演習場の焦燥と、恋敵なき再会
早馬の兵士が夜通し駆けて王都へ報せをもたらしたのだから、使節団を連れている涼翔たちは、途中で一度野営を挟んでからこちらへ向かうはず。──なら、王都への到着は、今日の午後から夕方にかけての間で間違いない。
頭では分かっているのに、じっとしていられなかった。
美月は一人、城門に近い演習場にこもり、ただひたすらに自身の身体と魔術を追い込んでいた。
ここなら、城門が騒がしくなればすぐに気付ける。すぐに駆けていけば、彼の顔が見られる。
(でも……顔を見て、私はどうするの……?)
「──っ!」
胸を抉るような自問自答を掻き消すように、美月は体内の魔力を激しく爆発させ、全身に『フィジカルアップ』を纏わせる。
肺腑を焼くような荒い呼吸の中、限界を超えて軋む四肢の痛みに耐えながら、狂ったように涼翔の真似をして素振りをし、地を蹴る。最初のころの美月は、二倍の強化を一時間も維持すれば魔力が底を突いていた。けれど、この魔術を教わってから、ぐちゃぐちゃに擦り切れた心を打ち消すためだけに、狂ったように魔術を使い、身体を動かし続けてきた。
魔術は、使えば使うほど、その限界を絞り出すほどに、最大魔力量が底上げされていくような感覚がある。
四六時中、肉体に負荷をかけ続けていたという涼翔のあの異常な強さは、こんな地獄のような鍛錬の果てに培われたものだったのだと、肌に伝わる熱が教えてくれる。
(涼翔が、私のためにって……ずっと、一人でやってたこと……)
世界で一番優しくて、世界で一番不器用な彼が、自分を守るためだけに積み重ねてきた努力の軌跡。それを追体験するたび、視界がじんわりと滲んでいく。
(どこで、間違えちゃったのかな……涼翔……)
最初に確信を持ったあの日に戻れるなら。
あの時、なりふり構わずに全てを捨ててでも、彼の隣にいるという選択を出来ていたなら。
どれだけ悔やんでも時間は戻らない。もう彼は、あのセシルと婚約して、報告までしに行ってしまったのだから。
なのに、婚約したはずの後に、勝手にキスした私に向かって「愛してる」なんて言った。
あの言葉を、私はどんな顔をして受け止めればいいの。
答えなどいつまで経ってもまとまらないまま、不意に、遠くの城門のあたりが俄かに慌ただしくなった。
兵士たちの怒号と、重厚な門が開く地響き。
「──涼翔っ、」
美月は手にした訓練用の獲物を投げ出すと、潤んだ瞳を拭うことも忘れて、弾かれたように城門へと向かって駆け出していた。
息を切らせて美月が辿り着いたとき、王国の馬車から降りたゼクスが、何やら怪訝そうな顔で門兵の隊長と言葉を交わしているところだった。
交渉が一段落したのか、ゼクスがこちらへ向かって歩き出す。
その、見紛うはずもない逞しい姿を目にした瞬間、美月の理性は一吹きで吹き飛んだ。けれど、周囲に立ち並ぶ無数の兵士たちの人目が、かろうじて彼女にブレーキをかける。
「──ゼクス、っ」
精一杯の、人目を忍ぶような、けれど震える声を絞り出した。
その声に反応して、ゼクスがハッと顔を上げる。
交錯する視線。
ゼクスは一瞬だけ、驚いたようにその灰色の目を見開いた。
気まずそうに、あるいは何かを隠すように視線をわずかに逸らしたが──次の瞬間には、あの、かつてと何も変わらない、はにかんだような優しい笑顔を美月に向けた。
「美月。……元気だった? 心配かけちゃったよな」
その話し方、その表情。
美月の胸の奥が、ぎゅう、と痛烈に締め付けられる。
周囲の目を気にする余裕なんてなくなってしまった美月は、一歩また一歩と彼に駆け寄る。
「本当に……本当に心配したんだから……! でも、無事に、帰ってきてくれてよかった……っ」
生きて目の前にいてくれる。その事実だけで涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら、美月はふと、彼の周囲に漂う奇妙な空気に気がついた。
違和感の正体は、すぐに分かった。
(……あの女が、いない?)
いつもこれ見よがしに涼翔の隣を陣取り、私に勝ち誇ったようなマウントを向けてきていたあのセシルが、どこを見渡しても影も形もない。
その事実を理解した瞬間、美月の胸の奥底から、どろりとした暗い愉悦と、狂おしいほどの独占欲がブワリと湧き上がった。
(……いない。今はあの女はいないんだ……! 今なら、あの女に邪魔されない……!)
セシルが意図的に作った空白とも知らず、美月の瞳の奥には、希望の光がギラリと灯る。
ゼクスの背後には、見慣れない軍服を着た美しい女性と、怯えた様子の御者が二人いるだけ。
片時も彼の傍を離れようとしなかった、あのセシルの姿がどこにもないのだ。
美月の視線に気づいたのか、帝国の女性が一歩前に出て、少し緊張した面持ちで頭を下げた。
「その……初めまして、エルメリア王国の聖女様。私は、帝国の魔術師団副長を務めております、イレイアと申します。此度は──」
「あ、初めまして。美月です──」
挨拶を返しつつも、美月の意識はやはり目の前の男へと向いてしまう。
一緒に謁見の間の方へと歩み出しながら、美月はたまらずに声を落としてゼクスに尋ねはじめた。




