魔力枯渇による深い昏睡。誰にも見せられない姿を掌中に収め、幼馴染は甘く微笑む。
「……真の英雄だ」
王子エドワードに背負われ、野営地へと帰還したゼクス。
その身体の重みは、彼がこれまで背負ってきた「覚悟」そのものだった。
魔力枯渇による深い眠り。
そんな無防備な彼を独占し、世話を焼くのは幼馴染のセシル。
「英雄」としての尊厳さえ奪い、彼を自分の支配下に置こうとするセシルの歪んだ愛。
だが、その二人きりの聖域に、すべてを悟った美月が足を踏み入れる──。
嵐が去った後の森は、もはや森ではなかった。天を衝く銀色の竜巻が荒れ狂った跡には、巨木が一本残らず粉砕され、大地が深く抉れた「死の轍」が数キロにわたって続いていた。土はガラス状に焼け、月明かりを反射して不気味に輝いている。
そこへ、松明の明かりと共にエドワードたちが駆けつけた。
「――美月! 無事か!」
エドワードは、泥と血に汚れながらゼクスを抱きしめる美月のもとへ飛び込んだ。
「……エドワード、様……」
美月は虚ろな瞳で彼を見上げた。その腕の中には、もはや指一本動かさないゼクスの身体がある。
エドワードの視線が、ゼクスの周囲に広がるどす黒い血溜まりと、肩に突き刺さった氷の残骸に止まる。
「……嘘だろ。これほどまでに、私を……美月を救うために……」
高潔な王子は、意識のないゼクスの前に膝をつき、深く頭を垂れた。
「すまない、ゼクス。私が君に、無茶を頼んだばかりに……。君こそが、真の英雄だ」
エドワードは敬意を込め、震える手でゼクスの身体を美月から「取り上げる」ようにして抱え上げた。一国の王子自らが、泥塗れの少年を背負う。それは騎士として、最大級の賛辞であった。だが、その王子の腕でぐったりと力なく揺れるゼクスの腕は、皮肉にも美月が先ほどまで必死に繋ぎ止めていた「涼翔」の温もりを、無残に切り離していくようだった。
(……っ、重いな……!)
抱き上げた瞬間、エドワードの腕に凄まじい重量がかかる。
意識のない身体の「重さ」だけではない。その軽鎧の下に隠された肉体は、岩のように硬く、密度が高い。
(これほどまでに……君は、自分を鍛え上げていたのか。この若さで、どれほどの修練を積めばこれほどの身体になる……!)
エドワードは歯を食いしばり、その重みを「彼が背負ってきた覚悟」として受け止め、一歩ずつ踏みしめるように歩き出した。
帰路、一行は沈黙に包まれていた。
ヴォルフガングは、抉られた大地を見つめ、戦慄を隠せない様子で呟く。
「……これは、英雄という言葉だけでは片付けられまい。もはや魔術の域を超えている。一人で国を滅ぼしかねんほどの……圧倒的な『天災』だ。彼を敵に回すことだけは、何があっても避けねばなるまいな」
その言葉を、美月は俯いたまま聞いていた。
(英雄……? 違う。……あれは、ただ、私を守るためだけに、私を傷つけたあの人達への怒り。……涼翔、貴方なのね?)
確信は、確かな怒りと、それ以上の切なさに変わっていた。
野営地に辿り着くと、そこには魔力枯渇で蒼白になったセシルが、仲間に支えられながら待っていた。
「スーちゃん……っ! スーちゃん!!」
おぶわれて運ばれてくるゼクスの姿を見るなり、セシルはなりふり構わず駆け寄り、彼の脚に縋り付いて泣き崩れた。
「よかった……生きてて、本当によかった……っ! お願い、目を開けて……!」
その必死な姿に、美月の胸に冷たい棘が刺さる。
(セシルさん……。貴方は、彼が誰だか知っていて泣いているの?)
───
その夜。
ゼクスの獅子奮迅の活躍に免じ、特別に一基のテントが貸し出された。
セシルは立っているのもやっとの疲労困憊の状態だったが、「私がお世話をします」と言って一歩も引かなかった。
「……セシルさん、貴方も休んだほうがいい。彼は私が――」
団員の制止を、セシルは強い瞳で拒絶した。
「いいえ! スーちゃんを一番近くで支えるのは、私です。……もう、何度もしていますから。私に、やらせてください」
テントの中、二人きり。
セシルは震える手で、ゼクスの泥と血に汚れた軽鎧を脱がせていく。
露出した彼の身体――氷の刃で切り刻まれた痛々しい軽鎧。セシルは涙を堪えながら、温かい布で丁寧に拭っていく。布が肌を撫でるたび、自分の魔力さえ吸い取られていくような、ゼクスという存在のあまりの強大さに当てられ、セシルの指先は熱を帯びていった。
やがて、彼女は覚悟を決めたように。
用意していた厚手の布――「オムツ」を、意識のない彼の腰に当てた。
魔力枯渇による深い昏睡は、いつ目が覚めるか分からない。たとえ「英雄」と称えられようとも、今の彼には、自身の排泄という生理的な尊厳を守る術さえないのだ。真っ白な布が、戦いで汚れきった少年の腰を包み込んでいく。それは介護という名の慈愛であり、同時に「彼を幼児のように無力な存在として支配する」という、セシルだけの歪んだ特権の行使でもあった。
「……スーちゃんが悪いんだよ? 魔力枯渇して、意識を失っちゃうまでになってまで、美月様を守ろうとするんだから……」
独り言のように呟きながら、慣れた手つきでオムツを整える。その指先は微かに震えていたが、それは恐怖からではない。自分がいなければ生きていくことさえできない「無力な英雄」を掌中に収めているという、甘い痺れのような恍惚感からだった。
彼が目覚めたとき、きっと死ぬほど恥ずかしがるだろう。それでも、彼は私のものだという独占欲と、羞恥に歪む彼の顔の愛おしさが彼女を動かし続ける。
「……大丈夫。スーちゃんの汚いところも、情けないところも、全部私が受け止めてあげるから。……ねぇ、誰にも内緒だよ? スーちゃんをこんな姿にできるのは、世界で私だけなんだから」
セシルは陶酔しきったように、トロンとした瞳でゼクスの寝顔を見つめた。頬は薔薇色に染まり、吐息は熱い。その表情は、恋人に愛を囁く乙女というより、手に入れた宝物を愛でる子供のような、無邪気な狂気に満ちていた。
セシルが彼のために特製のスープを用意し、テントの隅で火を扱っていたその時。
テントの入り口が、静かに捲り上げられた。
「……入っても、いいかしら」
そこには、冷徹なまでの静寂を纏い、すべてを見透かすような瞳をした美月が立っていた。
美月の視線は、ベッドに横たわる無防備なゼクスと、そしてセシルの手元にある「それ」――英雄の尊厳を包む白い布を一瞬だけ捉え、それからゆっくりと、甲斐甲斐しく世話を焼く「幼馴染の恋人」の女へと移った。
互いの想いが、眠れる少年の枕元で、静かに、だが激しく火花を散らした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
……凄まじい緊迫感です。
エドワード王子がゼクスを「英雄」と称え、敬意を込めて背負う表舞台の光景。
対してテントの中では、セシルがゼクスにオムツを当てるという、あまりにも生々しく、そして独占欲に満ちた「支配」の光景が広がっています。
セシルにとって、ゼクスが「無力な存在」になることは、自分が彼を最も必要とされ、支配できる最高の瞬間でもあるのでしょう。その陶酔しきった瞳は、もはや「可愛いヒロイン」の枠を完全に踏み越えています。
しかし、そこに現れたのは真実を知ってしまった美月。
ゼクスの恥ずかしい姿、セシルの独占欲……すべてを目にした彼女が、どのような言葉を投げかけるのか。
清廉な「聖女」と、執着の「幼馴染」。
眠れるゼクスを挟んだ、負けられない戦いがついに始まります。
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