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誰にも邪魔させない。動かぬ英雄を「宝物」に変える、セシルの暗い歓喜。

「……それは名案だ、セシルくん」

 

 朝日の下、野営地に響くエドワード王子の爽やかな声。

 それは魔力枯渇で眠り続けるゼクスを、美月の手の届かない場所へと隔離する「死刑宣告」でもあった。

 

 故郷ベルンシュタイン村での静養。

 「介護」という名の支配を望むセシルと、政治的隔離を企むエドワードの利害が一致し、ゼクスは運ばれていく。

 

 聖女の務め、王妃としての責任。

 重い鎖で日向の世界に繋ぎ止められた美月は、遠ざかるゼクスの背中に、静かな復讐と奪還を誓う──。

 翌朝。野営地の空気は、昨夜の惨劇を生き延びた安堵感よりも、重苦しく淀んだ沈黙に支配されていた。

 昇り始めた朝日は無情にも明るく、破壊し尽くされた森の無惨な姿を照らし出している。


 エドワードは、ゼクスのテントの前に立っていた。その背後には、一睡もできずに目を腫らした美月と、魔術師団副長として鋭い視線を周囲に走らせるエレノアが控えている。

 テントの中では、魔力を使い果たし、死人のように眠り続けるゼクス。そして、その傍らを片時も離れず、濡れタオルで彼の額を拭い続けるセシルの姿があった。


「……ゼクスの容態はどうだ?」


 エドワードの声が響く。それは救国の英雄に向ける労いではなく、得体の知れない「力」を秘めた異物を検分するような、冷徹な響きを帯びていた。セシルはその声に含まれた微かなトゲを敏感に感じ取り、ゼクスの手を握る力を強める。


「魔力枯渇が、あまりに激しくて……。エドワード様、お願いがあります。彼を、近くにある私達の故郷……『ベルンシュタイン村』へ連れて帰ってもよろしいでしょうか?」


 セシルは、震える声で、だが真っ直ぐに王子を見据えた。


「このまま王都へ運ぶより……静かな村で、私に『お世話』をさせてください。責任を持って、彼が目覚めるまで、私が……」


 ベルンシュタイン村。それはゼクスにとっても、かつて穏やかな日々を過ごした懐かしい場所だ。

 だが、セシルの真意はそこにはない。王都という喧騒から、「聖女」という光から彼を連れ出し、誰の目も届かない場所で、彼を完全に自分の管理下に置こうという、粘りつくような独占欲。その瞳の奥には、村の静寂を借りて、彼を永遠に自分だけの「動かぬ宝物」に仕立て上げようとする暗い光が宿っていた。


 美月が何かを言おうと、唇を激しく震わせた。一歩、ゼクスの元へ踏み出そうとしたその瞬間――。

 それを遮ったのは、エドワードの爽やかな、それでいて芯まで凍てつくような温度のない声だった。


「それは名案だ、セシルくん。英雄の静養には、勝手知ったる故郷が一番だろう。……エレノア。君にゼクスとセシルくんの護衛についてもらっても構わないだろうか? 団員総出で村へ滞在するには、食糧事情も厳しい。我らは負傷兵と団を率いて先に王都へ帰還し、父上(国王陛下)に事態の報告をする必要もある」


「私も! 私も護衛に……」


 美月が縋り付くように叫ぶ。だが、エドワードは彼女に視線を向けることさえしなかった。


「……却下だ、美月。君が今すべきなのは、ボロボロになった少年の枕元に侍ることではない」


 エドワードは静かに、だが抗いようのない威圧感を持って告げる。


「昨夜、あんな手練れの帝国軍を一度に葬ったんだ。敵も相当な痛手を負っているはず。私の読みでは、当分、襲撃など来はしないだろう。……今の君に優先すべきは、王都へ戻り、国民に無事を知らせ、王妃としての務めを果たす準備をすることだ」


 それは、慈愛に満ちた婚約者のアドバイスを装った、残酷な「宣告」だった。


「魔力枯渇だけなら、わざわざ村で静養しなくても……!」


 食い下がる美月の肩を、エドワードの手が優しく、慈しむような暖かさで抱き寄せた。かつて、彼女が故郷を想って涙した時に寄り添ってくれた、あの時と同じ「聖王子の掌」だ。


「……気持ちは分かるよ、美月。君を救ってくれたんだ。それに、君がかつて語ってくれた『大切な人』。彼がその父なら、君が放っておけないのは当然だ」


 エドワードは、心から案じるような、悲しげな微笑みを美月に向けた。

 それは、どこまでも美月を想っての「愛の言葉」。


「彼には静養もしてほしい。そして、故郷でセシルくんやエレノア殿が責任を持って守ってくれる。……それとも、君は彼らの献身を信じられないのかい? ……そんなはずはないだろう?」


「そ、れは……」


 美月は言葉を失った。エドワードの言葉は、一点の曇りもない正論であり、優しさに満ちている。ここで反論することは、誠意を疑い、自分一人のわがままで王子の慈愛を踏みにじることを意味する。

「そう、ですね⋯⋯」

美月は静かに頷いた。


──結局、私は⋯⋯


「……分かってくれて嬉しいよ。さあ、行こう。君は王都で、聖女として、そして私の婚約者として、皆にその元気な姿を見せなければならない。……それが、君がすべきこの国の民への、一番の報いなんだから」


 エドワードは美月の肩を抱いたまま、ゆっくりと歩き出す。

 拒絶する正当な理由など、どこにもない。

 彼はただ、どこまでも「善き婚約者」として、彼女を日向の世界へと引き戻そうとしているだけなのだ。

 ガタガタと音を立てて動き出す、一台の荷馬車。

 美月はただ、静かな村へと運ばれていくゼクスの後ろ姿を、遠ざかる視界の中で見送るしかなかった。

(涼翔。王都へ帰って来たら、二人きりで本当の事を聞かせてもらうから……今度は、絶対に逃がさない)


 彼女の瞳に宿ったのは、聖女としての慈愛ではなく、奪われたものを取り戻そうとする一人の女の、熾烈な決意だった。


 ――ベルンシュタイン村。

 かつて愛した少年の、記憶の欠片が眠る場所。

 献身的に、そして狂おしいほどの執着を持って彼に触れ続けるセシル。

 

 平和への帰還を装ったその隔離の裏側で。

 暗い森の向こう側からは、死に物狂いの帝国の影が、音もなく、着実に忍び寄っていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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