わかりきった信頼とただの同行者
「あ、あの治癒の力……救世主様と同じ奇跡の力……。そして、あなた様のあの恐るべきお力。……一体何者なのですか?」
青い怪物の死山が築かれた凄惨な戦場で、生き残った人々を代表するように、初老の男が震える声で尋ねてきた。
上質な外套を血に染めたその男は、この街の政を預かる執政官のようだった。
男の問いに対し、ゼクスは静かに、感情を削ぎ落とした冷静な声で応じる。
「我々は、あの南の断崖絶壁を越えてやってきました。世界が危機に陥っていないか、その全貌を調査しにきたのです」
「おぉ……。あの、絶対に越えられぬはずの絶壁を……。我らをお助けいただけるというのか……。神よ、感謝いたします……っ!」
老執政官は救われた喜びに涙を流し、何度も天を仰いだ。ひとしきり震えた後、男は顔を上げて黒煙の上がる我が街を振り返り、申し訳なさそうに眉をひそめる。
「ひとまず、街でおもてなしを……と言いたいところじゃが、ご覧の通り街も酷い被害を受けておってな。まともなもてなしはできそうにない。……じゃが、疲れを癒やす部屋くらいは今すぐにでも確保できるはずじゃ。どうか寄っていってはくださらぬか? そこで詳しく、この地のお話をさせてほしい」
差し伸べられた街への誘い。
背後で馬の手綱を握ったまま、エレノアが周囲に視線を走らせ、ゼクスに声をかけた。
「……ゼクス。もう日も暮れそうだし、ここは一度、お言葉に甘えさせてもらいましょうかしら」
「そうだな」
ゼクスが短く頷く。
その隣で、美月はただ無言のまま、ゼクスの横顔を見つめることしかできなかった。
遅れて追いつき、何もできなかった自分。
ゼクスに歩み寄り、任されていた馬の手綱を差し出す。
ゼクスはそれを受け取り、「ありがとう」と、着飾らない短い言葉で美月を労った。
美月は返事もそこそこに、視線を伏せる。
(私は何もできなかった⋯⋯)
胸を突く惨めさから逃げるように、街の人たちの後に混じって、ただトボトボと歩くことしかできなかった。
──街の内部へ移動し、急ぎ用意された応接室。
互いの自己紹介を簡潔に済ませた後、ゼクスは自分たちがここへ至った経緯を説明し始めた。
この世界が歴史書に沿って同じ危機を繰り返しているのではないかという仮説。そして、国の正式な依頼を受けてその原因を調査しにきたのだということ。
「なるほど……。あの山の向こうにも、我らと同じように人が生きる国があり、そこでも救世主様が召喚されておったのか……」
老執政官は深く息を吐き、痛ましげに自身の白髭をなぞった。
「我らは、突如として現れたあの青い怪物ども……魔族の襲撃を受け、もはやこの街では敵わぬと判断したのじゃ。東にある王都へ逃げようとしておったが、挟み撃ちにされてな……」
(歴史書には、北から魔族が攻め寄せてくると書かれていた。なら、もしかして……)
「そうだったんですね。……間に合って本当によかった。そういえば、ここへ来る途中、街の中央で、道標を見かけました。北西は『ノルノクスト街』、東は『メルクスト王国』と。……もしかして、奴らは……?」
「その通りじゃ。奴らは、北西からやって来た……そして我らを誰一人逃がすまいと東門にも回り込んでおった⋯⋯」
執政官の顔に、深い絶望の影が差す。
「じゃが、こうなった以上、この街を捨てて王都へ避難するのはもはや必須。残った物資とともに住民全員で王都へ遷りたいのじゃが……。厚かましい願いなのは百も承知じゃ。我らの避難に、一緒に付いてきてはくれないじゃろうか?」
それは、実質的な護衛の依頼だった。
ゼクスはすぐには答えず、静かに隣に控える仲間たちの顔を見やる。
全員での徒歩の移動、しかも大勢の避難民を連れての行軍となれば、王都へ辿り着くまでにかなりの日数と労力がかかることは目に見えている。調査の遅れにも繋がる、その重い決断。
だが、ゼクスの視線は、美月の前を通り過ぎ、エレノアへと向けられた。
エレノアも、当たり前だと言わんばかりにまっすぐ首を縦に振っていたのをしっかりと確認する。
美月なら、絶対に首を縦に振る。そんなことは、わざわざ確かめるまでもなく分かりきっていた。だからこそ、確認すべきはエルメリアの魔術師団副長であるエレノアの意思だけ。
だが──その意図が、今の美月に伝わるはずもなかった。
視線を向けられない。同じように同意したはずなのに、彼の心を動かしたのは自分ではなく、隣にいる別の女性の覚悟だった。
(素通りされた。やっぱり私はただの同行者なんだ⋯⋯)
美月は、胸をえぐり取られるような冷たい疎外感に、ただ深く、暗い絶望の底へと俯いた。
そんな様子に気づかぬまま、仲間たちの無言の同意を受け取り、ゼクスは確固たる決意を込めて、老執政官に向き直った。
「──任せてください。皆さんの避難、我々が責任を持って送り届けます」
その力強い言葉に、部屋には一瞬にして安堵の空気が広がる。
しかし、ゼクスは一人、静かに窓の向こう──不気味な影を落とす北西の方角を見やる。
崇められる称賛の言葉など、今のゼクスの耳には一切届かない。
届かなかった命への激しい悔恨を押し殺し、ゼクスは自身の無力を責めるように、血が滲むほど強く拳を握りしめた。
ここへ来る途中、視界の端にすでに物言わぬ塊となって横たわっていた民たちの姿を思い起こしながら。
(……間に合わなくて、すまない)
届かなかった命へ、心の中でそう一人呟く。その苦悩に気づいたセシルが、何も言わず彼の隣でそっと手を握っていた。




