れた。
残されたゼクスと美月は、遠ざかっていく二人の背中を無言で見送るしかなかった。エドワードの背中に寄り添うように歩くセシルの後ろ姿は、どこか勝ち誇っているようにも見える。
静寂が、庭園の喧騒を消し去る。
美月は震える拳を握りしめ、意を決したように、隣に立つ「最愛の人」の手を引いた。
「……ねぇ、あのとき。どうして『美月のことが何よりも大事だから』なんて言ったの?」
その声は、今にも泣き出しそうなほどに震えている。
「あなたが涼翔なのはもうわかってるの。 私がエドワード様と婚約してたから……だから、あんな『父親だ』なんて嘘ついて、私の幸せを守ろうとしたんでしょ?」
必死の形相で問い詰める美月の瞳。ゼクスは咄嗟に答えられなかった。
視線を逸らそうとするゼクスの脳裏に、かつてセシルに釘を刺された言葉が不吉な呪文のように響く。――右下を見るな。
「わかってるよ。涼翔が考えてること。エドワード様と婚約した私があなたのもとへ行ったら、私はきっと、大変なことになる」
悲痛な覚悟を瞳に宿した美月が、声を振り絞る。
「私はそれでも、あなたと一緒にいたい。どうなったっていい。涼翔といられることが、私にとって何よりも幸せなの……そんなの頼んでない……!」
その瞳には聖女としての輝きではなく、一人の男を想い、たとえ破滅が待っていようとも身を滅ぼすことさえ厭わない女の、暗く、情熱的な炎が灯っていた。
「美月……」
縋り付く美月の細い肩を見つめる。
記憶にある香りと、耳に馴染んだ「涼翔」と呼ぶ声。胸が締め付けられるような罪悪感が、ゼクスの心を激しく揺さぶる。
「やっと、昔みたいに呼んでくれた……」
美月が潤んだ瞳で縋り付く。今なら二人きりだ。本当のことを告げ、この震える細い体を壊れるほど抱きしめたい――。そんな強烈な衝動が理性を焼き切ろうとする。
けれど、ゼクスは美月の手を優しく、拒絶するように、明確な意志を持って引き剥がした。
「え……」
(この世界で生きていかなくちゃいけないなら……これが、君にとって唯一の、正しい幸せなんだ……)
「今の俺が愛しているのはセシルなんだ。ごめん……」
その言葉は、ゼクスなりの最大限の愛。けれど、美月にとっては、地獄の底で唯一縋り付いた蜘蛛の糸を、最愛の人に自ら焼き切られるような絶望だった。突き放された衝撃に、美月の瞳から一滴の涙が零れ、陽光に透けて無惨に砕け散る。
「嘘よ! じゃあ、どうしてあの時……!」
「それは……簡単に美月のことを忘れられる訳ないだろう……!」
「じゃあ、今からでも……私はあなたと生きたい。 一緒に、いたいの……」
「……っ!」
(俺だって一緒にいたい。けれど、もう世界がそれを許さないんだ……!)
喉元まで出かけた叫びを、ドロリとした負の感情が塗り潰す。
(……そして、俺が血の滲むような努力をしていたのに、たった一年で、あいつの手を取ったお前が許せない。幸せそうにあの男に微笑みかけていたお前が、俺にはどうしても許せないんだ)
「美月が、エドワード王子の手を取ったときに俺達は終わったんだ。俺がどんな思いで祝福の言葉を送ったのか、美月にわかるわけないだろ!」
「……っ!」
絶句する美月。けれど、彼女の心にもまた、この一年間の孤独と苦悩が渦巻いていた。
(仕方なかったの。異世界に一人きり。きっと涼翔にはもう会えないと思って、真っ暗な絶望の中にいた私を庇い続けてくれたあの人を好きになるのは、仕方のないことだったんだ……!)
「私が悪いっていうの!? あなたこそ、なりふりかまわずにずっと探してくれたらよかったんじゃないの!?」
「……っ!」
(その通りだ。女神の言葉を鵜呑みにせず、もっと自力で、必死に探していれば、婚約する前に見つけられたはずだ)
己の落ち度を突かれ、正論に射抜かれたことで、ゼクスの心の中に稚拙な防衛本能が渦を巻く。
「とにかく、今の俺が愛してるのはセシルだ。だから、お前はエドワード王子と幸せになればいい」
冷徹な仮面を被り、自分自身に言い聞かせるように、美月を突き放す。自分の心も血を流していることに気づかないふりをしながら。
「酷い……酷いよ……涼翔……あんまりだよ……」
その場で力なく膝をつき、嗚咽を漏らして泣きじゃくる美月。その細い背中を、ゼクスはただ無機質な瞳で見つめ続けた。最愛の人をボロボロに泣かせた彼もまた、内側では血を吐くような思いで泣いていた。
だが、その背後――
二人の剥き出しの絶望と、無惨に砕け散った愛の残骸を、特等席で「鑑賞」しながら静かに近づいてくるセシルとエドワードに、二人はまだ気づいていなかった。
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