優しい嘘の形。――聖女が気づいた「彼」の癖と、幼馴染の宣戦布告
学院長室。そこには、俺を最も深く傷つける二人の姿があった。
王子からの「近衛」という名の残酷な招待状。
それを断り、俺はセシルを盾にして自分を律する。
「……ずっと前から貴方を知っているような……」
向けられた美月の疑念。
俺は彼女の「現在の幸せ」を守るため、心臓を削って完璧な嘘を吐く。
だが、その嘘のつき方こそが、彼女にとっての「涼翔」そのものだとは知らずに。
絶望する俺の隣で、セシルが勝ち誇ったように笑う。
逃げ場のない学園生活。俺を待つのは、救いか、それとも深い愛の泥沼か。
入学式の熱狂が冷めやらぬ中、新入生たちが各教室へと案内される喧騒を余所に、ゼクスとセシルの二人は、重厚な装飾が施された「学院長室」へと呼び出されていた。
案内した教師の顔は終始引き攣ったままだ。それもそのはずだろう。部屋の中では、この国の至宝である聖女ミヅキと、次期国王たる第一王子エドワード、そして学院の最高権威である学院長が待ち構えているのだから。
重い扉が開くと、そこには円卓を囲む三人の姿があった。
ゼクスは反射的に視線を床へと落とす。視界の端に映る、見紛うはずもない美月の姿。その顔をまともに見てしまえば、十五年かけて築き上げた理性が一瞬で決壊し、その名を叫びながら駆け寄ってしまいそうだった。
「……よく来たな、特待生ゼクス。それとセシル君」
白髭を蓄えた学院長が、眼鏡の奥から鋭い眼光を向ける。その傍らには、余裕ある微笑みを浮かべたエドワードと、どこか落ち着かない様子でゼクスを見つめる美月がいた。
「単刀直入に言おう直入に言おう。ゼクス君、君の魔力操作と剣技は、既にこの学院の教職員が教えられる範疇を遥かに超えている。……昨日、騎士団副長をあそこまで圧倒したのだ。今更、一般生徒と並んで初歩の講義を受けるのは、君にとっても、教える側にとっても苦痛でしかないだろう。……そこで提案だ」
学院長は一息つくと、信じがたい言葉を口にした。
「今すぐにでも軍に入る気はないか? もちろん、将校待遇だ。……そして、エドワード殿下からの強い要望でもあるのだが。君には、聖女ミヅキ殿下の『近衛兼、魔術指南役』の候補として、折を見て手合わせを願いたいと思っている。殿下も、君のような逸材が彼女の側にいてくれれば心強いと仰っていてね」
その言葉に、ゼクスの心臓が激しく跳ねた。
――近くにいろ、というのか。
他の男と結ばれ、その男の手を借りて幸せそうに笑う彼女を、一番近い特等席で、指をくわえて見続けろというのか。それは、救いなどではなく、魂をじわじわと焼き払うあまりに過酷な拷問だった。
「……身に余る光栄ですが、お断りさせていただきます」
ゼクスの拒絶は、迷いなく放たれた。学院長とエドワードの眉が微かに動く。
「俺には、大切な幼馴染を守る義務があります。彼女は辺境の村で私を支えてくれた恩師の娘です。……彼女のそばを離れることは、俺にはできません。ですから、私は特別な役職などではなく、一人の普通の生徒としてこの学院に通わせてください」
(女神様よ、そんな残酷な拷問、絶対にお断りだ……!)
心の中で叫び、ゼクスは隣のセシルを強く意識した。彼女を「盾」にしなければ、今にも美月の元へ駆け寄ってしまいそうな自分を律することができなかった。
不意に、隣から「スーちゃん……」と、震えるような吐息が聞こえた。セシルは頬を林檎のように赤らめ、大きな瞳に涙を溜めてゼクスを見上げていた。
(スーちゃんが、私を選んでくれた……。あんな綺麗な聖女様よりも、私の隣にいることを選んでくれたんだ……!)
歓喜に打ち震えるセシルは、周囲の目も憚らず、ゼクスの腕に深く、深く抱きついた。
しばらくの間、沈黙が部屋を支配した。やがて学院長は諦めたように溜息をつき、一枚の書面を差し出した。
「……君の意思は分かった。ならば、別の形での特例を認めよう。今日から君には、授業への出席義務を免除する。代わりに、王立図書館の禁書区域を含む全蔵書の閲覧権、および魔導研究室の自由な使用権を与えよう。……そして、その力でこの国に貢献してほしい。構わんな?」
「……ありがとうございます」
ゼクスは深く、深く頭を下げた。これで、少しは美月と物理的な距離を置けるはずだ。そう安堵したのも束の間。
「……ゼクスさん」
不意に、鈴を転がすような、胸を締め付けるほど懐かしい声がゼクスの名を呼んだ。美月だ。
彼女はエドワードの隣から立ち上がり、導かれるように一歩、ゼクスへと歩み寄る。
「……昨日の演習での構え、そしてさっきの挨拶……。失礼ですが、本当に貴方は、この国の出身なのですか? なんだか、ずっと前から貴方を知っているような……そんな、不思議な感覚がして」
美月の瞳が、真っ直ぐにゼクスを射抜く。
そこには疑念と、ほんの少しの――切実な「期待」が混じっていた。もし、目の前の少年が、自分が忘れると決めた「あの人」だったら。そんな、彼女自身も否定したはずの淡い希望が、瞳の奥で揺れている。
ゼクスの喉が、ヒリつくように渇く。
今、ここで「俺だ、涼翔だ」と言えば、何かが変わるのかもしれない。
だが、その時。美月の細い指先に光る、エドワードから贈られたであろう婚約指輪の輝きが、ゼクスの目に鋭く突き刺さった。
(……美月は、この世界で、この王子に愛されて、幸せなんだ。……それを壊す権利なんて、俺にはない)
彼女はこの一年、絶望の淵からエドワードによって救い出され、前を向く強さを得たのだ。今の彼女の笑顔を支えているのは、自分(涼翔)との過去ではなく、エドワードとの現在。
たとえ自分がどれほど寂しくても、ここで正体を明かして彼女を混乱させることは、彼女の「現在の幸せ」に対する裏切りだ。――そう自分に言い聞かせる。
「……恐れ多いお言葉です、聖女様。私は辺境の村で、ただ独り、生きるために剣を振るってきただけの男に過ぎません。……貴方のような高貴な方と、面識があるはずもございません」
一言、一言、自分の心臓を削り取るようにして、ゼクスは完璧な「嘘」を吐いた。
――つもりだった。
(……嘘をつく時の、目を合わせられなくなって、右下の方を何かを探すように……言葉を探すように話す癖。小さいころから変わらなかった、涼翔と同じ癖……)
美月の瞳が激しく揺れ動いた。声も、顔も違う。けれど、その「魂の形」が漏れ出たような致命的な癖を、彼女が見逃すはずはなかった。刺すような寒空の下、赤くかじかんだ彼の手を握りしめ、「遅れてごめんなさい」と泣きそうになる私に、「今来たとこだから気にしないで」と笑って嘘をついたあの時と、全く同じ角度の視線。
その優しすぎる「嘘の形」に、彼女の心臓が早鐘を打つ。
だが、ゼクスはその動揺に気づかない。ただ一点、彼女の幸福を壊さないことだけを願って、視線を逸らし続けていた。
「……そう、ですよね。失礼なことを聞いてしまいました。ごめんなさい」
美月は激しい動揺を喉の奥に押し込み、震える唇で微笑むと、エドワードの隣へと戻った。その細い腰を、エドワードが「考えすぎだよ、ミヅキ。よく似た人なら、どこかにいるものさ」と優しく抱き寄せた。
その仲睦まじい光景を、ゼクスの隣で静かに見守っていたセシルが、さらに彼の腕を強く抱きしめる。
「学院長先生。ありがたいお言葉、感謝します。……でも、私とスーちゃんは、一緒にいられればそれで十分なんです。スーちゃんは少し不器用なところがありますが、これからも私としっかり支え合って生きていきます」
セシルの声は、一滴の迷いもなく、勝利を確信したかのように明るかった。彼女は美月を一瞥することさえせず、ゼクスの顔を見上げる。その瞳には、彼を誰にも渡さないという決意が宿っていた。「この人は私のもの。あなたの思い出になんて、絶対に渡さない」――その無言の宣言が、豪華な部屋の中に冷たく響き渡った。
「……ですが、何かあれば私も含めてお申し付けください。全力でこの国の為に貢献させていただきます」
聖女の隣から彼を引き離し、自分の腕の中に閉じ込める。
こうして、ゼクスの歪んだ、そして残酷な学園生活が幕を開けた。
第20話をお読みいただきありがとうございます。
ゼクスが必死についた「嘘」が、かえって美月の心に火をつけてしまうという、なんとも皮肉な展開になりました。
「声も顔も違うのに、嘘のつき方が同じ」……。
15年経っても、魂に染み付いた癖は変えられない。美月にとって、これほど確信に近い証拠はありません。
しかし、そこで立ちはだかるのが我らがセシルさんです。
「スーちゃんは私と支え合って生きていく」という言葉で、外堀どころか城門まで完全に閉ざしました。
美月の「あの日への未練」と、セシルの「現在への執着」。
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