15年の執念にトドメを刺した、嬉し泣きの嘘。俺の心臓は、今、自らの手で握り潰された。
「……みーちゃん。久しぶりだね」
それは、幼い日の彼女を知る者だけが知る愛称。
確信に満ちた瞳で見つめる聖女に対し、ゼクスが放ったのは、己の存在すら冒涜する「最悪の嘘」だった。
自分は君の愛した「涼翔」ではなく、その「父親」であると。
15年間の執念、這いつくばってこの世界まで追いかけてきた愛。
それらすべてを犠牲にして、彼女に新しい幸せを贈るための葬送儀礼。
嘘で塗り固められた応接室。
自分を殺し、過去を殺すゼクスの絶望の果てを見届けてください。
中央廊下の喧騒を切り裂くようなゼクスの宣言に、エドワードは一瞬、殺気にも似た険しい表情を浮かべた。だが、すぐに冷徹な理性が勝ったのだろう。美月の腕を掴む手に力を込め、ゼクスを射抜くように睨みつけた。
「……いいだろう。この場でこれ以上、無様な痴話喧嘩を晒すわけにもいかない。学院長に命じ、出発までの数刻、防音の施された応接室を使わせよう」
「ありがとうございます」
ゼクスは短く応じると、当然のように、隣で呆然と立ち尽くしていたセシルの手を握り、彼女を連れて歩き出した。
(……なんだかんだ優しいスーちゃんが、私に『大丈夫だ』って言ったんだ。私を捨てるはずがない。なら、今の私がすることは、毅然とした態度をとることだ……!)
ゼクスに強く引かれる手に、セシルの意志が宿る。彼女の瞳に、再び鋭い力が戻った。
重厚な扉が閉まり、学院の応接室は外界から隔絶された。
エドワードは勝利を確信するように美月の背後を陣取り、セシルはゼクスの腕を、先ほどよりも強く、掴み直した。
「……さて。聞かせてもらおうか。君がその『須藤涼翔』とやらだという証拠を。あるいは、美月の妄執を解くための『真実』を」
エドワードの低い声が室内に響く。美月は祈るように胸の前で手を組み、ゼクスの言葉を待っていた。
(右下を見るな。視線を逸らすな。何があっても、真っ直ぐ彼女を見ろ――)
ゼクスは、あえて慈しみと懐かしさを込めた視線を美月に向けた。心の中で何度も「ごめん」と血を吐くように繰り返しながら、彼は運命の口を開く。
「……みーちゃん。久しぶりだね。須藤涼翔を知っているってことは、やっぱり君は、俺の知っている高宮美月さんなんだな」
あえて、幼い頃の彼女を知る者だけが使う愛称で、優しく微笑む。美月の顔が少し困惑に揺れ、「私の名前を……」と小さく呟く。その隙を与えず、ゼクスは言葉を継いだ。
「俺は、須藤涼一。……涼翔の、父親だ。といっても、三歳の頃の記憶じゃ、覚えていないか。あの時、俺は事故で……」
実の父親の名を騙り、その存在さえも冒涜する嘘。ゼクスの胸は罪悪感で押し潰されそうになる。だが、美月の幸せを願うなら、これ以上の解はない。涼翔(自分)はもういないのだと、彼女に「保護者」として引導を渡すしかないのだ。
セシルの教えを完璧に守り、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめたまま、言葉を紡ぎ続ける。
「女神に、もう一度生を与えると言われた時は困惑した。けれど、今度こそ生き抜いて、大切な人と歩みたいと願った。一歳にも満たない頃から魔術の訓練をこっそり始めたのは、二度とあんな事故で家族を悲しませたくなかったからだ。……あれから十五年。まさか、かつての息子の幼馴染が聖女として召喚されるなんて。もし正体がバレて、『おじさん』なんて呼ばれたら恥ずかしくて堪らないと思って、必死で隠していたんだよ」
「……何が恥ずかしかったんだ?」
混乱する美月とは対照的に、勝利を確信したエドワードが余裕たっぷりに口を挟む。
「そりゃ……中身が三十を越えたおっさんが、セシルみたいな美少女にくっつかれてデレデレしているのを、息子の幼馴染に知られるのは、とんでもない恥辱でしょう?」
(ああ……本当に反吐が出る嘘だ)
抉られる心とは裏腹に、頭は冷静だった。今更、悟られてはいけない。「おっさんのデレデレ」という卑俗な言葉で汚し、美月の聖なる記憶を泥で塗り潰す。その自己犠牲という名の自傷行為が、ゼクスの精神をじりじりと削り取っていく。
「ははは! 違いない! それは確かに、男としては堪えるな」
さっきまでの敵意をどこかに投げ捨ててきたエドワードが、安堵に満ちた笑い声を上げる。
「だが、赤ん坊のころの成長速度はすさまじいと聞く。そこに魔術の訓練を加えることが可能だったからこそ得られた力か。……気にするな。転生して一からやり直しているのなら、君は十五歳だ。もっとセシル君の気持ちに応えてやっても罰は当たらないだろう?」
その言葉に、セシルが好機とばかりに便乗した。
「私もいつもそう言ってるんです! なかなか素直になってくれなくて困ってるんですよ。……スーちゃん、第三者の殿下から見てもそうなんだから、これからはもう、気にしないでね?」
セシルは勝利を確信し、ゼクスの腕をぎゅっと抱きしめる。その瞳には、嘘を突き通して自分を選んでくれたゼクスへの、狂おしいほどの愛着が宿っていた。
「美月、これでわかっただろう。君が元の世界に大切な人を残してきたのは知っていたし、その彼がゼクスだったらと期待していたのだろう」
エドワードが美月の隣に座り、その肩を力強く抱き寄せた。
ゼクスはその光景に、己の心臓を素手で握り潰されるような激痛を感じながらも、優しく、けれど残酷な「父親」の声を向けた。
「みーちゃん。君が涼翔とどういう関係になっていたのかは知らない。けれど……涼翔はここにはいない。もう会うことはできないんだ。だから、君は君で、新しい幸せを掴むべきだと思うよ」
「そう、ですね……そっか。三歳のころ……十五年……。涼翔のお父さんだから、似ていても当然で……」
(……頭の中でパズルのピースがハマっていく、残酷な現実。つまり元の世界に戻れても、もう既に一年以上、時間は進んでる。涼翔は新しい未来に進んでるはずだ。私はもう、きっと二度と、涼翔の手をとれないんだ……)
「エドワード様、いろいろ申し訳ありませんでした。そして、わがままを聞いてくださり、ありがとうございます」
美月はエドワードを見上げ、過去を断ち切る覚悟を固めた。自分を信じて場所を設けてくれたエドワードに、深く感謝の意を示す。
「いいさ。君が元の世界に大切な人がいるのはわかっていたことなんだから。けれど、これで安心して、僕は君と共にいられる」
「そうですね。……涼翔のお父さんも、ありがとうございます」
ぐちゃぐちゃな心を押しつぶしながら、美月も言葉を紡いだ。
「いや、こちらこそ。俺も、あの小さかったみーちゃんがこんなに綺麗になって……。王子と婚約だなんておめでたい話、本当に嬉しいよ。……それと、『ゼクス』って呼んでほしい。今の俺は、ゼクスなんだから」
ゼクスは必死に涙を堪えながら、堪えきれなくなった目尻の熱をも「嬉し泣き」という嘘で塗り固め、彼女を祝福した。その涙の本当の理由は、美月には届かない。自分の手で、十五年間の執念にトドメを刺した男の、空虚な咆哮に等しかった。
セシルはそんな痛々しい姿のゼクスの腕を抱き、彼が今、自分を選び、守るために最愛の過去を殺した……その凄絶な献身に、心の中で涙を流す。けれど、同時にその「結果」に喜び、打ち震えながらゼクスを見上げていた。
(……これで、スーちゃんは私のものだ……!)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
……読み返していても、ゼクスの心が壊れる音が聞こえてくるような、あまりに過酷な「対話」でした。
美月の心を救うために、彼女が大切に守ってきた「涼翔との思い出」を、自ら「おっさんのデレデレ」という卑俗な言葉で汚してみせたゼクス。
その徹底した自己犠牲は、もはや「愛」を超えた「呪い」のようにも見えます。
一方で、その嘘に「便乗」し、ゼクスの腕を掴み直したセシルの執念。
彼女はゼクスの絶望を理解した上で、それでも彼が「自分を選んだ」という結果を、甘美な勝利として受け入れています。
美月が過去を断ち切り、エドワードの腕の中で「新しい幸せ」を掴もうとする影で、ゼクスが流した「嬉し泣き」という名の、血の涙。
歪みきった四角関係の結末を、ぜひ【評価】や【ブックマーク】で支えていただけますと幸いです。




