計算通りの絶対遵守、埃を払う指先
ゼクスは腕の中の少女を見つめるために愛おしそうに、その細い肩にそっと手を置き、セシルの柔らかな銀髪を撫でた。
その声音には、迷いを完全に断ち切った男の、静かで重い覚悟が宿っている。
「けれど、もし異世界の者が、本人の意にそぐわない形で強制的に帰還させられてしまうようなルールがあるのなら……俺はそれを、事前に知っておかなければいけないと思うんだ。だから、やっぱり歴史書は調べておかないと」
セシルの身体がかすかに強張る。
ゼクスは彼女の不安をなだめるように、その双眸を真っ直ぐに見つめ、静かに、優しく微笑みかけた。
「だけど──もしそれが任意の、自分の意志で選べる帰還方法だったなら。たとえ俺が元の世界に帰れるとしても……俺はここに残って、君と生きる道を選ぶから」
その言葉が耳に届いた瞬間、セシルの顔にパッと大粒の笑みが弾けた。
張り詰めていた糸が切れたように、彼女は再びゼクスの胸へとぎゅっと激しく飛び込んでいく。
「うん……! じゃあ、私も手伝うね! 今までは、手がかりなんて見つからなかったらいいのにって……やっぱり心のどこかで思っちゃってたけど。今は、私たちの未来の為にも、絶対に一緒に見つけなきゃって思える」
愛おしさと、これまで不安にさせていた申し訳なさが胸に満ちていく。
ゼクスは愛らしい質量をその腕で再び強く抱きしめた。
「ああ。今まで不安にさせてごめんな、セシル」
ゼクスの胸に顔を埋めたまま、セシルは唇の端を醜悪なほどに歪めていた。
すべては計算通り。
ゼクスの口から、自発的に『美月ではなく自分を選ぶ』という絶対の誓いを引き出せた満足感が、彼女の全身を甘美に満たしていく。
「ううん、私が悪いの。スーちゃんがこれまで、美月様のために必死に頑張ってきたのを知っていたのに……私、自分のことばかりで……」
だが、表に出す声はどこまでも健気な少女のそれだった。
「……いいんだ。それに、セシルとここで結ばれても、美月のために俺ができることはまだあるから。もしその手段があるのなら、彼女に元の世界への帰還方法を伝えることだって、その一つだ」
「そうだね……私も、それならいくらでも協力する。──けど」
セシルはゼクスの胸から顔を上げると、じっと上目遣いで彼の瞳を覗き込んできた。その可憐な瞳の奥で、決して獲物を逃さない深い光が揺れている。
「もう、絶対に浮気したらダメだよ? これからは、私だけのスーちゃんでいてね?」
「……ああ、約束する」
ゼクスが頷くのを見て、セシルは満足そうに微笑んだ。
……一体、この奇妙でおぞましい茶番をいつまで続けるのだろう。
少し離れた場所で、二人のやり取りをただ眺めることしか許されていないラミルは、冷え切った心地で息を潜めていた。
ゼクスは誠実にセシルを愛そうとし、セシルはそれを完璧にコントロールして悦に浸っている。
世界を滅ぼしかねない最強の存在が、一人の少女の掌の上で完全に飼い慣らされていく。
あの世界の理を知るかのような怪物を、骨まで愛で縛り付け完全に支配してみせたセシルの手腕は、滑稽を通り越して純粋な恐怖でしかなかった。
「じゃあ、張り切って本を見つけないとね!」
セシルは、先ほどまでの重苦しい雰囲気を綺麗に吹き飛ばすような明るい声で言い、ポンと手を叩いた。
「ああ、そうだな」
ゼクスもまた表情を和らげ、二人は再び、膨大な歴史書が並ぶ棚へと視線を戻した。
未練を断ち切ったゼクスの手つきは先ほどよりも迷いがなく、セシルもまた「未来のため」に、熱心に背表紙を追っていく。
そうして、静寂の書物庫でどれほどの時間が経った頃だろうか。
そして──ゼクスの指が、ある一冊の硬い背表紙のところで止まる。
引き抜いたのは、背表紙の文字すら擦り切れた古い歴史書だった。
埃を払ってページを開くと、そこには求めていた「一節」が刻まれていた。
「……セシル、これだ」
遥か昔に起きた、魔族の苛烈なる侵攻。そして、それを退けるためにこの世界に召喚されたのではないかという、異界の勇者に関する克明な記述が、古びた紙面の上に生々しく浮かび上がっていた──。




