怪物の逆鱗、差し出される二つの首
「な……っ、あ、ガハッ……!?」
身動きを完全に封じられ、強固な鋼鉄の拘束具に圧迫されて、拓真がまともに息もできず絶望に顔を歪める。
あの拓真の最高速度を誇る攻撃の完全なる見切りと、左足の破壊。
さらに連動した魔術師団副長イレイアの魔術の相殺。
傷一つ負わず、瞬時に対象を無力化する、もはや錬成の域にまで至った緻密な魔術の展開──。
すべては、常人にとっては瞬きを一度する、ほんの一瞬の間に完了していた。
だが、制止の叫びの残響が虚しく消え去った謁見の間には、誰もが予想だにしなかった、先ほどとは全く違う「最悪の爆音と悲鳴」が鳴り響くことになる。
美月を壁にめり込ませ、血みどろにした男が、今、俺を殺そうとし、自分の目の前に転がっている。
(……お前だけは、絶対に許さない)
ゼクスの瞳の奥に、昏い怒りの炎が灯っていた。
和平交渉の場だと、理性では分かっていた。だが──この怒りは、どうしても止められなかった。
ドゴォォォン!! ドゴォォォン!!
容赦など、ひとかけらもなかった。
鋼鉄で床に縫い付けられた拓真の両手足へ向けて、ゼクスは至近距離から『ファイアボール』を絶え間なく連発し、燃やし続けた。
爆炎と猛烈な熱風が玉座の間を吹き荒れる。
拓真は、焼かれた端から絶え間なく治癒し続けた──しかし、それは「地獄のような激痛の連鎖」が拓真を襲い続けることを意味していた。
「があああああああああああああッ!! あ、熱い、ガはッ、あああああああッ!!」
肉焦げる臭いと、拓真の狂わんばかりの悲鳴が石造りの天井に反響する。
その凄惨な悲鳴が耳に届きながらも、玉座の間にいる全員の身体は、完全に硬直していた。
今、目の前にいる銀髪の青年を怒らせれば、交渉決裂どころではない。下手をすれば、この場にいる全員が肉塊に変えられ、帝国そのものが滅ぶかもしれない──その圧倒的な「死の予感」の前に、騎士団長ダルムも、近衛兵たちも、指一本動かすことができなかった。
やがて、濛々《もうもう》と立ち込めていた白煙がうっすらと晴れ、その場の一同は異常な光景に目を見張り、驚愕した。
──セシルをお姫様抱っこしたままの、涼しげな銀髪の青年。
彼は腕の中の少女を塵一つ汚すことなく、ただ冷徹な眼差しで、まるで動かない玩具をなぶり殺すかのように、帝国の最高戦力であるはずの勇者を徹底的に拷問し続けていたのだ。
「それ以上は……っ、それ以上やっては、死んでしまいます……!」
あまりの凄惨さに耐えかね、ラミルが悲痛な叫び声を上げてゼクスの元へと駆け寄った。
ラミルは床に膝をつき、大粒の涙を流しながらゼクスを見上げる。
「今のは、完全にこちらが悪かった……! 私たちの不手際です! ですから、どうか……どうか許してください……!」
涙ながらに乞うラミルの足元で、あまりの激痛の連鎖に耐えきれなくなった拓真は、ついに白目を剥いて意識を失い、ぐったりと動かなくなっていた。
「……わかった」
拓真の気絶を確認したゼクスは、短くそれだけを告げると、腕の中の少女に視線を落とした。
「セシル、治癒を頼む」
「……えー。スーちゃんを身の程も弁えずに攻撃した不届き者なんだから、このまま死んじゃえばいいのに」
セシルは不満そうに唇を尖らせ、光の入らない瞳で哀れな勇者を見下ろしたが、「スーちゃんの頼みだからね」と小さな呟きと共に魔力を編み上げる。
(きっと、私のためにここまでしてくれた……。スーちゃんがこんなに綺麗に魔力を猛らせてくれたんだ──)
凄惨な拷問のような光景を前に、セシルは恐怖するどころか、自分への絶対的な愛の証明として、脳が蕩けるほどの幸福感に酔いしれていた。
「ほら、感謝してね。スーちゃんのおかげで、命拾いしたんだから」
意識を失った拓真をまるで家畜か何かのように見下しながら、彼女の放つ治癒魔術が、拓真の炭化した手足を急速に再生させていった。
その間に、帝国の参謀が狂ったような慌ただしさでゼクスの前まで駆け寄り、床に頭を擦り付けんばかりの勢いで深く頭を下げた。
「この度は……此度の無礼、誠に失礼いたしました……! 帝国を代表し、深くお詫び申し上げます……! ──このお詫びはいかように、いかようにすればよろしいでしょうか……!?」
震える声で懇願する参謀。しかし、ゼクスはその問いに答えることなく、ただ冷徹に、床に転がる拓真を無言で睨みつけ続けていた。
その無言の威圧が、かえって参謀の背筋を凍らせる。
沈黙の末、玉座の奥から、重々しく、そして完全に敗北を認めた皇帝の声が響いた。
「──此度の不手際、全面的に我が帝国の失態である」
皇帝は固く拳を握り締め、苦渋に満ちた表情でゼクスを見据えた。
「和平の場を汚した罪は重い。そなたを攻撃した両名──勇者・拓真と、その攻撃に連動した魔術師団副長イレイアの首を、今ここでそなたに差し出そう。……それを、我が帝国の誠意とし、許してはもらえぬだろうか」
「「皇帝陛下……っ!?」」
その非情な宣告に、ふたつの絶叫が重なった。
ひとつは、ラミルの悲痛な叫びだ。
歪な性格で、いつも不平不満ばかりを口にしていた拓真。だが、そんな彼が、自分の弟たちのような大切な者たちを一身に救ってくれたのもまた、紛れもない事実だったのだ。
その拓真の「死」を無慈悲に告げられ、ラミルは絶望に目を見開いて皇帝を見上げることしかできなかった。
そしてもうひとつは、魔術師団副長イレイアの、納得のいかない拒絶の叫びだった。
確かに自分は、拓真の攻撃を好機と捉えた。「拓真なら勝てる」と判断し、その突撃に賛同して魔術を放ったのは事実だ。しかし、国家の決定によって自分までもがここで無残に処刑されるという不条理に対し、彼女はその顔にありありと不満と戦慄を浮かべていた。
けれど、背後に控えるハロルドは、もう手遅れだと理解していた。
皇帝の判断は、国家を守るための冷徹な正論だ。あのゼクスというバケモノの怒りを買い、帝国が根こそぎ滅ぼされることに比べれば、どれほど優秀な部下であろうと首を差し出す以外の選択肢など存在しない。
「……っ」
ハロルドは「部下をかばいきれぬ」と、己の無力さと悔しさに歯を食いしばりながら、ただ静かに天を仰いで諦めるしかなかった。




