英雄の核、胸に灯す残火
重厚な一対の扉が開き、現れた広大な「謁見の間」。
高い天井から差し込む厳かな光のなか、エルメリア王国の主要メンバーたちが息を呑んで一行を待ち構えていた。
その最前列、一段高い玉座の側に控えていた第一王子エドワードは、ゼクスと共に部屋へ入ってきた美月の姿を目にした瞬間、その碧い目を見開いた。
(……なぜ、美月がゼクスと並んで歩いている?)
自分の婚約者であるはずの聖女が、あの恋敵のすぐ隣で、まるで離れたくないとでも言うように歩調を合わせている。
エドワードの端正な顔が苦々しげに歪み、ゼクスへ向けて鋭い視線が突き刺さる。
美月はその嫉妬に満ちた視線に気づき、一瞬だけ背中に冷たいものを感じたが、歩みを止めることはしなかった。
ゼクスはそんな周囲の視線の嵐を泰然と受け流しながら、イレイアたちを引き連れて玉座の前に進み出ると、静かに片膝を突いた。
「──経緯はだいたい報せで聞いておる。よくぞ無事に戻った、ゼクス」
玉座に鎮座する国王が、深く厳かな声で彼らを労った。
ゼクスは頭を下げたまま、落ち着いた声音で答える。
「勝手な行動をしてしまい、申し訳ありません。最初は……先の戦いで散った兵士の遺品を、帝国の遺族へ届けに行くだけのつもりだったのですが、成り行きでこのようなことになり……。こちらにおわすのが、帝国の魔術師団副長、イレイア殿です」
ゼクスの口から出た『成り行き』というあまりにも軽い言葉に、謁見の間を埋める貴族や文官たちの間に、ガタガタと戦慄が走った。
成り行きで帝国の最高幹部クラスを連れ帰り、あの帝国と和平交渉のテーブルを引っ張ってくるなど、常人の成せる業ではない。やはりこの男は底が知れないと、誰もが肌を粟立たせる。
そんな緊迫した空気のなか、国王の視線がふと、ゼクスのすぐ隣に佇む少女へと向けられた。
「して、聖女美月よ。なぜそなたがゼクスの隣にいるのだ?」
「あ……」
美月は一瞬、心臓が跳ね上がるのを感じたが、努めて平静を装って頭を下げた。
「たまたま、城門前で彼らと出くわしたので……。恐れながら、私もこのまま、この場にいても構わないでしょうか?」
「うむ、構わぬとも。聖女として、帝国の言い分を聞く権利はそなたにもある」
国王が寛大に頷いたその瞬間、横から割り込むように、エドワードが冷徹な声を放った。
「父上、美月がこの場に同席することは私も異論ありません。……ですが。美月、なぜお前は未だにそやつの隣のままだ。私の隣へ移動すればよかろう」
エドワードの瞳には、隠しきれない独占欲と焦燥がギラギラと渦巻いていた。
人目があるからこそ、自分の婚約者が別の男の影に隠れているような構図が耐えがたかったのだ。
射殺さんばかりの視線が美月を射抜く。
「そう、ですね……」
エドワードの気迫に押され、美月が気まずそうに足を動かそうとした、その時だった。
「ゴホン──」
国王がわざとらしく放った、低く重い咳払いが大広間に響いた。
立ち上がろうとした美月の動きが止まる。
国王の冷然とした眼光は、若い二人の縄張り争いなど一別もしていなかった。そんな内輪の痴話喧嘩はどうでもいい、早く本題の報告を聞かせろという無言の圧力が、その場を支配する。
「話が逸れた、すまぬ。今は国の行く末が先決だ。……では、帝国側の言い分を聞こうか」
国家の命運を懸けた神聖な謁見の間で、己の矮小な嫉妬心を王から冷ややかに窘められたエドワードは、屈辱に顔を真っ赤に染め、ぐっと奥歯を噛み締めた。
拳を握る爪が手の平に食い込み、美月への、そして何より平然と佇むゼクスへのどす黒い怒りがその胸を焦がす。しかしそれ以上言葉を飲み込むしかなかったエドワードを余所に、美月は王の許しを得たまま、結局、ゼクスの隣から動くタイミングを失う。
促されたイレイアは、一歩前に出ると、緊張に背筋を伸ばしながら懐から帝国の公式な書状を取り出し、それを広げた。大広間に、彼女の凛とした声が響き渡る。
「では、エルメリア国王陛下、ならびに諸侯の皆様へ、我が帝国の意志をお伝えいたします。──まず前置きとして。此度の交渉はすべて、ここにいるゼクス殿からの強い希望によって、我が皇帝陛下が応じられたものであることをお含みおきください」
その言葉に、美月はハッとしてゼクスの横顔を見つめた。
「我が帝国が望むのは、五分五分の対等な和平です。双方が勝者も敗者も作らず、対等な同盟を結び、交易をし、今後は互いに手を取り合って友好関係を築いていきたい。人の交流も進めることができれば、今後、恒久的に双方の国にとって本物の平和が訪れると、我が国は確信しております」
イレイアが理路整然と告げる同盟の条件──。
それを聞いた謁見の間は、二つの感情に真っ二つに割れた。
好戦的で、これまでの戦争で身内を失い、帝国をどうしても許せないと怨嗟を抱く者たちは、「なぜゼクスは王国に全面的に味方して、その圧倒的な魔術で帝国を滅ぼしてくれなかったのか」と、悔しさに歯を食いしばる。
一方で、もうこれ以上凄惨な戦争を繰り返したくない、大切な人を失いたくないと願う穏健派の者たちは、救われたような深い安堵の表情を浮かべていた。
周囲が政治的な思惑で揺れるなか──美月の胸の奥には、ただ、眩いほどの熱い残火が灯っていた。
(ああ……やっぱり、そうなんだね、涼翔……)
これだけの規格外の力を持ちながら、王国のために帝国を蹂躙するのではない。
どちらの国の人間も死なせないための『対等な和平』を選んだ。
あっちの世界にいた頃から、不器用で、口下手で、だけど誰よりも優しくて、他人が傷つくのを自分のことのように痛がっていた、私の大好きな涼翔のまま。
(好き……やっぱり、私はこの人が好き。誰に何を言われても、この魂だけは他の誰にも譲りたくない……!)
エドワードの突き刺さるような視線も、貴族たちの不満の呟きも、今の美月の耳には一切届かない。
隣に立つ彼の、その変わらないさまに、美月は狂おしいほどの愛おしさを募らせていくのだった。




