強欲の誤認、微笑みの裏の狂執
「……しかし、ゼクス殿。それはあまりにも机上の空論、根本的な解決には至りませぬ」
静寂を破り、参謀が苦渋に満ちた表情で首を振った。
「我が帝国の最大の課題は、慢性的な『食料不足』そのもの。こればかりは土地が枯渇している以上、どう足掻いても、我らの力では叶いませぬ。一時的に炊き出しを行ったところで、やがて蓄えが底を突き、再び同じ悲劇が繰り返されるだけでございます」
それは、国家の頭脳たる彼が、血を吐くような思いで出し続けてきた冷徹な現実だった。
だが、ゼクスは表情を一切崩さず、淡々と問いを返す。
「──つまり、食料と、それを恒久的に作り出せる『施設』さえあれば、問題はないんですね?」
「ええ、まぁ……。それが可能であれば、苦労はありませぬが……」
参謀は力なく息を吐く。そんな天の恵みのような施設など、この世のどこを探しても存在するはずがない。
しかし、ゼクスは事もなげに頷いてみせた。
「わかりました。では、その施設は俺がこちらで用意します。その後の維持や運用を、帝国側に任せてもいいですか?」
──そんなことができるはずがない。
玉座の間にいる誰もが、本能的にそう確信していた。
いくら山を穿つほどの怪物であっても、無から食料を生み出し、枯れた土地を豊穣に変える施設を作るなど神の領域の所業。
できるはずがないのだ。
だが──彼らの理性がそう拒絶する一方で、背中を伝う冷や汗が止まらない。
国境を隔てる険峻な山脈を「荷馬車が通れる穴」にして突き破ってきた男の言葉なのだ。
(この怪物なら、本当にそれすらも現実にしてしまうのではないか)という、常識の崩壊を前にした戦慄が玉座の間を支配していく。
床に伏したままのラミルもまた、胸の奥で冷ややかに呟いていた。
(所詮は絵空事。そんな綺麗な理想、語るだけなら誰にでもできる……っ)
兄の仇であるはずの男が提示した奇跡。それが、ただの不可能な綺麗事であることへの、諦念と安堵。
だが──ラミルの瞳からは、いつしか先ほどまでの険しい憎悪が消え失せていた。
(だけど……もし、ほんの少しの一時しのぎでも。あの子たちの飢えが満たされるだけでも……)
気づけばラミルは、心の底から、目の前の怪物の「綺麗事」に縋ろうとしていた。
兄の命を奪った仇を憎み続けることもできず、その救いに希望を見出してしまう欺瞞に満ちた己の心への嫌悪。それでも湧き上がるゼクスへの複雑な感謝の念が、抑えきれない涙となって彼女の頬を伝う。
「……わかった。ゼクス殿がそこまで言うのであれば、我らも全力を尽くし、民を救うための尽力をしよう」
皇帝の言葉で、二つ目の願いが事実上、全うされた。
そして、皇帝は張り詰めた緊張感を微塵も緩めることなく、玉座からゼクスを見下ろす。
「では──最後となる、三つ目の願いを聞こう」
「はい。これは、少し個人的な願いなのですが……」
前置きするゼクスの言葉に、皇帝は胸の中で(やはりな……!)と身構えた。
交易、そして難民救済。国のため、民のためという大義名分を二つ続けたのだ。ならば、最後の三つ目こそが、この男自身が欲する「本命の対価」に違いない。
領土か、帝国の至宝か、あるいは──。
全神経を集中させる皇帝に対し、ゼクスは静かに告げた。
「帝国の『蔵書』を閲覧させていただきたい。──国家が禁忌として封印している書も含めて、全てです」
(蔵書の……閲覧……!?)
その想定外の要求に、玉座の間を再び激しい困惑が駆け抜ける。
魔術師団長ハロルドや参謀たちの顔が、一瞬にして青ざめた。彼らの脳裏に浮かんだのは、ただ一つの恐怖。
(この者は……これ以上、強くなろうというのか……!?)
ただでさえ世界を滅ぼしかねない理外の暴力を持ちながら、帝国の歴史が培ってきた禁忌の知識までをも吸収し、さらなる高みへ至ろうというのか。
あまりの強欲さに身震いするが、それを拒む権利など帝国にはない。
拒絶すれば、今ここで、この玉座の間ごと全ての知識を強奪されるだけなのだから。
──だが。
帝国側の人間が、ゼクスの「底知れぬ強さへの渇望」に怯えているその裏で。
ゼクスの隣に立つセシルだけは、全く異なる、背筋が凍るほどに昏い瞳でゼクスを見上げていた。
(……まだ、諦めてなかったんだ?)
セシルの胸の奥で、ドロリとした暗い感情が鎌をもたげる。
王国側の資料には、確証が得られる記述は一切なかった。だからこそ、ゼクスは確信しているのだ。
この厳重に管理されているだろう帝国にこそ、眠っているかもしれないと。
──『異世界から召喚された者の、正確な末路』。
彼らが元の世界へ帰還できたのか、それとも、この世界で果てたのかという、確かな真実が。
(私を、あんなに愛して、あんなことまでしておきながら……)
(スーちゃんは、まだ、私の手を振り払って、あの世界に、あの泥棒猫と一緒に帰りたいって思ってるんだ?)
ピキ、とセシルの胸の中で、何かが決定的にひび割れる音がした。
ゼクスの胸にすり寄る彼女の指先が、微かに、けれど逃さぬように彼の衣服を強く掴む。
(いいよ、スーちゃん。見つかるといいね、その本。……でもね、もし本があったとしても、スーちゃんは絶対にここに留まるの。スーちゃんはこの世界の、私の腕の中──ううん、私のベッドの上だけで生きていればいいの──)
国家を揺るがす武力の増大に怯える、愚かな帝国軍の誰一人として気づかない。
ゼクス自身すらも無自覚な、その願いの真意。
だが、ゼクスという存在のすべてを監視し、その魂の最後のひとしずくまでを縛り付けようとするセシルだけは、その目的を、正確無比に見抜いていた。
微笑みを浮かべた可憐な少女の奥底で、絶対に逃がさないという狂気的な執着が、静かに、けれど狂おしいほどに再燃し、燃え上っていく──。




