不敬な洗礼。――隣で笑う少女を泣かせた罪は、万死に値する
聖女との再会、そして決別。
俺の心は死に、ただ隣にいるセシルの体温だけが現実だった。
そんな俺たちの前に現れたのは、特待生の座を妬む、身の程知らずな「選民意識」の塊。
俺への誹謗中傷は構わない。だが、彼らは踏み越えてはならない一線を越えた。
「その汚い口、二度とスーちゃんの悪口を言えないように……」
殺意を剥き出しにするセシル。
俺は彼女を制し、静かに一歩前へ出る。
洗礼が必要なのは、どちらか。
辺境の死線を越えてきた「本当の暴力」を、今ここで教えてやる。
学院長室を出て、一般校舎へと続く渡り廊下。
セシルの足取りは、まるでダンスを踊っているかのように軽やかだった。先ほど、この国の象徴であり、自分とは住む世界が違うはずの「聖女」を前にして、ゼクスは迷わず自分を選んでくれた。あんなに美しい女性からの誘いさえ断り、自分の隣にいることを「義務」だと言い切ってくれたのだ。
その事実が、彼女の胸を焦がすような全能感と、暗い悦びに満たしていた。
「ねえ、スーちゃん! 学院長先生もびっくりしてたね。でも、スーちゃんが私のそばにいたいって言ってくれた時、私……本当に、死んじゃってもいいくらい嬉しかったんだから!」
セシルはゼクスの右腕を両手で抱え込み、あどけない少女のような笑みを浮かべて密着する。柔らかな胸の感触を押し付け、彼の体温を確かめることで、「彼は私のものだ」という刻印を刻みつけているかのようだった。
対するゼクスはといえば、心ここに在らずといった様子で、ただ泥人形のように足を動かしていた。美月に吐いた「面識がない」という嘘。彼女の薬指で冷たく光っていた指輪の残像――。それらが頭の中で濁流となって渦を巻き、視界を白く染めていた。隣にいるセシルの熱量さえ、今の彼には遠い世界の出来事のように感じられる。
「……あぁ、そうだな」
「もう、生返事なんだから。でもいいよ。これからは毎日、学校でも一緒だね。……スーちゃんは、私だけを見て頑張ればいいんだよ?」
セシルの声は蜜のように甘く、とろけるような熱を帯びている。だが、その瞳の奥には、二人の間に誰も――たとえそれが聖女であろうとも――入り込ませないという、鋼のような執着が宿っていた。
教室の扉が見えてきた、その時だった。
「――おいおい、随分と上機嫌じゃないか。特待生様よぉ」
背後から、粘りつくような嫌悪と、隠しきれない嫉妬を孕んだ声が響く。
振り返ると、そこには豪華な刺繍が施された制服を着崩した、数人の男子生徒たちが立っていた。中心にいる少年は、ゼクスを舐めるように見回し、鼻で笑う。
「……何?」
ゼクスが虚無を湛えた瞳を向けると、少年は「チッ」と激しく舌打ちをし、周囲の取り巻きと嘲笑を交わした。
「とぼけんなよ。試験も受けてねえ、どこの馬の骨とも知れねえ田舎者が、聖女様の隣に立って代表挨拶だぁ? 副長を不意打ちでハメたって噂じゃねえか。姑息な真似して特待生の枠を奪いやがって、恥ずかしくねえのかよ」
少年たちは、逃げ場を塞ぐようにゼクスを取り囲む。
「ここは実力至上主義の王立魔術学院だ。汚い手でのし上がった無能には、それ相応の洗礼が必要だと思わねえか? ……おい、その女。そんな詐欺師の腕をいつまでも握ってると、その安い体がさらに汚れるぜ?」
その瞬間、ゼクスの腕を抱いていたセシルの指に、爪が食い込むほどの力が籠もった。
伏せられた彼女の肩が、微かに、けれど激しく震え始める。
「……スーちゃんを、詐欺師って言ったの?」
セシルの声から、先ほどまでの甘い熱気が一瞬で消え失せた。代わりに立ち上ったのは、深海の底のように冷たく、どろりとした純粋な殺意。
彼女がゆっくりと顔を上げると、そこには美しくも不気味な、氷のような笑みを浮かべた「知らない女」の顔があった。その瞳はハイライトを失い、ただ目の前の「障害」を排除することだけを求めて黒く濁っている。
「スーちゃんは、誰よりも強くて、誰よりも優しくて……誰よりも、私にとって『特別』なの。……ねえ、その汚い口、二度とスーちゃんの悪口を言えないように、今ここで縫い合わせちゃってもいいかな?」
セシルの指先から、パチバチと魔力が漏れ出す。
一触即発。先ほどまで威勢の良かった男子生徒たちの顔が、その異様なプレッシャーに一瞬で青ざめ、後ずさった。
(……やめろ、セシル。こんなところで騒ぎを起こせば、退学になるかもしれないぞ)
ゼクスは、ようやく自分の意識を重い泥の中から引き戻した。
美月の幸せを願って、自分を殺すと決めたのだ。ならば、せめて自分の周りにいる「今、自分を必要としている少女」の居場所だけは、何があっても守ってやらねばならない。
「セシル、下がってろ」
「……でも、スーちゃん! あいつら、スーちゃんを……っ!」
「いいから。俺がやる」
ゼクスはセシルの震える手を優しく解くと、静かに一歩前へ出た。
その瞬間、廊下の空気が物理的な質量を持ったかのように重く沈む。
「……洗礼、だったか。いいだろう。受けてやる」
ゼクスの瞳に、冷徹なまでの「英雄」の輝きが戻る。それは、数多の魔獣を屠り、絶望の淵を歩んできた者だけが持つ、圧倒的な死の気配だった。
第21話をお読みいただきありがとうございます。
学院生活初日から、お約束の(?)トラブル発生です。
ですが、今のゼクスは精神的に追い詰められている分、手加減の加減が少し狂っているかもしれません。
何より恐ろしいのはセシルさん。
「縫い合わせちゃう」という発想が、ただの怒りを通り越して「愛の重さ」を感じさせます。彼女を怒らせると、魔法で肉体改造されかねない恐怖がありますね。
ゼクスが放つ「英雄」の気配。
廊下で繰り広げられる一瞬の決着が、学院全体にどのような波紋を呼ぶのか。
そして、この騒ぎを聞きつけた「あの人」が駆けつけることになったら……。
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