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「私のことも好きってことだよね?」逃げ場を奪う蜜の毒

「……セシル。セシルはそれでいいのか?」

 

 夕暮れの丘。かつて美月への想いを語ったその場所で、ゼクスは自らの醜悪な独占欲に絶望する。

 セシルが他の男の隣に立つ。その想像だけで視界が赤く染まる自分は、なんて最低な男なのだと。

 

 だが、その自責こそがセシルの狙いだった。

 

 ゼクスがついた「嘘」の綻びを埋める代償として、彼女が求めたのは「愛の共犯者」になること。

 美月を救い出すための手段として、ゼクスはセシルの献身を、そして彼女の「独占」を、感謝と共に受け入れてしまう。

 

 沈む夕陽が二人の影を一つに溶かす。

 それは希望への第一歩ではなく、二度と光の下へは戻れぬ、底知れぬ深淵への階段だった──。

 夕暮れの丘。

 かつて王都へ発つ前、ゼクスがセシルに美月への想いを打ち明けた、あの場所。

 再び魔銀草の採取を頼まれ、二人は静かな丘の上から夕暮れを眺めていた。


「ついこの間のことなのに、なんだか懐かしいね、スーちゃん」

「そうだな。あの時は急にシャドウ·ハウンドに襲われて……」

 ゼクスは、あの時の怒りと、初めて指先に残った生々しい感触を思い出した。だが、後悔はない。皆を守るため。そして、すべては世界を救えば美月に会えると信じていたからだ。


「あの時のスーちゃん、本当にかっこよかったなぁ。……もちろん、九歳の時からずっと、私にとっては世界で一番かっこいい王子様だけど」

 セシルの瞳が、夕陽を反射して潤む。射抜くような視線がゼクスを捉えた。

「みんなの英雄で、私の大好きな人……。けど、本当は私の気持ちを知っているのに、答えを曖昧にして私を縛り付ける、ズルい人」


「え……?」

 予期せぬ言葉に、ゼクスは言葉を失う。


「だってそうでしょ? 美月様を想い続けながら、私の献身を当たり前のように受け入れて。……ねえ、もし私が報われない悲しさに耐えかねて、美月様みたいに他の男の人に縋っちゃってもいいの? 誰かと腕を組んで、楽しそうに歩いて――」


「……っ、それはダメだ!」

 ゼクスの叫びは、自分でも驚くほど鋭かった。

 セシルが自分以外の男の隣で笑う。自分だけに向けられていたはずの愛くるしい笑顔が、他の誰かに移る。

 ――想像しただけで、視界が真っ赤に染まるほど、耐え難かった。


 その瞬間、ゼクスは自身の醜悪さに気づき、絶望した。

(俺は……美月が好きだ。今でもあいつを想っている。なのに、セシルが誰かのものになるのも許せないなんて。俺は、なんて最低な男なんだ……)


 自責の念で崩れ落ちそうになる彼の肩に、セシルがそっと手を回す。その指先は驚くほど冷たく、そして甘やかに首筋を撫でた。まるで見えない首輪の鎖を、優しく確かめるかのように。


「ほら、やっぱり。スーちゃんはズルい人だよ……?」

 セシルはゼクスの胸元に顔を埋め、唇の端を密かに吊り上げた。

「それって、私のことも『好き』ってことだよね……? スーちゃんが美月様を諦めた今なら、私は期待してもいいんだよね?」


「それは……」

 言い淀むゼクスの耳元で、セシルは囁くように声を湿らせる。


「やっぱり、美月様がいいんだ……。ごめんなさい、パパとの会話、聞こえちゃったの。ずっと探していた相手だもんね、一緒に帰りたくなっちゃうよね」

 セシルの表情が、目に見えて絶望に染まっていく。

「本当は、あんな酷い嘘(=涼翔の父だと名乗ること)をついてまで美月様を突き放した時、スーちゃんの『再会』という願いは終わったと思ってた」


 潤んだ瞳から、大粒の涙が零れ落ちながらセシルは言葉を続ける。

「だから、もう王都になんて行かないで、私と一緒にこの村で暮らそうって……そうお願いしたかった。私なら、スーちゃんを絶対に一人にしないのに」

「セシル……」

「なのに、なのに! パパのバカ……!」


 子供のように泣きじゃくるセシルに、ゼクスは胸を締め付けられた。

「ごめん、セシル。俺は本当に最低だ……。けど、少しでも可能性があるなら、美月を連れて帰りたいって、思って……る」


 セシルは俯いたまま、しばらく泣き続けた。


「……いいよ、スーちゃん」

 不意に、セシルが泣き止み、その声には、冷徹なまでの決意が混じっていた。それはあの日、美月を探すのを手伝うと言ってくれたときのような瞳だった。

「そのために王都へ戻るというなら、私は応援する。それがスーちゃんのずっと願っていたことだもんね」


「セシル……いいのか?」

 救われたような思いで顔を上げるゼクス。だが、セシルの次の言葉が、その希望を甘い毒で塗り潰した。


「うん。……でもね、美月様には、エドワード様の隣にいてもらったままのほうがいいと思うの。もし帰れなかったら大変なことになるから⋯⋯元々、スーちゃんは『不義の聖女』として蔑まれるより、『王妃』として生きたほうが幸せだって思って、あんな酷い嘘をついたんだよね⋯? 」

「ああ⋯⋯」


 ゼクスの胸に、鋭い痛みが走る。

(そうだ。あいつを帰す日までは……俺は『涼翔の父』という仮面を、絶対に剥いではいけないんだ)


「その……あの嘘なんだけど、バレてたよ?」

「え⋯⋯?」

 そんなはずはない。俺は完璧に嘘をついたはずだ⋯。

「美月様を救けたとき、スーちゃんは美月様に何を言ったの?せっかく頑張ってあんな酷い嘘ついたのに、すぐバレるなんてバカなの?」

 また、あの時のように、愚かな教え子を見るような目をしながらセシルが言う。

(……!? 夢の中で言っただけじゃ、なかったのか……?)

 ゼクスの背中に冷や汗が流れる。無意識のうちに口走った言葉が、致命的な綻びを生んでいた。

「私、美月様に問い詰められて大変だったんだから!あの時は、スーちゃんがどんな手を使ってでも美月様の幸せを願ってるのわかってたから、必死にどうしたらいいか考えて⋯⋯」

「ごめん。俺のせいで⋯。それで、どうしたんだ?」

 セシルは少しだけ頬を染め、恥ずかしそうに視線を逸らした。

「思いついたのが……スーちゃんが、私を一番愛してるから、そんな嘘をついたって……。それしかなくて、そう言っちゃった。それで、目の前でスーちゃんにスープを飲ませてあげて、いつもしてるからって……」

「……っ」

 ゼクスの喉が鳴る。セシルの献身を、自分の愛の証明として利用した。その欺瞞を、彼女は自分のために「真実」として塗り替えてくれたのだ。


「だから、この嘘……美月様のためにも、一緒についてね? 元はといえばスーちゃんがバカだったからなんだからね?」

「……ああ。そうだな。ありがとう、セシル」

「それに⋯⋯元の世界に戻ってから、本当のことを言えば、きっと美月様もわかってくれるよ」

「そう、だな⋯」

 ゼクスは、自分を救うために嘘を重ねてくれたセシルに、深い感謝と申し訳なさを抱いていた。



 帰り道、セシルがゼクスの腕に、いつものように自分の腕を絡める。

「王都に戻っても、彼女の隣にはエドワード様がいる。……スーちゃんの隣には、私がいる。それが美月様にとっても、みんなにとっても幸せな形なんだから。ね?」


 「けど、俺にとって都合のいいことばかりで……セシル。セシルはそれでいいのか?」


 悲痛な表情で問いかけるゼクスの横で、セシルは影を潜めた笑みを浮かべた。

(……ええ、それでいいのよ、スーちゃん。ずっと嘘をついて、ずっと美月様に憎まれていればいい。スーちゃんが美月様に向けた『愛ゆえの突き放し』が、そのまま私との『愛ゆえの共犯』になるんだから)


「いいよ。私はスーちゃんの隣にいられれば幸せ。それに私にとっても役得だよ? 大好きなスーちゃんと、こうやってイチャイチャできるんだもん。いつかスーちゃんが『やっぱりセシルがいい!』って心変わりしてくれるかもしれないしね!」

 絡めた腕に頬ずりしながら、彼女は囁く。その声は蜜のように甘く、けれどゼクスの自由を奪う粘着質な熱を帯びていた。

「でもね……帰る方法を探すのは手伝うけど、本当は見つからなかったらいいのに、とも思っちゃう。私、悪い女の子でしょ? でも、それぐらいは許してね。だって見つからなかった時は、スーちゃんは一生私のものになるんだもん。私、その可能性があるだけで十分幸せだから……」


「ごめん、セシル。こんな酷い俺に、ここまでしてくれて……ありがとう」

 ゼクスは、熱に浮かされたようにセシルを抱きしめた。セシルの腕が、彼の背中に回される。それは救済の抱擁などではない。二度と光の下へ戻れぬよう、深淵の底へと引きずり込むための、柔らかくも強固な「愛という名のかせ」だった。

 


 夕闇が二人の影を一つに溶かしていく。それは救済の光ではなく、底知れぬ深淵へと続く階段の始まり。

 目の前の献身的な少女を「利用」してもいいという免罪符を得て、自分の最低さを自覚しながらも、その歪んだ甘い共犯関係に溺れていくゼクスは気づかない。

 美月を想ってついた「嘘」が、セシルによって「美月を絶望させるための毒」に加工され、今まさに自分の手で愛する人を刺し続けていることに。

 背後で、燃えるような夕陽が最後の一筋を残して沈んだ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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