握手を無視し、ただ一人へ。セシルが突きつける「スーちゃん以外は不要」という宣告。
「……私の勝ちですね!」
演練場に響く、冷たくもあどけない勝利の宣言。
王国最強の一角、魔術師団長キュラムを音もなく追い詰めたのは、ゼクスの傍らに寄り添う少女・セシルだった。
その刹那。
視界を埋め尽くす濃霧の中、セシルは流れるような動作で複数の術式を同時展開した。
『ミラージュドッペル』。
『アクアダミー』。
そして自身の音を完全に断つ『サイレントベール』と、姿を背景へと同化させる『アクアカモフラージュ』。
「……くっ、小細工を! 『ミスト・コンデンセーション』!」
キュラムが力技で周囲の水分を雨へと変え、強引に霧を晴らした。だが、視界が開けた先に彼が目にしたのは、寒気を覚えるほどの絶望的な光景だった。
「……嘘だろ?」
そこには、無数のセシルが立っていた。
どれが本物で、どれが偽物か。あるいはすべてが偽物なのか。水と光の屈折が生み出した完璧な分身たちが、音もなくキュラムを包囲していた。
キュラムは冷や汗を流しながら、鋭い視線で「違和感」を探す。
(……いた! 一体だけ、揺らぎが違う!)
直感に従い、彼はその一体に向けて最大出力の岩棘を放った。
「――『アースニードル』!」
放たれた棘が、セシルの体を無残に貫く。
予想外にそのまま貫かれた光景に、演練場のあちこちから悲鳴が上がった。
しかし、貫かれた「それ」からは血の一滴も流れず、ただ激しい水飛沫だけが舞い、霧散していく。
「――残念。それは、ただの『アクアダミー』ですよ」
背後から響いた、鈴を転がすような冷たい声。
キュラムが振り返るよりも早く、いつの間にか背後に現れていたセシルが、氷で形成された鋭いナイフを彼の頸動脈へ突き立てていた。
「……なっ……いつの間に……」
「私の勝ちですね!」
そこには、さきほどまでの冷徹さが嘘のような、あどけない笑顔の少女が立っていた。頸動脈を捉える指先は一切の迷いもなく、ただ勝利の喜びに頬を染めている。その純粋すぎる笑顔こそが、この場にいる誰よりも彼女が「狂っている」ことの、何よりの証明だった。
演練場は、水を打ったような静寂に包まれた。
王国最強の一角である師団長が、動けぬまま「死」を突きつけられている。
「……そこまで!」
国王の震える声が響き渡り、ようやく模擬戦の終わりが告げられた。
その瞬間、セシルはナイフを霧散させ、キュラムが健闘を称えようと差し出した手には目もくれず、ゼクスの元へ一直線に駆けていった。
「スーちゃん! やったよ! これでもっと、ずっと一緒にいられるね!」
ゼクスの胸に嬉しそうに飛び込むセシル。ゼクスはそんな彼女を「よくやったな」と静かに受け止め、その頭を優しく撫でた。
傍から見れば、それはただ愛に飢えた一人の少女が、最愛の者に甘えているだけの微笑ましい光景だった。だが、ゼクスの肩越しに美月へと向けられた視線だけは、冷酷な刃の輝きを失っていない。
「ははは! どこまで好き合っているんだ、あの二人は!」
握手を求めたまま空を切ったキュラムの手と、抱き合う二人を交互に見ながら、国王は豪快に笑い飛ばした。
ゼクスの腕の中、セシルは彼の首に手を回し、至福の表情のまま近くにいる美月を見据えた。
その瞳に浮かんでいるのは、勝利を確信した女の、冷酷なまでの微笑み。
(……ねえ、美月様。ちゃんと見てる? スーちゃんの隣は、私の席なの。絶対に、譲らない)
「……っ!」
その視線と正面からぶつかった美月は、心臓を直接掴まれたかのように震え上がった。
涼翔が自分以外の女を抱き寄せ、あの優しい手で自分ではない女の頭を撫でている。その幸せな光景の裏側で、その女が自分にだけ「死」の宣告を突きつけている。自分に向けられるはずだった「居場所」が、今は他者の手によって完璧に防衛され、侵入を許さない要塞へと変わっていた。
そしてその隣で、エドワードもまた、セシルのその「顔」をはっきりと目撃していた。
(……なんて凄まじい。セシルくん、君は……)
エドワードは、隣で顔を真っ青にしている美月を横目で見やり、苦々しい笑みを浮かべた。
(君こそが最高の『檻』だと思っていたが……どうやら、猛獣を野に放ってしまったらしいな。美月の心は、もうボロボロだろう)
エドワードにとっても、それは想定外の光景だった。けれど、これ以上ない好都合でもあった。
見せつけられた圧倒的な実力差と、揺るぎない親愛の絆。
美月の視界は、どろりとした嫉妬と絶望で歪んでいく。
(けど、けど……! 私が本当のことに気づいたこと、地獄に落ちてでもあなたと一緒にいたいという決意を伝えれば、きっと涼翔も……!)
震える唇を噛み締め、美月は自らの胸の奥で、毒のように甘い覚悟を飲み下した。
たとえこの世界すべてがセシルの味方をしても。聖女としての居場所を奪われようとも。涼翔という「半身」を取り戻すためなら、彼女もまた、魔女に堕ちる準備はできていた。
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