一途という名の凶器
静まり返る謁見の間に、セシルのどこまでも可憐で、鈴を転がすような声だけが響き渡り続ける。彼女がめくった古びた手記のページからは、数百年前に生きた一人の「転生者」の、生々しい軌跡が溢れ出していた。
「──『この世界に生まれてから十四年。私はただ、あの日女神様に言われた言葉だけを胸に、必死に修練に励み続けた。幸いにも、私が生まれたのは辺境の小さな田舎の村だった。全属性の魔術を扱える私を不気味がるような知識を持つ者もおらず、私は幼い頃から、ただの「超天才魔術師」として周囲に崇め奉られた』」
全属性──。その一言に、周囲の宮廷魔術師たちがわずかに息を呑む。
だが、セシルはそんなざわめきなど気にも留めず、淡々と、どこか楽しげに言葉を紡ぐ。
「『私は村の発展のためにも、その力を使って大いに尽くした。けれど、こんな狭い村に一生留まっていては、あっちの世界で行方不明になった彼の情報など、逆立ちしたって得られるはずがない。だから私は、十四歳になった年に旅に出る決意をした。当然、両親や村の皆には泣いて止められた。けれど、どうしても世界を見てみたいのだと必死に説得すると、父は私の頭を撫でてこう言ってくれた。「お前はこんな小さな村の中に収まっていていい器ではないものな。たまには顔を出せよ」と。そうして私は、村の皆の応援を背に受けて旅立った』」
手記に綴られた少女の、健気で、しかし狂気的なまでの行動力。
続く一文を読み上げる直前、セシルの視線が、ほんの一瞬だけ隣に立つゼクスへと向けられた。
「『──少し遠くの大きな街へ着くと、驚くほど簡単に、彼の情報を掴むことができた!』」
「……っ、」
その瞬間、ゼクスの拳が、みしりと音を立てて強く握り締められた。
あまりの強さに爪が手のひらに食い込み、白く血の気が引いていく。
(──俺が、できなかったことだ)
胸の奥を太い杭で突き刺されたような、おぞましいほどの自責がゼクスを襲う。
ゼクスの脳裏に、かつて美月からぶつけられた「どうしてずっと探してくれなかったの!?」という悲痛な叫びが、鋭い刃となって蘇る。あの時、自分は己の不甲斐なさから目を背け、「お前がエドワードの手をとったときに、俺たちは終わったんだ!」と、まるで美月の方に原因があるようにはぐらかしてしまった。
だが、この手記の少女はどうだ。
彼女は転生して、周囲の反対を押し切り、一途に恋人を探し求めた。
街に出て真っ先に、彼の足跡を追った。
もし、俺も彼女のように、何もかもを投げ打ってでも美月を探し続けていたら。
あんな風に、異世界の現実に、そしてセシルが差し出してくれた甘やかな居心地の良さに甘えていなければ。
俺たちの未来は、違っていたのではないか──。
隣を見れば、美月は魂を抜かれたように硬直したまま、ガタガタと身を震わせている。その絶望に満ちた姿が、ゼクスの胸をさらにズタズタに引き裂いた。
己への激しい嫌悪と、取り返しのつかない後悔に苛まれるゼクス。
セシルは、彼の握りしめられた拳の微かな震えを、冷徹に見つめていた。その瞳の奥には、彼が自分の用意した絶望のレールの上を綺麗に転がり落ちていくことへの、ゾクゾクとするような絶対的な期待が揺らめいている。
そんな男の葛藤を置き去りにしたまま、手記の朗読は続く。
「『耳に飛び込んできた噂によると、王都ではちょうど、異界から聖なる者が召喚されたという話題で持ちきりらしい。その名前は──シンイチロー。私の大好きな恋人と全く同じ名前だった! きっと彼に違いない。私は持っていた荷物をひったくるようにして、急ぎ足で王都へ向かった』」
セシルはふっと、困ったような、愛らしい笑みを浮かべてみせる。
「ラブレターを読んでるみたいで……恥ずかしいですね。少し、話が脱線しちゃってますけど……続き、読みますね」
「『王都でようやく再会したしんちゃんは──やっぱり、信じられないくらい調子に乗っていた! 私が王都に滑り込んだとき、ちょうど街では勇者のお披露目となる凱旋パレードの真っ最中だった。しんちゃんはきらびやかな馬車の上で、大勢の美女に囲まれて鼻の下を伸ばしていた……本当に、めちゃくちゃムカつく!』」
緊迫した謁見の間に、手記の主のどこかコミカルで、けれど一途な怒りが響き、貴族たちの間に微かな苦笑が漏れる。しかし、次の瞬間、物語は一気に跳ね上がった。
「『私はどうしても、一刻も早くしんちゃんに近づきたくて、王国の魔術師団の門を叩いた。門番の男は、最初は私を見て「こんな女の子供が何の用だ」と鼻で笑い、全く相手にしてくれなかった。だから私は、その場で全属性の魔術を同時に展開して見せた。
門番は驚愕のあまりガタガタと身を震わせ、「ま、待ってろ!」と叫んで、奥から責任者を呼びに走っていった』」
全属性の同時展開──。その言葉の重みに、国王の傍らに立つ大臣の顔色が変わる。
「『私はそのまま演習場へと連れていかれ、当時の王国の魔術師団長と、直々に模擬戦をすることになった。──結果から言うと、完膚なきまでにボコボコにしてやった』」
「な……っ!?」
謁見の間のあちこちから、今度こそ驚愕の、抑えきれない声が漏れた。
魔術師団長といえば、王国最高峰の武力のはずだ。それを、まだほんの子供に過ぎない少女が、赤子をひねるように叩き伏せたというのか。
「『当然、王都は大騒ぎになった。別に国に忠誠を誓うつもりなんてなかったけど、大人しく仕えてくれるならと、王国は私に「王国筆頭魔術師」という途方もない肩書きを与えてくれた。これなら、勇者であるしんちゃんにも確実に会えるはず……! 私は期待で胸をパンパンに膨らませた。……それにしても、勇者に続いて王国を騒がせてしまった、王国筆頭魔術師「マルル」の名はその日のうちに王都中を駆け巡ったらしく、ちょっと恥ずかしい』」
セシルがその名を読み上げた、まさにその瞬間だった。
「マルル……だと……!?」
大臣の手が、ガタガタと震えだした。先ほどゼクスから渡され、手元で調べていた帝国の古い歴史書──そこに記された、ある重要な一節に大臣の目が釘付けになる。
「へ、陛下……っ! 大変です! 今、セシル殿が読み上げた王国筆頭魔術師『マルル』の名……! 帝国から譲り受けたこの歴史書にある、異界の者たちと共に『魔王』を討伐したとされる英雄の名と──一致いたします!」
──ドッ、と。
謁見の間が、本日一番の、地鳴りのようなざわめきに包まれた。
美月の絶望、ゼクスの悔恨、そしてセシルの狂気。帝国の古書と、王国の治癒を使える者の先祖の手記。
異なる二つの歴史を語る書が、今、完璧な一本の線となって繋がろうとしていた──。




