逃げ出した美月と、暗闇で微笑む勝利者。英雄の枕元で繰り広げられた、残酷すぎる愛の幕引き。
「……あら。……困ったな、スーちゃん……しちゃったみたい」
それは、聖女への「死刑宣告」だった。
意識のないゼクスの唇を奪い、スープを流し込むセシル。
美月の目の前で繰り広げられる、介護という名の生々しい支配。
かつての「涼翔」を求める美月の願いは、ゼクスの「今」をすべて掌握するセシルの現実の前に、脆くも崩れ去る。
自分だけが知る、彼の弱さ。自分だけが見る、彼の無防備な姿。
幼馴染が放つ圧倒的な「マウント」に、美月は己の居場所を失っていく──。
「あっ、スープが冷めちゃう。スーちゃん、ごめんね?」
セシルは美月の目の前で、器のスープを自らの口に含んだ。
「!? セシルさん、何……っ」
驚愕に目を見開く美月の前で、セシルは躊躇なく、ゼクスの血の気のない唇を自分の唇で塞いだ。
今世での、彼のファーストキス。そして、セシルにとっても初めての接吻。それを、本人の意識がないうちに、彼女は「効率的な栄養摂取」という大義名分で、狂おしい執着と共に奪い去った。
「……っ……ん……」
セシルはゼクスの首を優しく支え、自分の舌で彼の口をこじ開けるようにして、スープを喉の奥へと流し込んでいく。意識のないゼクスが、本能的にその熱を求め、ゴクリと喉を鳴らすまで、決して密着を解かない。
何度も、何度も。器が空になるまで繰り返されるその行為は、もはや介護などではなく、執念深い「支配」の儀式だった。
銀の糸を引きながら唇を離したセシルは、呆然自失となった美月を振り返り、心底申し訳なさそうな顔で小首を傾げた。
「あ……ごめんなさい。美月さんの前で、つい、いつものようにしちゃった。スーちゃん、意識がない時はこうしないと、何も飲んでくれないんです。……今はオムツもしてあげないといけないくらい、無防備なんですし」
美月の想いは、完膚なきまでに砕け散っていく。
「あ、もしかしてミヅキ様。エドワード王子とは、まだそういうことも……? 生々しくてごめんなさい」
セシルの瞳の奥にあるのは、勝利の凱歌。
「彼を汚し、守り、支配しているのは私だけ」という、残酷なまでの宣言。
セシルは、言葉を失って震える美月からあえて視線を外すと、慈しむような手つきでゼクスの腰元へ手を伸ばした。
厚手の布――その感触を確かめるように指を滑り込ませた彼女は、何かを察したように困ったような、それでいてひどく甘い溜息をつく。
「……あら。……困ったな、スーちゃん……しちゃったみたい」
美月が「えっ?」と目を見開いた。その言葉の意味を理解しようとした瞬間、セシルはわざとらしく頬を染め、困惑した顔で美月を見つめた。
「あの……美月様。その……交換してあげたいから、今日のところはお引き取り願えるかしら? ほら、スーちゃんも繊細だから……自分の一番無防備なところ、私以外の人に見られたくないでしょうし……」
「私以外の人には見られたくない」。
その一言が、美月の心に「死刑宣告」のように響き渡った。
自分が「涼翔」という正体にたどり着いた喜び。彼が自分を命懸けで助けてくれたことへの期待。そして、美月が何よりも大事だからという言葉。
それら全てが、セシルの言う「いつものようにしちゃった」という圧倒的な現実の前に、あまりに場違いで、不潔な侵入者の妄想であるかのように塗り替えられていく。
(……私は、何も知らない。彼の今の体も、今の生活も、今の弱さも……)
美月の膝が、微かに震える。
目の前のセシルは、排泄の世話すら「愛おしいルーチン」として完璧に掌握している。そこには、私が入り込む隙間など、最初から1ミリも存在しなかったんだと思える。
「……ごめんなさい。……おやすみなさい」
蚊の鳴くような声でそれだけを絞り出すと、美月は逃げるようにテントを飛び出した。
背後でセシルが「おやすみなさい、美月様」と、勝利者の余裕に満ちた声で告げるのが、耳の奥にこびりついて離れなかった。
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