無慈悲な凱旋と消えゆく色彩
あの激動の襲撃事件から、数日後のこと。
王都は未だに受けた傷跡を深く残しており、至る所で懸命な復興作業が続けられていた。
「よし、これで大丈夫。次の場所!」
街の瓦礫の山の中で、美月は黙々と土魔術を放ち続けていた。彼女の放つ精密な土魔術は、崩落した外壁や建物の基礎を瞬時に作り直していく。その手際の良さに、本職の職人たちが目を丸くするほどだった。
そんな美月の少し後ろで、魔術師団副長のエレノアは、周囲を警戒しながら複雑な溜め息を深く吐き出していた。
今のエレノアに下されている任務は、復興作業にあたる美月の『護衛』である。
(……はぁ。今や私より遥かに強い、この聖女様の護衛だなんてね。去年までは、この国で二番目に強いのは自分だっていう自負があったのに……なんだか、完全に自信なくなってきたわ)
さらにエレノアの心を重くしているのは、先日の謁見で気づいてしまった「あの事実」だった。
(しかも、こんなに規格外の力を持ったこの娘と、あのゼクスが、どういうわけか元の世界での元恋人同士だなんて……。思い出すだけでも胃が痛くなってくるわ)
護衛としての自信喪失と、知ってはいけない特大の愛憎劇の秘密。
エレノアが内心でそんなボヤキを連発していることなど露知らず、美月はただ一心不乱に、心を無にするように作業を続けていた。そうでもしていなければ、胸の奥の焦燥感に押しつぶされそうだったから。
あの日から数日、彼の姿を、あの温もりを、一瞬たりとも忘れることなどできなかった。
その時、王都の正門のほうから、地響きのような騒がしさが伝わってきた。
「おい! 軍が帰ってきたぞ!」
「軍が帰還したぞー!」
民衆の声に、美月はピクリと肩を揺らす。
「美月様、行きましょう」
エレノアの言葉に促され、美月は復興作業を中断し、正門へと向かって走り出した。
しかし、正門にたどり着いた美月が目にしたのは、決して華やかな『凱旋』などではなかった。
遠くから見えてきた軍の列はボロボロで、生きて戻れた者たちも、暗い表情を引きずっている。そして何より、隊列が近づくにつれ、正門前に集まっていた民衆から、歓声ではなく凄惨な悲鳴と慟哭が沸き起こった。
「嘘だろ……兄ちゃん、どこだよ!? なんでいないんだよ!」
「あなた! あなたぁーーっ!!」
隊列の傍らで、愛する者の名を叫びながら、その場に泣き崩れる女子供たちの姿が溢れかえっている。
戻ってきた荷馬車に積まれているのは遺品の数々。
帝国軍との戦争により、王国軍は劣勢を強いられ、多大なる死者を出していた。
その残酷な現実が、今、遺族たちの前に突きつけられている。
その地獄のような光景を前に、美月は思わず足を止め、胸を締め付けられるように息を呑んだ。
(そっか……。きっとこの人たちは、あの戦争で、愛する人を失ってしまったんだ……。なんて酷い……この世界は、あまりにも残酷すぎる……)
押し寄せる他人の絶望に、美月の黒い瞳が激しく揺れる。
愛する者を突然奪われ、二度と会えなくなる恐怖。それが、今の美月の胸に突き刺さる。
美月もまた、群衆の隙間から、血眼になって隊列を探し始めた。
帰還した兵士たちに負傷者が少ないのは、きっとセシルが治癒したからだ。セシルが合流したのなら、当然、あの男も一緒にいるはずだった。
最悪の結末を迎えた遺族たちの姿を見たからこそ、一刻も早く、彼の無事な姿を確認したくてたまらない。
──だが、いくら探しても、肝心のゼクスの姿だけが見当たらない。
エレノアが「団長!」と声をかけ、キュラム団長のもとへ向かっていくのをよそに、美月はじっとしていられなかった。隊列の中に見知った顔を見つけ、なりふり構わずその男──ヴォルフガングの元へと駆け寄る。
「ヴォルフガング様……っ! ゼクスは……ゼクスは、一緒ではないのですか!?」
息を切らせて詰め寄る聖女の姿に、ヴォルフガングは少し驚いた表情を見せながらも、事実を淡々と伝えた。
「ああ、美月様。ゼクス殿なら、ここにはいませんよ。故郷が近くにあるからと、『一度、故郷へ立ち寄ってから王都へ帰る』と言い残して、そのまま向かわれました。まあ、彼は軍属ではありませんからね、行動は自由ですよ」
「故郷へ……?」
美月の頭が、カチリと音を立てて凍りついた。
(また……。また、あの女の仕業だ……。きっとセシルが、涼翔と私をこれ以上会わせないようにするために、王都へ戻らせず実家へ連れて行ったんだ……)
美月の胸の奥から、ドス黒いドロドロとした怒りがせり上がってくる。
(私の涼翔を⋯⋯返して⋯⋯返してよ⋯⋯!)
しかし、美月はすぐに、別の恐ろしい可能性に気づいてしまった。
このタイミングで、ゼクスがセシルの実家に帰ることの、本当の意味。今、実家に向かったということは──。
「もしかして……。結婚するって、報告をするために……向かったのですか……?」
震える声が、口から漏れ出していた。本当は、そんなこと確認したくなかった。答えを聞くのが怖くてたまらない。けれど、確認せずにはいられない壊れかけた心が、美月にその言葉を強制させていた。
すると、ヴォルフガングはポンと手を叩き、悪気のない笑みを浮かべた。周囲の重苦しい空気に声を潜めながらも、その内容はあまりにも残酷だった。
「美月様もすでにご存知でしたか。いやあ、本当にあの二人は入学前から仲睦まじかったですからね。相変わらずベタベタと仲が良くて、見せつけられるこちらとしては困ったものですよ」
悪気のない、淡々とした事実を述べる声。それが歪んだ残響となって、何度も美月の耳の奥でリフレインする。
──入学前から仲睦まじい。
そして、親への結婚の報告……。
美月の世界から、急激に色が消え失せてゆく。
自分が元の世界でどれほど涼翔を想い、この世界でどれほど彼を渇望していたかなど、この世界の誰も知らない。ただ無邪気に、ゼクスとセシルの『純愛』を祝福する声だけが、鋭い刃となって美月の心めがけて突き刺さる。
俯いた美月の黒い瞳の奥で、涙が滲む。
だが、その涙は頬を伝う前に、急速に冷え切った。感情の決壊の果てに、世界そのものを呪うかのような、底知れない暗黒の情念が静かに顔を出し始める。
さっきまで震えていた美月の顔から、一切の生気が消えた。まるで作られた人形のような、無機質な無表情へと変わっていく。
(セシル……あなたさえ……いなければ……)
愛する者を奪われた者たちの慟哭が響き渡る正門の前で、聖女の心は、完全に昏い修羅へと変貌を遂げていた──。




