無意識の残響。――圧倒的な蹂躙の後に見せた、かつての恋人の面影
「洗礼」を受けるのは、俺か、それともお前たちか。
エドワード殿下の見守る中、模擬戦場の幕が開く。
襲いかかる五属性の魔術。だが、俺の十五年は、そんな遊びに屈するほど軽くはない。
圧倒的な力で場を支配し、俺はただ退屈な仕事を終えたように息を吐く。
その時、無意識に取った「いつもの動き」。
それが、聖女となった君の心を、これほどまでに掻き乱すとは知らずに。
廊下に立ち込めた一触即発の殺気は、不意に響いた革靴の硬い音によって霧散した。
「……何事かな、騒がしい」
現れたのは、先ほど別れたばかりの第一王子エドワード、そして彼の傍らに寄り添う聖女ミヅキだった。その後ろには、事態を察知して駆けつけた実技担当の講師が数名、苦虫を噛み潰したような顔で控えている。
「エ、エドワード殿下……!」
先ほどまでゼクスを囲んでいた男子生徒たちが、弾かれたように直立不動の姿勢をとった。
エドワードは黄金の眉を僅かに寄せ、ゼクスと対峙する少年たちを交互に見やる。その瞳には、彼らの非を責める色よりも、むしろ「面白い見世物を見つけた」という、好奇が宿っていた。
「なるほど、特待生の君の実力に、彼らは懐疑的なわけだ。……ゼクス君。このままでは、君の学院生活に余計な雑音が混じり続けるだろう。ここらで一度、はっきりと『分からせる』必要があるのではないかな?」
「殿下、仰る通りです。……ですが、ここは神聖な校舎。騒ぎを収めるためにも、模擬戦場を解放しましょう」
講師の一人が、冷や汗を拭いながら進み出た。彼は昨日、魔術師団副長という手練れを圧倒したゼクスの姿を遠目に見ていた一人だ。彼は、ゼクスを囲む無知な生徒たちを憐れむような目で見つめ、ゼクスの耳元で小さく、懇願するように囁いた。
「……ゼクス君。彼らも一応は未来有望な我が国の魔術師候補だ。……頼む、やりすぎないように、手加減をしてやってくれ」
その言葉に、ゼクスは感情の抜け落ちた、深い夜のような瞳で応えた。
「……分かりました。一人ずつやるのは時間の無駄だ。俺を囲んでいた奴ら、全員同時にかかってこい」
「なっ……舐めるなよ、田舎者がッ!」
男子生徒たちの顔が屈辱で真っ赤に染まる。
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円形を象った広大な模擬戦場。
観客席の最前列には、エドワードと美月、そしてゼクスの動向を食い入るように見つめるセシルが陣取っていた。
フィールドの中央には、模擬杖を握りしめ、極度の緊張と怒りで肩を揺らす七人の男子生徒。対するゼクスは、杖も剣も持たず、ただ無防備に突っ立ったままだった。
「始めッ!!」
講師の鋭い合図と同時に、七人の少年たちが一斉に呪文を紡ぐ。
「『火炎の矢』!」
「『石の弾丸』!」
五つの属性が入り混じった魔術が、多角的な軌道を描いてゼクスへと殺到する。魔術学院の精鋭候補として、それなりの速度と練度。だが、ゼクスはその場から一歩も動かなかった。
(ウィンドセンス……)
ゼクスが内なる魔力を微かに震わせる。全方位に広がる風の感覚が、背後から迫る弾丸も、死角からの火炎も、すべてを等しく捉えた。
彼は振り返ることすらなく、指先をピアノでも弾くかのように空間へ踊らせる。
飛来する全ての魔術に対し、完璧に同等、かつ逆位相の魔力をぶつけ、空間で霧散させる。
「……その程度で、俺に届くと思っているのか?」
「ば、馬鹿な!? 五属性を同時に使って相殺しただと!?」
驚愕の声が上がる。本来、多属性の同時発動は脳に過大な負荷をかける禁忌に近い技術だ。焦燥に駆られた七人は、やけくそ気味に魔術を連発し始める。
轟音と閃光がゼクスを包む。だが、彼はその中心で、舞い散る火の粉を払うかのように淡々と、すべての攻撃を無効化し続けた。その姿は、荒れ狂う嵐の中でただ一人、静寂を纏っているかのようだった。
「そろそろ、気が済んだか?」
ゼクスが地を蹴るような予備動作もなく、魔力を一気に解放した。
相殺の余波で視界が揺れる中、彼は七人の足元だけを正確に狙い、先端を敢えて潰した「ストーンニードル」を放ち転ばせる。
「うわっ!?」「がはっ!」
足元を掬われた七人が、無様に地面へと転がった。そして彼らが顔を上げた瞬間、全身の血の気が引く。
転んだ彼らの鼻先数センチ。
空中に、今度は先端をナイフのように鋭く尖らせた無数の石の棘が、いつでもその脳天を貫けるとばかりに静止して待機していた。
(なっ……!? これほどの規模の多重発動、さらに精密制御だと!?)
先日の戦いを知らぬ講師たちが、椅子を蹴立てて立ち上がった。杖も使わず、瞬時にこれほどの術式を並列展開するなど、常識の範疇を遥かに超えている。
ゼクスは、地面に顔をつけたまま、恐怖で「参った」と声を漏らす少年たちを、冷めた目で見下ろした。その瞳には、勝利の昂揚感など微塵もなかった。ただ、羽虫を追い払った後のような、ひどく退屈で、それでいてどこか投げやりな虚無感だけが漂っている。
「……これで分かっただろう? ゼクス君、見事な手加減ぶりだ。ありがとう」
静まり返った場内に、エドワード王子の優雅な拍手の音が響いた。彼は満足げに頷き、フィールドに無様に転がる敗者たちを視界にすら入れず、ゼクスへと惜しみない賞賛を向けた。
ゼクスは「ふぅ」と小さく息を吐くと、凝り固まった筋肉をほぐすように大きく伸びをし、首を鳴らして身体を左右に捻った。
それは、前世で面倒な事を片付けた後や、テスト勉強が一段落した後に、涼翔がいつも無意識に行っていたルーティンだった。
観客席の最前列で、美月は忘れかけていた呼吸を思い出したかのように肩を揺らした。
先ほどの魔術の凄まじさは、もはや彼女の理解を超えている。けれど、それ以上に彼女の視線を釘付けにしたのは、戦いの後の、あのなんてことのない仕草だった。
(あの伸びの仕方……身体の回し方。……どうして、今日初めて会ったはずのゼクスさんに、こんなに胸が苦しくなるの……?)
美月の瞳に宿る熱い戸惑い。それを隣のエドワードは見逃さなかった。彼の完璧な貴公子の微笑みが、薄氷がひび割れるように僅かに温度を失う。婚約者の心が、目の前の「得体の知れない天才」に激しく揺さぶられていることを、彼は本能的に察知していた。
一方、フィールドから戻ってきたゼクスを、セシルが弾かれたように出迎えた。
彼女は駆け寄るなり、ゼクスの腰に腕を回し、これ見よがしにその胸元へ顔を埋める。
「……すごかったよ、スーちゃん。あんな人たち、スーちゃんの足元にも及ばない。……でも、あんまり格好いいところ、他の人に見せないでね」
セシルの声は細く震えていた。それは恐怖ではなく、極上の独占欲からくる歓喜の震え。セシルはゼクスの腕を自分の肩に強引に回させ、まるで自分の獲物を誇示するように、観客席の美月を鋭い眼光で射抜いた。「この人はもう私のもの。あなたの思い出になんて、絶対に渡さない」――その無言の宣告が、豪華な模擬戦場の中に冷たく響き渡った。
「ねえ、スーちゃん。疲れちゃったでしょ? 早く戻ろ?」
甘い毒を孕んだセシルの誘いが、静まり返った戦場に溶けていく。
ゼクスは、自分の腕に伝わるセシルの強すぎる体温に、逃げ場のない「今」という現実を突きつけられていた。
「……あぁ。そうだな。行こう、セシル」
背中に突き刺さる美月の視線を振り切るように、ゼクスは一度も振り返ることなく、セシルに引かれるまま模擬戦場を後にした。
その後の手続きは、流れるように過ぎ去った。
背後には、夕闇に沈み始める巨大な学び舎。そこには、王子の隣で「聖女」として生きるかつての最愛がいる。
隣で腕を絡めるセシルの横顔は、夕日に照らされて酷く美しく感じた。
十五年かけて、ようやくたどり着いた再会。
その結末は、望んでいたハッピーエンドとは程遠い、嘘と執着にまみれた共同生活の幕開けだった。
美月の薬指で光る指輪の残像を振り払うように、ゼクスは隣にいるセシルの体温を、自分への罰のように受け入れていた。
第22話をお読みいただきありがとうございます。
ゼクスの「無双」回、いかがでしたでしょうか。
手に職(魔術)をつけた15歳の少年が、エリートたちを赤子のように扱う姿は、まさに特待生の面目躍如です。
しかし、戦いよりも激しいのは、観客席の女たちの視線。
ゼクスに「涼翔」の影を見て、婚約指輪の重さに耐えかねる美月。
そして、美月の視線を察知し、これ見よがしにゼクスの所有権を主張するセシル。
セシルさんの「あんまり格好いいところ、他の人に見せないでね」という言葉。
一見可愛いお願いですが、その裏には「お前を誰の目にも触れない場所に閉じ込めておきたい」という本音が透けて見えますね……。
夕闇に染まる学院。
嘘をつき続けるゼクスと、疑念を抱き始めた美月、そして逃がさないセシル。
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