命懸けの情愛と歪む恋慕
ゼクスが去った後の王都。重苦しい静寂が満ちる玉座の間で、残されたエドワードと美月の国王との謁見は続いていた。
あの激動の戦いの余韻は、物理的にも、そして彼らの精神にも、未だ深い爪痕を残したままであった。
エドワードは背筋を伸ばし、厳しい表情のまま、玉座に鎮座する絶対的な父――国王へと報告を始める。
「――状況、そして件の異界の者の発言から推測するに、帝国の真の狙いは……私の首だったと思われます」
エドワードの言葉を隣で聞いている美月の表情は、暗く沈んだままであった。だが、その俯いた顔に隠された黒い瞳には、悲しみというよりも、どこか憤怒にも似たような色が昏く宿っていた。
脳裏に焼き付いて離れないのは、涼翔のあの言葉だ。『俺だって……君を愛してる』。そんな甘い言葉を吐きながら、彼はセシルという女を常に隣に置き、特別に大切に扱っている。
(わかってる。涼翔は私のために身を引いた。
私の幸せを願って……でも、それを勝手に決めないでほしい。私はあなたと一緒にいたい。なのに……)
勝手に悲劇のヒーローぶって私を置いていかないで⋯⋯そんな怒りと哀惜が、彼女の胸をぐちゃぐちゃにかき乱す。
「けれど、その異界の者に交渉を持ちかけたところ、私の言葉に聞く耳だけは持っていました。帝国も、あの男を完全に飼い慣らせている様子ではありませんでした……」
「ふむ……。して、その男は何を要求してきたのだ」
国王の冷徹な問いかけに、エドワードは悔しげに拳を強く握りしめ、一度言葉を切ってから重い口を開いた。
「奴の要求は……あまりにも不遜なものでした。奴は美月と元の世界で面識があったらしく、交換条件として美月をよこせと、私の目の前で組み敷かせろと⋯⋯そう言ったのです」
「な……んだと?」
国王の視線が、ゆっくりと美月へと移った。
「聖女よ。その異界の者とやらは、そなたとどんな関係だったのだ?」
「……私には、見覚えのない方でした。ただあの人は、私が元の世界に置きざりにした人の名を知っていました。須藤涼翔の恋人だよなぁと……そう言いながら獣のような目を、私に向けてきました……」
美月は俯いたまま、静かに答えた。
嘘ではない。ただ、その恋人はゼクスとしてこの世界まで追いかけて来てくれたことは伏せたままにした。胸の奥で渦巻く感情は、王妃の地位への保身なのか。
(私は本当に汚い……)
エドワードを騙し、国王を欺き、それでも涼翔との絆だけは誰にも渡したくないと縋り付いている。自分の醜悪な二面性に、吐き気がするほどの自己嫌悪が襲いかかる。
──その、美月の張り詰めた言葉を、少し離れた位置で控えていた魔術師団副長のエレノアは、冷や汗をにじませながら聞いていた。
(……いや、ちょっと待って。美月様、王城へ戻る道すがら、ゼクスのことを『涼翔』って呼んでたわよね……?それにゼクスが『俺の事はゼクスと呼んでくれ』って美月様に……)
エレノアの脳内で、パズルのピースが急速に組み上がっていく。あの刺客の言ったという『須藤涼翔』。そして美月様がゼクスに投げかけた不自然な態度。
あの凄惨な戦場で、聖女とゼクスが抱き合っていた異様な光景と、セシルの猛烈なマウント。
(つまり……あの異界の暗殺者も、美月様も、そしてセシルとゼクスも……元の世界からの、ドロドロに縺れ合ってるってこと……!?エドワード王子は知ってるの?)
転生という奇跡にまでは至らなくとも、ゼクスが異界と決定的な繋がりを持っていること、そして聖女が国王の前で重大な事実を隠蔽したことだけは、ハッキリと察知してしまった。
(……うん、絶対に何も言わない方がよさそうね。国家転覆の危機の裏で、こんな特大のドロドロの修羅場が進行中だなんて、口が裂けても言えるわけがないわ……)
エレノアはそっと視線を逸らし、自らの口を完全に閉ざすことを決意したのだった。
──そんな副長の内心の動揺など露知らず、謁見の場は王太子の苦渋に満ちた弁明へと戻る。
国王は重々しく息を吐き、エドワードを見据えた。その威圧感に気圧されそうになりながらも、エドワードはさらに深く頭を下げ、苦渋に満ちた声を絞り出した。
「美月をよこせと言われた瞬間、私は頭に血が上ってしまい……『交渉決裂だ』と、まともな策もなしに、ゼクスが来てくれるのを期待し、時間稼ぎをしようと奴へ攻撃を仕掛けるという悪手を取ってしまいました。美月を奴の手に渡すなど、到底容認できなかったとはいえ……王太子として、あまりにも軽率な行動であったと猛省しております。結果として、駆けつけたゼクスにギリギリ助けられる形となり、我が身の不甲斐なさを恥じるばかりです」
「愚か者が!」
国王の短い一喝が、大理石の床に冷たく響く。エドワードは返す言葉もなく、ただ唇を噛んだ。
「今思えば」と、エドワードは消え入りそうな声で続ける。「その場を切り抜けるため、言葉だけでも奴の要求に乗る振りをすべきだったかもしれませんが……」
悔恨の念を滲ませるエドワードの横顔を、美月は息を呑んで見つめていた。
(エドワード様は……あの恐ろしい拓真を前にして、私のために、私の身を守るために、ご自身の命まで投げ出そうとしてくださったんだ……。言葉だけでも私を手放す振りをすることさえ、耐えられないくらいに、私を想ってくれている……)
ゼクスへの昏い怒りとは対照的に、エドワードのどこまでも真っ直ぐで命懸けの情愛が、傷ついた美月の心に深く、染み渡っていく。
彼だけは自分を裏切らない、彼だけは私を一番にしくれる。その確信が、美月の中で確固たるものとなる。
(なのに、なのに、私は……。今でもあの人の言葉を、涼翔のことを考えてしまっている……)
エドワードの純粋な愛を受け止めながらも、心の奥底で未だにゼクスへの未練と憎悪を燻らせている不実な自分。その醜悪な自分に、美月はまたも激しい自己嫌悪を覚えていた。
息子の一連の報告をじっと聞いていた国王は、玉座の肘掛けを指先でトントンと叩きながら、冷徹な思考を巡らせていた。
「……余の首ではなく、次代の王たるエドワードの首を真っ先に獲りにきた、か。この国からエドワードがいなくなって、最も得をする者が誰なのかを考えるべきだな」
国王の鋭い眼光が、誰もいない空間を射抜く。
「帝国に利するのは当然として……この我がエルメリア王国の内部にも、敵の手引きをし、エドワードの排除を望む『内通者』がいると見るのが自然か」
王都に燻る、見えない裏切りの気配。
美月のゼクスへの複雑な憎悪、エドワードへの傾倒と自己嫌悪、そして王国を揺るがす内通者の影が絡み合い、事態はさらに重厚な緊迫感を孕み始めていた――。




