完璧な計画、独り往く馬車
村を出発してから、一日の野営を経て翌日の夕方前。
傾き始めた黄金色の陽光に照らされながら、馬車はついに目的地である王都の巨大な正門へと到着した。
いつもなら、この時間帯には配置されていないはずの門兵たちが、まるで臨戦態勢かのような物々しい雰囲気で居並んでいる。
明け方の緊急会議を経て、国王からの厳命が行き渡っている証拠だった。
ゼクスたちは、王都の少し手前で馬車を止めさせると、セシル、そして不安げな表情を浮かべるイレイアを伴って馬車から降り立ち、門兵たちのもとへと歩み寄った。
「英雄ゼクス殿、ならびにセシル殿、お帰りなさいませ」
門兵の隊長が進み出て、胸に手を当てて深々とお辞儀をする。しかし、その挨拶もそこそこに、隊長はすぐに緊張に満ちた声を張り上げた。
「上層部より、すでに事情は伺っております。国王陛下直々の命により、此度の使節団は『最上級の国賓』としてお迎えするようにと。──ですが、帝国の物々しい馬車は流石に目立ちすぎます。混乱を避けるためにも、ここからは我が王国が用意した馬車にお乗り換えください」
その言葉を聞いた瞬間、イレイアと、御者台に控えていた二人の帝国兵の身体が文字通り凍りついた。
最上級の国賓、という甘い言葉を並べられてはいる。だが、ここはつい先日まで戦争をしていた敵国の本拠地なのだ。自分たちの馬車を取り上げられ、王国の馬車に閉じ込められる。
口では歓迎と言われながらも、このまま拷問室や処刑場へ直行させられるのではないか──。
彼らの脳裏を、最悪の恐怖が支配していく。怯えるイレイアの指先が、わずかに震えていた。
その微かな動揺と恐怖を、ゼクスが真っ直ぐ見つめる。
「大丈夫です。何があっても、俺が皆さんを守りますから」
ゼクスはイレイアたちを見据え、どこまでも真っ直ぐで力強い瞳でそう告げた。
これまで帝国の村々を巡る中で、彼が起こしてきた数々の奇跡──敵であるはずの帝国の民の飢餓を救うために尽力してくれたあの圧倒的な背中を、イレイアたちは目の当たりにしてきた。だからこそ、ゼクスの言葉に嘘はないと信じられる。
──だが、それでも、王都の兵士たちからイレイアに向けて放たれる、肌をジリジリと焼くような無遠慮で冷徹な視線だけは、どうしても消えなかった。
(やっぱり、イレイアさんたちは不安だよな。ここは彼女たちにとっては敵陣のど真ん中なんだから……)
純粋で、どこまでも優しいゼクスは、何の疑いもなく、隣に立つ婚約者へと視線を向けた。
「セシル。帝国の人たちは、まだすごく不安だと思うんだ。……ここは王国だし、セシルにとっては安全な場所だから。だから……俺、イレイアさんたちと一緒に馬車に乗ってもいいかな?」
それは、お人好しなゼクスだからこその、100%善意の提案だった。
敵国で怯える者たちを安心させるために、自分が盾として同乗する。
普通なら、最愛の婚約者が自分を差し置いて他の女と同乗するなど、激しく嫉妬するのではないかと思うシチュエーション。
だが、セシルは、少し悲しみながらも理解を示すような、可憐で切なげな笑顔をゼクスに返した。
「分かった……スーちゃん。イレイアさんたちも不安だと思うし、スーちゃんがついていてあげて」
セシルはどこまでも深く、慈愛に満ちた瞳でゼクスを見つめると、一歩近づき、ゼクスの耳元へ唇を寄せた。そして、周囲の兵士たちには聞こえないほどの小さな、年頃の女の子らしい、気恥ずかしそうな声で耳打ちをする。
(……実はね、下着を村に忘れちゃって、昨晩から替えられてないの。ちょっと気持ち悪くて……。だから、私は別の馬車で、一旦お家に帰って着替えてから、王宮へ向かうね……?)
はにかむように頬を朱に染めるセシルの愛らしさに、ゼクスは完全にノックアウトされたように「あ、うん! 分かった! 」と激しく首を縦に振った。
「あ……ありがとうございます。助かります、ゼクス殿……」
セシルのその「完璧な聖女の振る舞い」を前に、イレイアはどこか背筋に冷たいものを感じ、未だに拭えない警戒心を抱きながらも、頭を下げるしかなかった。
こうして、二人は別々の馬車へと乗り込む。
バタン、と重厚な扉が閉まり、王国の馬車の密室に一人きりになったその瞬間。
セシルの顔から、先ほどまで浮かべていた笑顔が、まるで最初から存在しなかったかのように綺麗さっぱり消え失せた。
感情の一切を削ぎ落としたその表情は、見る者を凍りつかせる絶対零度の氷の仮面へと変貌を遂げていた。
「……」
セシルは、ハンスから受け取った中身の分からない「革袋」を、両手で抱きしめる。
指の関節が真っ白になるほどの恐ろしい力で、ギチギチと音を立てるように、その革袋を握りしめた。
(あの泥棒猫の次は、今度は帝国のメス狐がスーちゃんに気安く触ろうっていうの……? スーちゃん、あなたは本当に優しいお人好しさんだね。でもね、その優しさが仇になるからね……?)
ドス黒い、どろりとした執念が、セシルの瞳の中で妖しく蠢く。
だが、その冷徹な思考は、すでに次の「完全犯罪」へと向かっていた。
(でも、ちょうど良かった。スーちゃんがあのメス狐たちの世話を焼いてくれているお陰で、私は誰にも邪魔されずに、いちばんに『お家』に帰れる。──そしたら何も疑われることなく計画通りにできる)
ゼクスの優しさすらも、己の計画を1ミリの狂いもなく遂行するためのパーツに置き換える。
脳裏に浮かぶのは、自分が仕掛けた完璧な檻の中で、永遠に自分だけを愛するようになるゼクスの姿。
そして、王城で待つ美月が、絶望のどん底で惨めに泣き崩れる未来の光景。
(待っててね、美月様。これであなたがどれだけ必死にスーちゃんに縋りついても、スーちゃんはわたしのもの)
一人歪んだ笑みを浮かべた少女を乗せた馬車は、黄金色の陽光を背に纏い、ゆっくりと動き出していた。




