山を穿つ怪物と震える前哨基地
翌朝。
まだ朝靄の残る冷たい空気の中、ゼクスとセシルは家族に見送られながら、故郷の村を出発した。軍馬に引かせた荷馬車の御者台に座り、ゼクスが手綱を握る。
二人がまず向かったのは、王国軍の前哨基地であった。
先日の大激戦を経て、すぐに攻めてこないだろうという慢心からなのか、あるいは余裕がないのか。軍の再編と新たな兵の派遣は未だ完了していないらしい。基地内は静まり返り、完全に無人と化したままであった。
誰もいない冷え切った基地に入ったゼクスは、奥にぽつんと置かれていた、王国軍兵士たちの「遺書の束」に目を留める。家族へ宛てられただろうそれらの文字を視界に入れた瞬間、ゼクスの胸は再び締め付けられるような痛みに苛まれた。
だが、ここで立ち止まっているわけにはいかない。ゼクスは小さく首を振り、遺書の束の近くに遺品を置く。きっと軍が回収してくれるはずだ。そう自分に言い聞かせ、そっとセシルを促して外へ出た。
次に向かうのは、自身が帝国軍を弔った場所の近くだ。そこには、ゼクスが魔術を用いて即席で作り上げた、石造りの頑丈な倉庫がひっそりと佇んでいた。
倉庫の重い扉を開けると、中にはゼクスが回収した、おびただしい数の帝国軍兵士たちの遺品が保管されていた。それらを前にして、セシルが少し困ったように眉を下げて荷馬車を振り返る。
「スーちゃん、この量はさすがに荷馬車のままじゃないと運べないんじゃない……? あの山を越えるのは無理だよ……」
「大丈夫だ。俺に考えがある」
ゼクスはそう言ってセシルを安心させるように微笑むと、手際よく遺品の数々を荷馬車へと積み込んでいった。
全ての準備を終えると、ゼクスは崩れていない山の方へと荷馬車を走らせた。
立ちはだかるのは、まともな道など存在しない険しい原生林。目の前にそびえ立つ荒れ山を前にしても、ゼクスは速度を落とさない。
「スーちゃん!正面は行き止まりだよ!? この山をこのまま越えるのは無理だよ……」
「魔術を使って最短距離を突っ切る! セシル、念の為、しっかり捕まっていて」
ゼクスが手綱を握ったまま、前方の巨大な山肌に向けて魔術を放つ。
その瞬間、特大の『アースニードル』が、凄まじい轟音と共に回転しながら山を正面から容赦なく穿ち抜いた。
抉り取られた巨大な大穴へ、ゼクスはスピードを緩めることなく荷馬車を突っ込ませる。
暗闇に飛び込んだ刹那、ゼクスはさらに炎魔術で明かりを灯したまま、土魔術を展開。崩落しかける天井や周囲の土砂を、一瞬の間にガチガチの岩盤で瞬時に固め、完璧な強度のトンネルへと造り変えていく。
馬車の爆走に合わせて、リアルタイムで山がくり抜かれ、強固な地下道へと変貌していく。有り得ない光景に、隣に座るセシルは目を輝かせ、声を弾ませた。
「すごーーいっ! スーちゃん、私達山の中を走ってる!」
「これなら荷馬車のまま、向こう側へ着けるからね」
ゼクスの規格外の力に、純粋な称賛を向けるセシルの声を受けながら、馬車は山を貫通し、国境の向こう側へと突き進んでいった。
やがて日が暮れかける頃、トンネルを抜けた赤く染まった視界の先に、帝国の前哨基地がその全貌を現した。
王国軍の基地とは違い、こちらは未だに多くの兵力が駐屯しており、張り詰めた軍事的な熱気を放っている。
そこへ向かって、山の方からいきなり現れた、一台の荷馬車が何一つ隠すことなく、堂々と正面から近づいていくのだから、帝国軍が混乱に陥るまで時間はかからなかった。
馬車が接近するにつれ、基地内から突如現れた荷馬車に「敵襲か!?」と怒号が飛び交う。壁の上からは、一斉に魔術師隊が臨戦態勢を構え、いつでも絶大なる攻撃魔術を放てるようゼクスたちに狙いを定めた。
殺気立つ無数の帝国軍。その前方、中心へと馬車を止めると、ゼクスは静かに御者台から降りた。
そして、怯える様子も見せず、セシルの身体を片腕でしっかりと自分の胸へと抱き寄せたまま、ゆっくりと歩みを進める。
その時、色めき立つ帝国兵たちの真ん中から、威風堂々とした体躯の男が進み出てきた。この前哨基地を統括する将軍、バレル。
バレルは鋭い眼光で二人を睨みつけ、大気を震わせるような声で一喝した。
「止まれッ! 貴様ら、何者だ!?」
最前線に立つバレルの厳しい問いかけ。しかし、ゼクスたちの姿をその目に焼き付けた瞬間、将軍バレルの脳裏に、凄まじい衝撃と共に、事前に届いていたある「軍の情報」が過った。
(銀髪の、若い男女……!? まさか、噂に聞く、あの『ゼクス』と『セシル』なのか……!?)
あの絶望的な距離から、たった一人で我が軍を壊滅に追い込んだ、人間の枠を超えた化け物。あのおぞましい魔術の連発を放った張本人がここにいるというのか。
何よりバレルの背筋を凍らせたのは、そのあまりの「余裕」だった。千の軍勢に包囲され、無数の照準を向けられているというのに、まるで散歩でもするかのように少女を片腕で抱き寄せ、平然と歩いてくる。
底の知れない、圧倒的な強者の佇まい。
その理解不能な光景に、一瞬にして冷たい戦慄が走る。
(なぜ、こんな場所に現れた……? まさか、今度はこの前哨基地を……我が軍を、根絶やしにするために攻めてきたというのか……っ!)
迎撃の手を挙げることすら躊躇わせるほどの圧倒的なプレッシャーの中、バレルは冷や汗を流しながら、抱き合うようにして並び立つ二人の怪物を激しく凝視していた――。




