剥き出しの未練と修羅場への特等席
こうして、王国の歴史を根底から覆した謁見は幕を閉じた。
大任をこれ以上ない形で果たした帝国の使者イレイアは、未来の同盟国からの国賓として丁重な歓待を約束され、満足げな笑みを浮かべて謁見の間を後にした。
対照的に、エドワードは、近衛兵たちに左右から引きずられるようにして、惨めに退場していく。
方々へ散っていく貴族たちの喧騒が遠ざかり、広間に残ったままなのは、国王と、ゼクスたち数名だけだった。
重苦しい静寂が満ちるなか、ゼクスが静かに、けれど一切の迷いのない声で切り出した。
「陛下。早速ですが、明日、王都を発ちます」
その毅然とした態度に、国王は微かに目を見張る。
「まずは真っ直ぐ北へ向かい、あの断崖絶壁に魔術で穴を開け、向こう側の様子を見てきます」
その言葉に、真っ先に反応したのは美月だった。
一歩前へ出た彼女の身体はまだ小刻みに震えていたが、その瞳には、涙の跡を突き動かすような強い光が宿っていた。
「……私も、行きます」
拒絶されるのを恐れるように、美月は必死に声を震わせながら言葉を紡ぐ。
「その……さ、先ほどのご先祖様の手記によれば、過去の世界の危機のときも、異界の者の力が必要だったのですよね……? それに、道中も彼に魔術の稽古をつけていただきたいですから。だから……私も同行するのを、許可していただけないでしょうか」
必死に大義名分を並べる美月だったが、その胸の内にあるのは、剥き出しの未練と執着だった。
(それでも……私は、あなたの傍にいたい。ただ何も知らされないまま置いていかれるなんて嫌。あなたの本当の気持ちを、あなたの口からちゃんと確かめなきゃ……このままだと私は一生、後悔する……)
美月の悲痛な訴えを聞きながら、国王はしばらく顎に手をやり、思案するように目を細めた。
「……そうじゃな。帝国の憂いもなくなった今、王国の聖女として、そなたが戦地をその目で確かめるというのも同行の理由としては十分。……よいじゃろう、許可する」
「あ、ありがとうございます……!」
ホッと胸をなでおろす美月。だが、国王はすぐに隣に控える女傑へと視線を向けた。
「エレノア。そなたも魔術師団副長として、聖女の護衛を兼ねて同行せよ。ゼクス一人にすべてを背負わせるわけにはいかんからな」
(──え? あ、私……?)
名指しされた瞬間、エレノアは端整な顔をわずかに引きつらせた。
内心で、冷や汗がドッと吹き出すのを感じる。
(ちょっと待って、私? この限界突破したドロドロ関係の三人の中に、私を放り込むの……!? 世界の危機を見に行く前に、私の精神がすり潰されそうなんだけど。ちょっと本気で勘弁してほしい……)
胃の痛くなるような最悪の特等席チケットを渡され、エレノアは内心で激しく頭を抱えたが、表向きは一瞬で鉄の表情を取り戻し、深く一礼した。
「──御意。拝命いたします、陛下」
その決定が下された瞬間、ゼクスの隣にぴったりと寄り添っていたセシルの瞳が、一瞬で凍りついた。
(この泥棒猫……まだ諦めてないの? スーちゃんがここに残って、あなただけが強制送還されるって、さっき証明されたばかりなのに。本当に目障りな女……)
セシルの胸の奥で、美月への黒い殺意が再び鎌首をもたげる。
「では、明日の朝九時に城門前で。遅れないように」
エレノアが事務的にそう告げると、一同はそれぞれ散開することとなった。
謁見の間を出るとき、セシルはこれみよがしにゼクスに寄り添い、自らの身体を彼に密着させた。そして、ゼクスからは決して見えない絶妙な角度で、美月だけを振り返る。
その唇が、くすくすと勝ち誇ったように歪み、美月を嘲笑うように鋭く睨みつけた。
その悪魔のような視線を受けて、美月はガチガタと奥歯を鳴らした。
(やっぱり……やっぱり、あなたの作戦だったんだ……! 涼翔と二人で話し合って、私を完全に諦めさせるために、あの手記を……!)
美月は、仲睦まじく歩いていくセシルとゼクスの後ろ姿を、ただ涙で視界を滲ませながら、見届けることしかできなかった。
──────
王城での息詰まる会談を終え、一旦帰宅の途についたゼクスとセシル。
夕暮れの静かな街並みを歩きながら、ゼクスはふと、隣を歩くセシルに声をかけた。
「セシル。……手記、見つかったんだな。ハンスに頼んでおいてくれて、本当にありがとう」
ゼクスは、自分のためにわざわざ動いてくれた少女へ、心からの感謝を告げた。
するとセシルは、パッと花が咲くような、どこまでも純真な笑顔をゼクスに向ける。
「ううん! スーちゃんのためだもん、これくらい当然だよ」
セシルは愛おしそうにゼクスの腕をギュッと抱きしめ、トーンを少しだけ落として、心底幸せそうに微笑んだ。
「私ね……手記を読んで、本当に安心しちゃった。だって、魔王を倒したら、転生者のご先祖様はこの世界に取り残されちゃったんでしょう? ってことは……スーちゃんも、魔王を倒しても、ずっとこの世界にいてくれる。私のそばから、どこにも帰れないんだもん。……私、とっても嬉しいな」
それは、世界を救った英雄の悲劇を「最高のご褒美」として受け取る、歪んだ、けれど純粋すぎる愛情表現だった。
ゼクスはセシルのその言葉を聞き、ふっと優しく目を細めた。
「……ああ。俺も、安心したよ」
ゼクスの口から漏れたのは、安堵の吐息だった。
「これで……セシルのこと、ちゃんと責任をとれるって分かったからな。俺はもう、どこにも行かないよ」
元の世界へ帰りたいと思う、未練を断ち切るように。
本当は帰りたいという未練が、胸の奥で今も燻っている。けれど、自分が傷つけ、悲しませ、そして責任を取らなければならない少女を置いていくわけにはいかない。
この世界でセシルを一生愛し、守り抜くことで、すべてを償う。そのための重い十字架を背負う覚悟が、ゼクスの胸に静かに満ちていた。
そんなゼクスの言葉を聞いた瞬間、セシルは感動に胸を震わせ、その潤んだ瞳に、極上の狂おしい歓喜をじわリと浮かべた。
(ああ……やっぱり、スーちゃんは私だけのもの。あの泥棒猫がどれだけ足掻こうと、スーちゃんは私と一緒に、この世界で一生を終えるの──)
二人の歩む影が、長く、不穏に、けれどどこまでも深く重なり合っていくのだった──。




